書庫扉

自らを耕しつづけるなかから


  もと朝日新聞記者のむのたけじは、戦後、記者としての戦争責任感から朝日新聞を退社,郷里で週刊新聞『たいまつ』を創刊し、言論活動を続けてきた。。その思想に共鳴したものが,東京で雑誌『月刊たいまつ』を刊行。私はその関西の読者会をやっていた。その縁で、教員になったばかりの頃、『月刊たいまつ』一九七四年一月号の特集「私の統一戦線論」に次の一文を寄稿した。

  この「日本人の自立宣言」という問題提起は、自分自身に向けられたものともなった。その後の思索と実践は、いわばそのための基礎作業であった。


 私は、ある兵庫県の普通高校で働いている者です。私の高校は、被差別部落出身者や在日朝鮮人子弟、一般貧困家庭子弟を進学を保障して入学させ、教師が彼らの生い立ちや「部落」の生活に学び、差別の実態に向きあい、そして、彼ら自身が差別とたたかい、解放をめざして歩んでゆけるように鍛えてゆくことができているかどうかを、全教育の点検軸としてやってゆこうとしています。私の教科は数学ですが、既成の意昧での学力の極端に落ちこんだ生徒の前で、およそ自分が今まで出会ってきた数学観らしいものは、ほとんどふっ飛んでしまい、その中で、もう一度、ひとりのにんげんとして、どう生徒の数学の世界の中に入り、それを展開できるのかを、模索しているのが、現段階です。もとよりそれは教科の中だけでどうなるものでもなく、生徒の全生活と係わろうとする中でしか、みちの見えてこないものです。数学に限らず、今、私の高校では、このような試みの中で、既成の、大学に先導されてきた、文化とそのありようの全体を、根本的に問い直し、権力から子供を奪いかえし労働者階級にかえしてゆこうとする、実践が行われています。

 私自身はまだこのしごとについて間がなく、現在は、大きな壁の前で暗中模索し、夢中で毎日を送っている状態ですので、自分のここでの主体的な実践の経験を踏まえて、統一戦線を語り、その構築のために働くということについては、とてもその力量がありません。

 そこで、今まで私が、ひとびとの反戦運動の中で、天皇制をとらえ直し、日本支配者階級の支配維持のやり力をあばこうとすることの中で、ひとりひとりが自立してゆく、そのみちを求めて話し合い書いてみることで得たささやかな経験や、教職員の解放教育運動や部落解放運動の中に、既成政党の力がどのように働くのかを現に見聞きした経験をもとにして、編集部の問題提起をかんがえ、統一戦線が持たねばならない質について、思うことを述べてみようと思います。
 
 編集部は、寄稿依頼の手紙の中で「……社共公の『連合政権構想』が相互に論争され……。これはあなたにとって無縁なのか、有縁なのか」と問うていますが、私はこの問はおかしいと思う。「連合政権」ができることは、大きなことであり無縁であろうはずがないからです。ですから、ここは、「この構想の実現はあなた自身の解放という視点からして、進歩なのか、それとも反勤なのか」と問わねばならないと思います。

 あらゆることは同時に進歩である面と反動である面を持っていますが、それでも、ひとりひとりがそれまでの経験とその立っている基盤からどの視点が最も重要であるかをえらびとり、判断してゆくのだと思うし、だからこそ、各人がかんがえを出して討論してゆかねばならないと思います。
 
 私自身は、既成議会内政党の全ては、部落差別の本質への党組織としての理解を欠いた部分によって支配され動かされているとかんがえています。そして、現在「日の出の勢い」とマスコミにいわれている党が、その党員ひとりひとりが、大衆運動と接するところで、いかにひとびとの自立ということを軽視し、日本帝国主義の現代天皇制の下の差別分断支配のありようへの認識を欠き、自分自身の内に巣くっている差別意識を指摘され自覚しつつやるのがしんどいなあというひとのその心情を組織することで数を増やしてきたかを、見せつけられてきました。何度もいろんな場で、それに出会うと、自分の出会ったのがその党の中で特に質が悪いところだったのだと思うわけにもゆきません。彼らの持つ日本「解放」の、その実は日本支配の戦略に反対し、本当の解放を摸索する組織、個人を、「暴力」、「反民主主義」のレッテルをはることで、圧殺しようとしてきました。
 
