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電子軽印刷の現状と未来


  私はかつて、印刷業界で若干の仕事をした。1993年秋、ある業界紙の求めに応じて、この業界の展望をまとめた。 以下はその主要部分の復刻である。


はじめに

  「電子軽印刷」という言葉は最近使われるようになった。その意味はおよそのところ、「文字のデジタル化、パーソナルコンピュータの普及、通信回線による結合といった電子工学の発達によって可能となった、大規模設備を必要としない編集・印刷の全体系」といったところである。EP(電子出版、電子印刷)という言葉があるがこれを用いて表現すれば「パーソナルEP」である。パソコンという言葉がコンピュータのパーソナルな利用のすそ野を広げたことによって生活のなかに根づいたように、到来しつつある電子軽印刷の時代は、印刷や写植をひとりひとりの生活のなかに根づかせようとしているのである。

印刷産業にとっての時代認識

  技術の発展からみると、現代は情報技術の時代である。この技術は、人間が言葉を獲得したことと同じくらい大きな意義を、人類史上に持っている。かつて、サルからわかれ直立したヒトが区切って声が出せるようになり、この有節音の獲得が人間に言葉を与え、思想を可能にしたように、情報技術は人間に新しい知恵、つまり個の尊重と協働して生きることとの両立を可能なものにする。人類はいま、真の民主主義を実現する可能性を生みだしたのである。

  情報技術が準備しつつある民主主義については、印刷産業の頭脳集団のなかからも発言がある。現在の文字処理技術の転換の意義をとらえようとした労作『電子編集システムのすべて』(印刷出版研究所1992年発行)に「あらゆる産業が画期的な技術革新によってその形態が変化してきたのと同様に出版・印刷においても電子化という作業プロセスに移行することで、例えば出版者・一般企業と印刷会社との間の役割分担の変化や、原稿作成から版下制作までの方法論の変化が、これから起こってくることは明らかである。その本質は、これまでの特殊な設備による専門的な方法から、より一般的な方法で版下作成がおこなわれる道が拓かれることであり、大げさに言えば広義のパブリッシングの民主化の扉が開かれたともいえる」といっているが、まったくそのとおりである。

  けれども、今日の技術革新が用意したのは可能性としての民主主義であって、これを現実のものにかえるのは現代社会の問題である。「電子軽印刷の現状と未来」という課題も、技術の発展によって生まれた可能性をいかに現実にものとするか、ということなのである。時代はまちがいなく大きな転換点に向かっている。

  このときに、印刷業者、写植専業者の未来という立場から絶望にも似た悲観論もきかれる。平成不況のこれまでの不況とは質の異なる深刻さと技術革新の急激さに対する悲鳴である。“印刷業がお客様から独占的にまかされ、受注していた文字や図版・画像などの加工処理は、今、お客様自身でやれる、印刷会社に頼らなくても何とかなる、という印刷業「冬の時代」を迎えようとしている”などという考え方である。しかし、連綿と続いてきた印刷産業の歴史はとだえることはない。1991年度の印刷産業の市場規模は8兆1700億円、2000年の印刷産業の市場規模は15兆円に達すると予測されている。問題は、総合情報処理サービスへという、歴史が求める業態変革を実現できるかどうかという企業自身の問題なのである。

日本語はコンピュータを持つ言葉

  地球上の言葉は皆それぞれの歴史をもっている。言葉の歴史のなかで、コンピュータを持つ言語となるということは、非常に大きな意味をもつ。それもまた電子工学技術の発展がなければ不可能であった。日本にコンピュータが普及しはじめようとしたころ、日本語をカタカナ化しないとコンピュータになじまないのではないか、という議論がなされた。しかし、パーソナルコンピュータハードウェアの発展とそれを生かすソフトウェア技術の進歩は、文字をデジタル化してコードをあてはめることで制御し、かな漢字変換を実現することによってキーボードからの入力を実現し、パーソナルコンピュータを日本語化することに成功した。つまり、「日本語はコンピュータを持つ言葉となった」のである。これは、ヨーロッパの言語以外では初めてのことであった。

