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いる(居る)

いる(居る)[iru]

◯あろうとして、そしてそこに「ある」こと。「いる[iru]」はそれ自体もっとも基本的な言葉である。さらに分解すれば「い[i]」が動いてこの世界に現れることであり、「る[ru]」はその状態を生み出す行為を意味する。

◆この世界のなかを移って現れること。自分の意志で動くものが、動いてきてある場所に「存在する」。動いてきて、そのうえで、動かずにあること。

「いる」はいることを見つけたとき、言葉となることである。なにかのものが「いる」と発見できるのは、それが移ってきてそこに存在するからである。「いる。いる」と発見できるのは、それが「存在する」からである。そこから、発見者の行為とは関係なく一般的に「いる」ことを表すようになった。

一般に植物は「ある」と言う。「いる」とは言わない。しかしある植物の生態を研究しているものは、「椿がいる」と言うことがある。そのものとしての植物が、人に存在を訴えるとき、人は「いる」ととらえる。また「咲いている」と言い「咲いてある」とは言わないように、ものとしての植物の心を感じとるときにも「いる」と言う。

◇『日本書紀』武烈即位前・歌謡「琴がみに来(き)謂屡(ヰル)影媛(かげひめ)」

▼「いる」は、本来は高さの低い状態になる、の意であり、「立つ」に対する語として具体的な「坐る」「住んでいる」などを表す言葉であった。近代になってこの言葉の抽象性が高くなり、現代日本語ではもっぱら「存在する」の意に用いるようになった。

◇『万葉集』四〇〇三「立ちて為(ヰ)て見れどもあやし」

◇なんだ、こんなところにいたのか。 ◇大勢の中には違った考えの人がいる。 ◇今日は一日家にいる。 ◇部屋にいるので用事かあれば呼ぶように。 ◇トラはインドにいる。 ◇『古事記』中・歌謡「上枝(ほつえ)は鳥韋(ヰ)枯らし」

▽ここから、ある地位に着く、居場所をさだめる、なども表す。 ◇『落窪物語』四「御女(むすめ)の女御、后にゐ給ひぬ」 ◇『徒然草』一二三「第一に食物、第二に着る物、第三に居る所なり」

▽植物や無生物の場合に、本来動くものが動かないであること。 ◇『万葉集』三三五七「霞(かすみ)為流(ヰル)富士の山辺(び)に」 ◇『万葉集』三二〇三「渚(す)に居(ゐる)舟の漕ぎ出なば」 ◇『枕草子』一七八「池などある所も水草(みくさ)ゐ」

▽怒りがおさまる。気持がしずまる。 ◇『平家物語』九「梶原この詞に腹がゐて」 ◇『古今集遠鏡』三「夢に見たばかりでどうして心がゐやうぞ」

▼補助動詞になる。動作、作用、状態の継続、進行を表わす。 ◇じっと見て(聞いて)いる。 ◇もちろん知っていました。 ◇手をこまねいている。 ◇『徒然草』三二「物のかくれよりしばし見ゐたるに」 ◇見ず(聞かず)にいる。 ◇知らないでいました。

▼「いる」の類語に「おる」がある。「おる」は「いる」ものの意志、主体性を否定して、「ある」に近づけた語。他者に対して用いるときは軽蔑の意味がこもる。 ◇そこにおるように。 ◇ちょうど家におった。



2014-10-08