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十六年目の中国 (1991)


  私は1975年に日中友好教職員訪中団の一員として中国を旅した。まだ毛沢東が健在なときであった。次には1991年春訪中した。以下に復刻するのはそのときの訪中記である。『人民新聞』に載せたものである。2005年の昨今、日中間の間にはさまざまの問題が横たわり、その問題は民族の間の問題とされている。しかし、問題の本質は民族の問題ではなく階級の問題である。そのことを訴えるために、これを復刻した。


  四月二十七日から五月四日まで中国を訪問した。大阪で中国と貿易している人たちの団に加えてもらっての訪中であった。天安門事件以来中国への日本人観光客が減っていた。だが、湾岸戦争が終わってから中国への観光客が再び増え、この訪中期間はゴールデンウィークのあいだでもあり、日本人観光客がどこにもあふれていた。

  私自身中国訪問は二回目であった。十六年前の春に、上海、無錫、天津、北京を二週間ばかりまわった。十六年経って中国がどう変ったのかこの目で見てこようということが、個人的には目的のひとつであった。

すっかり変わった中国

  北京空港に降りた第一印象は、中国はすっかり変わった、ということであった。

  十六年前は、毛沢東が存命で張春僑が論文を発表したときであり、社会に緊張があり、外国人に対して誇りをもっているということが感じられた。そして、資本主義社会の日本から社会主義中国という「別の」社会に来たのだということを強く感じた。服務員の態度も街ゆく人民の態度も、われわれから見ると自信に満ちており、物質的にはまだまだ貧しくても、社会主義建設に誇りをもっているということに感銘したものであった。

  今回中国に入って感じたのは、アジアのひとつの国に来たということであって、別の社会に来たという感じはしなかった。かつて空港に掲げられていた革命スローガンや毛沢東の詞の巨大なパネルはなく、空港の服務員の表情にも生き生きとした自信が感じられなかった。中国は今、上から下まですべて経済である。一、二政府機関の人との懇談の機会もあったが、彼らはわれわれに経済と貿易のことばかりを話し、社会主義建設ということはいっさい話しにもならなかった。

  街にも農村にも自由個人企業があふれている。どの街にも、たくさんの個人のもの売りが並び、夜遅くまでやっている。観光地にももの売りが並んでいる。夜これらの夜市へ出かけ、彼らと片言というかハッタリの中国語と筆談でやりとりしながら、食べたり見て回った。日本の化学調味料とは違う本当の味があり、西安で食べた春雨のようなものを入れた麺料理と、蘭州のうどんのような麺にいろいろと具を入れたものが、特にうまかった。こうして、街を歩きながら感じたのは、大変なエネルギーで活気はあるが、巨大な中国が国をあげて金儲けに走っているということであった。

  そして、党と人民権力の崩壊である。五月一日はメーデーである。どこにも「慶祝五一」というスローガンは出ている。しかし、メーデーのテーマに中国共産党も中国革命もない。一般の労働者にとっては単なる休日である。五月一日に滞在していた西安ではデモ行進もおこなわれなわれず、城壁の上にさまざまのイルミネーションや飾りつけが出されているだけだった。三十、一、二日と中国の中央テレビは孫文を中心とする歴史ものを全国に流していたが、放送の終わりに出てくるスローガンは「中国はつまるところ同一国家、同一祖先である」「血は水よりも濃い」というもので民族主義のみであった。天安門広場には、天安門の毛沢東の像に向かいあって孫文の巨大な像が立てられているのみで、マルクスもレーニンもなかった。革命委員会や人民公社という人民権力は完全に解体して跡形もなかった。人民公社の地域は今は単なる行政区域となっているということであった。

  五月一日から、生活必需品、食料などの価格が二倍になった。賃金は平均十%しかあげられない。二十九、三十日には、自転車に野菜をいっぱい積んで帰る人が目についた。値上りの前に買っておこうというのだろうか。今のところ一応ものが豊富にあり食えているので、街をいきかう人民の態度も落ち着いている。しかし、日本の六〇年代の高度経済成長による矛盾の激化が七〇年闘争の土台になったように、中国の矛盾は激化しあらたな闘争を準備する。日本の六〇年代より急速に変化している。農村の視察は今回は出来なかったが、蘭州市の郊外の黄河遊覧の船つき場には、平日であるのに小さな子供ももの売りに立っている。通訳に聞くと彼らは学校にもいっていない。都市部と農村の矛盾、農村内部の矛盾も蓄積されている。自由市場で儲けた人間とそうでない人間の格差は広がる一方である。日本に帰った直後の新聞に、農村で万元戸が襲われる事件があいつぎ、万元戸たちが恐れおののいているということが出ていたが、さもありなんと思えた。