  日本語がコンピュータを持つようなれば、当然次の段階として文字処理に進む。

  数年前から日本でもデスクトップパブリッシング(DTP、すなわち卓上出版)という言葉が使われている。アメリカで生れた考え方であり、日本にも移入された。けれども個人ユーザーや企業でも、まして印刷関連業界でも、アメリカやヨーロッパで一般化したような形でのDTPはいきわたっていない。なぜ日本語ではアメリカ式のDTPは広まらないのか。結局は表意文字を用いる日本語の性格に出会う。アメリカ語・英語では、アルファベットは26文字、大文字を含めても52文字、色々な約物を加え100種類のフォントをそろえても6000個である! 日本語の第1水準と第2水準のフォント1書体分である。ハードの準備、フォントのメンテナンスまで考えれば、個人ユーザーには荷が重すぎる。結局、DTPとして商品化されているものは、それほど多くのフォントを積んでいるわけではなく、印刷業界から見れば仕事にならない。

  やはり、日本語においては、膨大なフォントの蓄積をもつ電算写植を、いかにデスクトップから使えるか、ということがカギである。パソコン、ワープロの普及は、文書、図形、表の処理と、手元のプリンターによる出力を可能にした。たしかにこれだけでも日本語としては画期的なことである。だがその次の段階、つまりパーソナルなレベルで多数の文字書体をそろえることは、日本語や中国語や朝鮮語・韓国語などの漢字文化圏では、なかなか難しかった。それでも、時代の流れが「一人一人に開かれた言語処理システム」に向うことは人間歴史の技術の流れからしても必然であり、この方向に進む技術はいずれにせよ発展し、この方向に逆行するものは、いずれは衰退する。これは法則である。ならばそれをいかに実現するのかである。

フォントメーカーの社会的責任

  言葉は文化の基礎であり、言葉は文字として記録しうるものになってはじめて広く共有される。文字と記録は一体であり、結局文字の問題の大半は印刷の問題である。印刷文字とは、具体的には、字母(文字フォント)である。それぞれの文化は固有の長い印刷の歴史をもっている。

  英語を中心とするアルファベット文化圏の歴史的文化資産としての文字フォントは、DTPソフトの文字フォントに継承されている。ここにグーテンベルグ以来の活版文化が息づいているのである。

  では、日本語ではどうなのか。日本でも中世・近世の木版、そして近代・現代の鉛活版以来の長い活字文化があり、それが今日では、写植文字盤・電算写植文字フォントとして日本文化全体の貴重な資産となっている。写植(写真植字)自体が、数十年におよぶ長い研究の歴史があり、近代日本文化の土台となってきた。個々のフォントの作成には、写研やモリサワなどフォントメーカーの先人の血のにじむ苦労が集約されている。

  このような写植文字版・電算写植文字フォントを利用するにあたって大きな問題が存在する。文字フォントの著作権の保護と、それをいかにオープンなシステムの中で使用できるようにするのか、という問題である。一年半前、『日経バイト』1992年2月号と『にっけいでざいん』3月号に、相次いで、日本語タイポグラフィーの今後について、特集が組まれた。そのなかで、写植メーカーの考え方も紹介されていたが、特徴的なのは写研の次の考え方であった。《「写研のフォントは写研の印刷機のもの」(同社の杏橋達磨企画宣伝部次長)》(『日経バイト』2月号)。《「文字を売らないのが我が社のポリシー」(写研、杏橋氏)》(『にっけいでざいん』3月号)。

  これはひとつの考え方である。だがそれでも、先に述べたように、時代の流れが「一人一人に開かれた言語処理システム」に向うことは、法則である。文字をデジタル化し十分な精度をもって出力することが可能になり、しかもデータが通信をとおして共有することができるようになっている、という技術の発展は、すべての制作現場がオープンな個別のシステムから自由に文字フォントを活用することにより、いっそう豊かな表現を実現するという社会的力を可能性として秘めている。これが可能性である。

  それを実現するためには、1)フォントとハードは切り離し、オープンなシステムの上に載せること、2)フォントを社会的財産として保護するとともに公開し、一定の使用料で第三者が使えるようにすること、という2点が実現しなければならない。

