◯「つくる(作る)[tukuru]」行為を成立させる根拠としての場。
このよう対応はいくつか見られる。 ◇作る[tukuru]−所[tokoro] ◇括る[kukuru]−心[kokoro] ◇くるむ[kurumu]−衣[koromo]
「つくる」はまず「田を耕す」の意になる。
◇あしひきの、山田を豆久里(ツクリ)(『古事記』下・歌謡)
◇あしひきの山田佃(つくる)子ひでずとも縄だにはへよ守(も)ると知るがね(『万葉集』一〇・二二一九)
さらに「栽培する」に広がる。
◇天の下の公民の作り作る物は、五(いつくさ)の穀(たなつもの)を始めて、草の片葉に至るまで(『延喜式』祝詞‐竜田風神祭)
そして、ある材料から別の新しいものを生み出すことを意味する。
◇八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣都久流(ツクル)その八重垣を(『古事記』上・歌謡)
つくるはたらきのなされる場であり、つくる行為の根拠となる場が、ところなのである。
◆「働くことを成立させる場所として限定された域」を意味する。「ところ」は大きくさまざまに展開する言葉であるが、この根本の意味は一貫している。具体的な場合も、抽象的にある話題の中に占める一定のことを表す場合も、時間的な場合もある。つねに人の行為を可能にする場という意味を基層に持つ。
一定の権威ある行為の根拠として、他よりも高く平らになった区域、さらに転じて周囲よりも際立っている区域を表す。
▼区域として限定された「もの」。あるものが存在したり、何らかのことをおこなう具体的なものや空間内一定の位置、領域をいう。
▽部分。小高い区域。 ◇『古事記』上「吾が身は成り成りて成り合わざる処一処あり」 ◇『万葉集』四二八八「宮の内に千鳥鳴くらし居む等己呂(トコロ)無み」 ◇『竹取物語』「いざかぐや姫、きたなき所にいかでか久しくおはせん」 ◇『徒然草』「あやまちはやすき所に成りて」 ◇『風流仏』幸田露伴「其れは額に黒痣(ほくろ)ありてそのところに白毫を付けなばと考えし」
▽空間的、地理的な区域、場所 ◇所変われば品変わる。抽象的にも具体的にも用いる。 ◇月世界はどんなところか。 ◇見えないところで悪事を働く。 ◇どんなにすばらしいところかと思った。 ◇『和解』志賀直哉「母はまた叔父の所へ行って」 ◇『杜子春』芥川龍之介「今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当たる所を夜中に掘ってみるがよい」
▽住んでいる場所。住所、居所。また、そのあたり一帯。現在では「所番地」の意でも用いられる。 ◇所と名を聞く。 ◇わたしのところへきませんか ◇『山家集』下「山深み榾(ほた)伐るなりと聞こえつつところにぎはふ斧の音かな」 ▽その者の所有している区域。領地、荘園などをさしていう。 ◇『今鏡』六「親の譲りたるところをとり給ひけるを」
▽都を離れたいなか、在所のあたり。地方。いなか。また、「所の…」の形で、その地方に所属する意を表す。 ◇所の酒 ◇『増鏡』一一「心ちよげに、所につけては又なく見えたり」
▽「くろうどどころ(蔵人所)」の略。→所の衆。
▽「むしゃどころ(武者所)」の略。 ◇『平家物語』四「あれは先年ところにありし時も」
▼区域として限定された「こと」。抽象的な事柄について、その全体の中での位置関係などを示す。
▽(連体修飾語による限定を受けて)そういう箇所、その点などとさしていう。 ◇『源氏物語』帚木「直しひきつくろふべき所なく、心にかなふ様にもやと」 ◇この文章は終わりのところが不明瞭だ。 ◇『大和古寺風物誌』亀井勝一郎「奈良近郊でも私の特に好ましく感じたところは、薬師寺付近の春であった」 ◇私の言いたいところはここだ。この話のおもしろいところは本当にあったように感じることだ。何ら得るところがない。
▽(多く「所を得る」などの形で)位置や地位をいう。
▽(連体修飾語を受けて時間的な位置、または時の段階を表す)その折、その場合などとさしていう場合にもその時を漠然と限定してさす場合にも用いる。 ◇『枕草子』二五「待つ人ある所に、夜すこしふけて忍びやかに門(かど)たたけば」 ◇出かけようとしているところに電話が鳴った。 ◇門を出たところで彼に会った。(このばあい地点を意味するとも時を意味するとも、とれる。) ◇今のところ足りている。今日のところはこれで帰る。 ◇もう少しで間に合う所だったのに残念。
▽(人を表す語を含む連体修飾語を受けて)その人、その人の家、またはその人に関することを遠まわしに表現する。 ◇『源氏物語』帚木「式部が所にぞ気色(けしき)ある事はあらむ」
▽数量を表す修飾語を受けて、その程度の数量である意を示す。その下に助詞を伴わないで、連用修飾に用いられることも多い。 ◇一〇円がところを五円でいい。三日がところ五日にしよう。これくらいのところかな。
▽連体修飾句を受けて、その語句の表す事柄の意に用いる。…ということ。この用法は次の「語の限定」でもある。この用法もまた古代中国語「所」の訓読みに由来するのかどうかは不明。 ◇『源氏物語』若紫「おぼされん所をも憚らずうちいで侍りぬる」 ◇『今昔物語』一六・二八「見ればもの食う所有りとも見えず」 ◇今はそれどころではない。 ◇聞くところによれば、近く転勤されるとか。
▼語の限定
もともとは古代中国語「所」の訓読みに由来する。「ところ」に意味が通じるので古くからこの用法があった。用言の叙述を受け、「ところの」の形で体言へ続ける。「所」が古代中国語で受身の意で用いられるのを直訳した表現として使用され、近代ではヨーロッパ語の関係代名詞の翻訳語としても使われて、多用されるようになった。 ◇『竹取物語』「たてこめたる所の戸」 ◇私の知るところではない。 ◇派手な色を用いているところがこの特徴だ。
▽(「…をしたとき」の意から変化して、接続助詞のように用いる)上の句の叙述を受けて、下の述語に続ける。候文などで多く用いられた。 ◇『御堂関白記』長和五年一二月二八日「園池下薬殿薬生男為人被害、経通朝臣仰、見侍之処、已死去者」
▽漢文読み下し文 ◇原典『十八史略』「襄公為弟無知所弑、無知亦爲人所殺」読み下し「襄公は弟の無知の弑する所となり、無知もまた人の殺すところとなる」
▽ここから西洋文の関係代名詞の訳語に用いた。 ◇私が知っているところの病院 ◇法の及ぶところの範囲
▽面積をあらわす「町」の古訓の一つ。『日本書紀』安閑元年閏一二月(寛文版訓)「元合(おほすへ)て肆拾町(よそトコロ)を奉献る」