人民の怒り

  変質した党に対する怒りも蓄積されている。中国に住んでいる日本人に聞くと、「中国共産党は実態は利権屋集団になっている。とくに幹部の子弟が悪質で人民の怒りをかっている」とのことであった。だれも『六月四日、北京の血の日曜日』のことは言わない。深く心のなかにしまっている。だが、これは必ずもう一度噴出すると思わずにはいられなかった。現在の共産党や政府はいろいろ思想的引締めをしている。五月一日をひかえて人民日報に「マルクス、レーニン主義を活用しよう」という理論戦線活動家会議の模様が報道されていた。だが、北京で話をした中国人がいみじくも言っていたように「経済を自由化したら、必ず政治もこのままではいかない」。いくらひきしめても、経済を資本主義でいくかぎり、政治の自由化を求める声は何度も上がってくる。この人は、私が十六年前の中国と今の中国を比べて「前の方がよかった」と感想を言うと、「あの頃は皆心の中に信じるところがあって、自信を持っていた。今中国人は自信を失っている」と大変明確に言ったので、私自身、少々びっくりした。

  今の中国人で文化大革命を正面から肯定的に言う人はまず、いないだろう。文革のなかに政治主義的な行き過ぎ、誤りがあったことは確かである。だが、現在の中国を見れば、文革は、このように経済に走ってはいけないということで発動されたのであり、それはやはり本質的に正しかったと言わざるをえない。「中国革命の過程ではらわれた巨大な犠牲は、このような金儲けに走る中国を生みだすためだったのか」という声が、必ず中国人民の中から出てくることはまちがいない。そう思った。

中国の魅力

  一方で私は、やはり中国に惹きつけられる。中国文明は、特に日本人にとっては、かぎりない魅力というか、魔力のある社会で、惹きつけられたら離れられないという力をもっている。

  西安では、人民の悠々とした生活に心を惹かれた。西安城壁の上を歩いていると、下から二胡の音が聞こえてきた。城壁の下の広場の深い街路樹のもとで、二、三人が得意の二胡を奏でていて、それを取り囲んで何人もの人が聞きいっていた。なんというか、日本では忘れてしまった時間の流れが感じられて、大変懐かしい感じがした。街を行く自転車の流れにも、まだまだ悠々としたものが感じられて、やはり中国は奥の深い社会だと思ったた。西安では、秦の始皇帝陵を見学した。兵馬俑にはやはり圧倒された。日本にも少し来て展示されたが、あれが始皇帝陵という小高い丘の回りに埋め尽くされている。そのごく一部が発掘されてそのまま見学できるようになっているのだが、中国の権力者のスケールはやはりケタはずれである。

  蘭州まで行った。沿海部の中国とはまったく趣がちがう。ここまでいくと、中国の広さというか、大きさを痛感せざるをえない。黄河をさかのぼり炳霊寺の石仏を訪ねた。細かい砂の土地で植物はあまり生えていない。そこで羊や馬が飼われている。こういう風土のなかで、あのような巨大な仏像が彫られているのを見て、長い歴史と人間の営みの大きさを感じた。また、飛行場から蘭州市内までの道の両側には街路樹が植えられて、高く育っていたが、長い時間をかけて育ててきたということが良くわかった。

  日本から中国に入ると、はじめは日本のきらびやかさと比べて、空港や街の暗さが感じられる。二、三日すると目がなれて、それからは、日本の見かけの美しさは上べのもので、いろんな矛盾がある中で、本当の人間らしい生活が中国にあるように思うようになる。

われわれの闘い

  こうして、たいへん短い時間のあっというまの中国訪問は終わった。この巨大な中国の巨大な矛盾は、このままではどこかで爆発する。だが、東ヨーロッパのように西側にのみこまれる、という形にはならないだろう。中国人民は、内部から、この爆発を新たな革命に転化していく方向を必ず見いだすと思った。最近中国を訪問する日本人が、中国はまだまだ遅れているというところから中国に対して優越感をもつようになる場合が多いと思う。これは、中国人自身が自信を失っていることの裏がえしであるが、このような優越感は底の浅いものであり、日本人がいい気になっていると、かならず大きなしっぺ返しにあう。

  中国人の多くは、心の中で日本人を軽蔑しながらも、経済主義に陥り、日本の経済発展の方向で進もうとしている。中国人のガイドの一人は、日本語を勉強したのは日本に行きたいからだと行っていたが、とにかく中国を出て外国へ、というのが、沿海部の都市に渦巻いている。

  だが、中国が経済に走ったその貧しさというものは、歴史的に形成されたものであり、実は帝国主義が作りだしたものなのである。だから、本当に中国を発展させようとすれば、目前の経済的成果を追い求めるのではなく、やはり、帝国主義に対して闘い、社会主義を目指す以外にないのである。資本主義が中国の貧しさを生みだしたのに、資本主義によってそこから脱却しようとするのは、不可能だ。

   われわれは、この日本で、アメリカの従属下で軍国主義にむけて走りだした政権に対して、その権力を倒し、真の平和を実現するという基本で団結し闘わなければならない。そこに本当の国際主義があり、日中友好がある。われわれは、日本と中国の近代・現代の歴史を尊重するのならば、現在進んでいる日本の軍国主義化の動きに対して闘うことである。

  中国を訪問して、現在そのように考えている。