  長い伝統の上にある日本の写植書体を、社会的に尊重し保護するとともに、自由に利用できる環境を生み出すことは、社会の要求なのである。

  1993年3月、写研はモリサワの「新ゴシック体」は写研の「ゴナ」を複製したものであるとして、製造・販売の中止と損害賠償を求めて、大阪地方裁判所に提訴した。この問題の真の解決も、書体デザイナーの権利保護という課題と、書体のオープンな社会的利用という課題との社会的な統一がなければ得られないであろう。

  国家と社会、フォントメーカーの社会的責任にもここにある。日本のフォントメーカーが、先の1)、2)を基本的な経営政策として確立し、日本における電子軽印刷の発展を支えていくよう願うものである。

電算写植・電子組版ソフトの現状

  一般商業印刷・出版で使われている写植文字をパソコンで利用するようになったのはこの10数年のことである。フォントの質とともに出力センターというかたちでの出力環境がととのってきたこともあって、写研はいっそうデジタルフォントの売り上げを伸ばし、シェアを拡大した。

  最初のころのパソコンソフトは、写研の電算写植用PDL(ページ記述言語)としてのSAPCOLをとにかく利用するというところからはじまった。この、組版の指定をするファンクションを文章のなかに混在させて、コーディングデータをつくり、これをコンバートするというバッチ処理のためのソフトが最初は主流であった。(株)アルクスの「ワークス」、(株)トータルメディア研究所の「パルナ」などである。バッチ処理(一括処理)システムは、大量の文書を一気にすばやく処理できるという長所をもちながらも、オペレーターは出力機で出力してみるまで、組版結果がどのような状態か確認することができず、指定方法がかんたんではなく、一定の訓練を受けないと使えないという難点があった。

  1990年代にはいり、新たな対話型のツールの時代が到来する。いくつかの先駆的なソフトに続いて、秀和システムトレーディング(株)の「ソフィア」は、コーディングデータをパソコン画面上にプレビューし、(有)ケイズシステム研究所と(株)ライン・ラボの「みえ吉」はパソコン画面上で自由にレイアウトした文字や罫線を自動コーディングした。画面でみながら、という対話型(WYSIWYG)システムは、でき上がりをつねに見ながらマウスやキーボードで何度でもやりなおすことができ、制作過程が見えやすく、初心者でもわかりやすいという長所の反面、一般には大量データの処理にはむかないという短所がある。

  かくして、手動写植機をもその一部として位置付け、手動機と電算、電算でも専用機とパソコンソフト、パソコンソフトでもバッチ処理と対話型を、それぞれ、使い分けることがいちばん現実的な効率化のありかたとなっている。ひとつのシステムで何から何までまかなおうという考え方ではダメなのである。印刷や写植にたずさわるそれぞれが、制作物の内容によって最適なシステムを採り入れ、使い分けていく時代がやってきたのである。

  1993年4月、写研は100書体を同一画面上で自由に使えるタショニムシステムを発表、これまでの体裁制御コマンドによるテーブル式書体指定から書体名ニモニックによる直接指定への切り換えをはかっていくことを発表した。この新ソフトウェア、新ソフト搭載のハードウェア、対応デジタルフォントの発表に対応して、全国の出力センターも順次、これに対応、電算写植ソフトウェアは新たな対応が求められている。

  出力センターは、膨大なフォントの蓄積をもつ電算写植を、いかにデスクトップから使える環境を作るか、という問題のカギである。一定の地域ごとにに出力センターが設置され、それが各制作現場や個人と通信で結ばれている、ということがまさに社会基盤の重要なひとつである。

電子軽印刷の未来

  電子軽印刷はこれからどういう方向に進んでいくのであろうか。

  これを決めるのは、1)電子工学技術の発展の度合、2)ハードウェアの標準化、互換性がどこまで実現するかという問題、3)デジタル回線のような社会的基盤整備の度合、4)文字処理、画像処理の規格標準化の進展の度合、5)各言語の特殊性をどこまで実現するかという問題、6)そしてフォントメーカーがどういう方針をとるか、などの要因である。