 私は、被差別部落の真の解放と、現代天皇制の解体、それは表裏をなす一体のことだと思いますが、それなくしては、日本人ひとりひとりの、にんげんとしての解放はありえないとかんがえています。現代日本の世直し運動のめざすところが、帝国主義日本を打ち倒すことであるということばに異論はありませんが、その具体的内容は、現代天皇制の解体をめざし、被差別部落のひとびとや、今まで最もやられつづけてきたひとびとの、自からめ解放へのたたかいを規準として、それを点検軸ととて進む解放運勣でなければならないはずです。

 「日本独占資本反対」ということばに間違いがなくとも、現実の具体的な世の中の運動の中で掲げるべき目標がある時に、故意にこのような、普遍的であっても抽象的である目標のみが掲げられることには、政治的な意図があるとしなければなりません。「日本人の意識の変化を待って天皇制をもんだいにする」ということばは、自らがその変化の的衛に立つことを放棄し、保守の側に立つことを表わしたものと、つかまねばならないでしょう。
 
 ですから、私は、先の構想の実現は、その連合を構成する党が質的に変わった上のものでない限り、私自身の解放にとって反動であり、反動の固定化であると、判断しています。そしてさらに、その連合政権というものは、量においては少数であっても、質において本ものであることで、必ず量においても多数となっていこうと、現在をたたかっている心あるひとびとを圧殺してゆくであろうとの予感を持っています。あるいはそこまでゆくのかもしれない、そしてそこでのたたかいの中で、はじめてほんまの統一戦線が生まれるのかもしれない、とさえ思うのです。
 
 「連合政権」という「統一戦線」ができるかできないか、それはその時々の情勢の中で決まっていくでしょう。しかし、私たちは、情勢をみてそれに合わせて何かをするのではなく、黙って世の中をたがやしつづけてゆかねばならないのだ。
 
 この間、釜が崎で活動しているNさんと話した時、彼がこんなことを言った。「学習会が数多くおこなわれているが、そこで学ばれているのは、マルクスやらの古典であるか、または日本各地のたたかいの記録である。日本人自身の手になる『共産党宣言』がない」。
 
 この指摘は、重い。

 同じことを、この秋の初めの頃に、京都で反戦市民運動を但っている、友人を多くあの戦争で失なったという労働者、全く労働者ということばのふさわしい感じの人ですが、その人から、次のように聞きました。「『ベトナムに平和を!』も含めて、いくつもいくつものスローガンを、その一時々の運動の中で言ってきた。しかし、本当のスローガンはひとつなのだ。すなわち『立て、万国の労働者!』だ。けど今は、運動の中でこう言うことができない。このスローガンを運動の中で発見するのでなければ、連合してゆくこともできないだろう」。

 二人が言っていることは、私たちはまだ、本当にひとびとの心にふれ、心々ゆり動かし、心をひとつにして敵に立ち向える、日本人の自立宣言を、見い出してはいないのだ、ということだと、理解しました。

 おそらく、天皇制の支配というのは、ひとの心をむしばみ、こういう宣言をひとびと自らが、自力で見い出すのを防げるという形で、あるのに違いありません。

 そして、日本の持つ問題の個別性に徹することで、その個別性をつき破り、国際連帯に向かおうとする運動は、水平社以来の部落解放運動の他は、まだその途についたばかりなのではないでしょうか。だからと言って、これからまた半世紀かかると言うのではなく、遠くない将来、今まで鍛えられてきた質と各地の運動がつながり、量の拡大に転じる時があると信じていますけれども。

 私たちは、当面、自分達自身の意識や、にんげん関係をたがやしつつ、個別にたたかいを進めねばならないのだと思います。世の中を、私たちの仲を、たがやして、はじめて統一戦線はなるのであって、それをしないで統一戦線を語ることは、田をたがやすことをしないで、なった米のとり入れの話ばかりしているようなものです。

 たいまつ社からの手紙にあったように、今後もひきっづきこの課題を追求してゆくことに全く賛成であり、私ももっといろんなかんがえを聞いてかんがえたいと思います。

 ゆっくりかんがえる時間のぜんぜんない中で書きましたので、事実の重さに比べて、ことばが軽くなり過ぎてはいないだろうかと気にしつつ、筆をおきます。