  では、現在の技術のなかで、やろうと思えば実現できる、電子軽印刷のあり方は何か。

  1)基本システムがオープンであり、既存のハードウェアが利用できるとともに、ハードウェアの進歩がシステムの拡大を可能にすること。2)フォントを社会的財産として互いに認知し、保護するとともに公開し、正当な対価で自由に利用できること。3)日本語組版で電算写植の実現している組版精度を、オープンなシステムの中で得られること。4)電算写植出力センターと公衆回線でつながっており、出力機の要求するデータ形式へのコンバートが安定しており、転送が容易であること。5)高水準の出力が手元で得られること。出力センーターとデジタル回線でつなぎ、出力センターの電算写植機で組版したうえで、高細密ファックスイメージに展開し、デジタル回線で返送して出力する。技術的に不可能なことは何もない。

  これによって電算写植フォントを公共の財産としてロイヤリティーに対する対価を支払いつつ、個人から、企業から、そして印刷専門業者までが、広く普遍的に活用することができる。こうなると、情報処理と印刷は完全に一体である。印刷業が「刷ったものが最終製品」との認識から転換し、「デジタル化された文字情報を縦横に活用する」ことを柱にしていかなければならないし、ここに電子軽印刷を駆使する業界の未来がある。つまり、総合情報処理サービス業へ脱皮せよ、ということである。

  ひとこと付け加えると、マルチメディアが研究され、いろいろと言われるようになった。が、やはり文字と画像の統合処理といっても基礎(土台)は文字処理であり、文字処理プラスアルファ、である。本稿「電子軽印刷の現状と未来」を文字処理の分野にしぼったのはそのためである。

ユースウェア業の確立

  新しい業種としてのユースウェア業が注目されてきている。技術革新の方向性をしっかりと掌握し、「デジタル化された文字情報を縦横に活用する」ために、ハードウェアとソフトウェアの現状からそれぞれの現場に最適のシステムを提案し、サポートする、これがユースウェア業の内容である。このような業務は、社会的に認知され対価が正当に支払われているかといえば、まだそうはなっていない。しかし、ハードウェアとソフトウェアは正しく結合されてはじめて真価を発揮する。

  ソフトウェアの流通、販売の立場からもサポートの体制と内容のもつ決定的意義が注目されるようになった。これからのソフトウェアの競争は、製品の品質の差はもちろんだが、その差自体があまりなくなってきているいま、アフターサポートや教育・研修体制の優劣で差がつくというのである。文字処理の分野におけるシステムサポートでいえば、ハードウェアとソフトウェアの双方に通じしかも、制作の現場を知っている者にしかできない。各分野でノウハウをもつものがそれぞれの業界でユースウェア業を確立していくことが、日本にコンピュータ文化を根づかせていく原動力である。

  コンピュータと印刷技術とを結合し、総合情報処理印刷業への転換をはかる、という印刷産業そのものが求められている業態の変革にこたえていくためにも、また、現場レベルでいえば、さまざまなシステムの使い分けのノウハウをうちたてていくためにも、印刷システムインテグレーターとしてのユースウェア業の確立は急務である。

われわれの生きる道としての協同化とコンピュータ化

  現在の社会では、技術発展の方向を見抜きそれに合致した方針を持ちえた企業のみが生き残り発展しうる。そして最後を決めるのは現実にに技術を用いる生産現場であり、その技術の担い手である。

  今日の社会はまったく非情な弱肉強食の社会であって、われわれ中小・零細企業は一つ方向を間違えば、消されていく運命である。このようななかでわれわれ中小・零細企業の生きる道は、1)技術の発展方向を正しく洞察し、目的意識的に技術革新を受け入れ、2)協同化して互いに支えあう関係を結ぶ、以外にない。そして、根本的には、社会化した生産にふさわしい生産関係を生みだす以外にない。

  最後に、技術発展のもたらす人類社会の可能性に確信をしっかりと持ち、未来を見通しつつ、現実は、一歩一歩、助けあい支えあって前進しようと呼びかけ、終わりたい。