◯こと(言)をわる(割る)ことにより明らかとなること。こと−を−わって人が知った−そのもののこと。ことをわって開かれたより深いこと。
◆こと(言)をわる(割る)ことにより明らかとなること。ことをわって人が知ったそのもののこと。ことをわって開かれたより深いこと。これがことわりである。
「こと」は、生々流転する世界を一つのまとまりで切り取りつかむ作用によって得られる内容そのものであり、したがって「ことわり」は、つかんだ「ものの道理」、ものに内在する道理を意味する。ものは人の意のままにはならない存在であるがゆえに、ことわりは人の力では支配し動かすことのできない条理、すじ道、も意味する。
ことを割ることは人間が生きてゆくことそのものである。生きてゆくことはいずれにせよ一つ一つの困難と向きあっていくことである。「もの」としてとらえられた人生の厳格さを聴きとり、それを自己の生き方に表す、それが「ことを割る」ことである。人生とはことわりの人生だということもまた、人生の厳格さである。
世界はいきいきと輝き運動を続けている。人間もまたこの世界のなかでいっとき輝きそして生を終えてものにかえる。そのいっときを「いのちある」ときという。いのちあるとき、それを生きるという。人が生きる内実は、「こと」の内に入って「こと」をつかみ、人生を動かしていくことである。この営みを「ことをわる」という。人生とは「ことをわる」営みそのものである。里はことをわるところであり、ことわりの智恵をつたえるところでもある。
「ことわり」は「ことわるまでもないことだが」のような用法を仲立ちにして、拒絶するという意味まで拡がった。家や村やなどの内で「こと」を荒立てることは、日常生活の流れを断ちきることであった。それがつまり「ことをわる」ことであり、日常生活を「断る」ことであった。協働の場の慣習的な任務に異議を唱えることが「ことわり」であり、したがって日常生活を「断つ」ことを意味する漢字が当てられた。
人のいのちのいとなみそれ自身が「ことわり」であり、さらにそのうえでの「語らい」である。人が生きるということは何かしら「こと」を荒立てることなのである。
▼もの(物)のことを明らかにする。筋道を見出したり、筋道をつけたりすること。◇『源氏物語』浮舟「それもさるべきにこそはとことわらるるを」◇『徒然草』「(関東の人は)にぎはいゆたかなれば人にはたのまるるぞかしとことわられ給ひしを」
▽道理があるとする◇『源氏物語』竹河「(先に女御になって)久しくなり給へる御方にのみ(人々は)ことわりて」
▽判断をする◇『枕草子』八三「まづこれはいかに。とくことわれ」
▼「こと−を−わって人が知った−その中味」から、そのものに内在する条理◇『日本書紀』敏達元年六月(前田本訓)「有司(つかさ)、礼(コトハリ)を以て収め葬る」◇『万葉集』六〇五「天地の神しことわり無くこそは」◇『万葉集』八〇〇「妻子(めこ)見ればめぐし愛(うつく)し世の中はかくぞ許等和理(コトワリ)」◇『源氏物語』須磨「おぼし歎きたるさまもいとことはりなり」
▽判断の内容◇『源氏物語』須磨「泣く泣く申し給ひても、そのことはりをあらはにうけ給はり給はねば」
▽説明の内容◇『源氏物語』帚木「(雨の夜の品定めの場で)中将は此のことはり聞きはてむと」◇『源氏物語』宿木「いみじうことはりして聞ゆとも、いと著(しる)かるべきわざぞ」
▽あらかじめ了解を得るために説明する◇『栄花物語』駒競の行幸「年頃の風病、ことはり申して、まかりさりぬべかめりと申し給ふ」
▼断ること。
「ことわり」は「ことわるまでもないことだが」のような用法を仲立ちにして、最後は拒絶するという意味まで拡がった。家や村やなどの内で「こと」を荒立てることは、日常生活において当然のように流れている毎日の時間を断ちきることであった。それがつまり「ことを割る」ことであり、日常生活を「断る」ことであった。協働の場の慣習的な任務に異議を唱えることが「ことわり」であり、したがって日常生活を「断つ」ことを意味する漢字が当てられた。
しかし実は人のいのちのいとなみそれ自身が「ことわり」であり、さらにそのうえでの「語らい」であると考える。人が生きるということは何かしら「こと」を荒立てることなのである。この現実を覆い隠すことはできない。◇「お断りします」
※英語「inte-llect」の意味は「わり=inte,こと=llect」つまり日本語の順では「こと―わり」であり、それはまたギリシア語の「dia-logos」する働きでもある。「dia」は割ることであり、「logos」はまさに日本語の「こと」に対応している。「logos」は言葉を意味するとともに問題になっていることの真相を意味する。それが指示する内容が「こと」である。「dia-logos」は「対話」と訳されるが、その言葉の構造はこれまた「ことわり」と同じである。
「ことをわる」とは、ことを間にして互いに「語りあう」ことでもある。ことに導かれて心のなかで語りあう、それが「考える」ということである。ここには、人間の心の普遍がある。
そして、「理(ことわり)の学」が philosophy の本来の意味である。中江兆民は,philosophyを「理学」と訳した。 philosophy を日本語のなかでとらえ、訳そうとする意思が働いていた。福沢諭吉もまた言葉を『易経』から直接にとって「窮理」と訳している。「ことわりを窮明する学」としての「理学」こそ、 philosophy の訳として日本語にうらづけられたものであった。
「ことわりの学」として philosophy をとらえるなら、少なくとも江戸末から明治期に出会った西洋を、主体的に、言葉の内部からとらえることができる。このように、日本語によって裏付けられた言葉を訳語にあてることが、兆民や諭吉によっていったんはなされた。
しかし、明治政府は「理学」を捨て「哲学」を採用した。「当時フィロソフィーを哲学と定めた西周が、明治十年東京大学創設と同時に文学部に哲学の科目を設くるに及んで此言葉を採用せしめたことから確定語のようになった」(小川甫文「近代日本の哲学思潮」、理想社版『哲学講座』第三巻)。
「哲学」は、近代の中国西学が philosophy の訳語として転用した「希哲学」を西周が採用し、さらにそれから西が造語したものである。そして「理学」は自然科学と数学の総称になったが、これは日本語の中からその意味が定まる用法ではなかった。
philosophyを日本語で受けとめた「ことわりの学」としての「理学」か、漢字造語の根なし草言葉「哲学」か、ここに近代日本の分岐点が象徴されている。
われわれはいま、「ことわりの学」として philosophy をとらえ直すべき地点に立っている。
※「ことわり」は源氏物語で多用される。源氏物語は、はじめて日本語で深く人間を表現した。その表現された内容こそが「ことわり」であり、また、人が生きる場のあり方も「ことわり」としてとらる。「ことわり」は源氏物語を貫く基本的な考え方である。
七、八世紀は中国語の取り入れが全盛であった。しかし日本語の深部では固有の言葉がゆっくりと育っていた。万葉集にすでにその現れがある。大きく開花するまでにはさらに二百年を要した。九世紀末になって遣唐使が廃止、さらに百年たって源氏物語が現れた。源氏物語によって初めて日本語は深く人間を表現した。その表現された内容こそが「ことわり」である。混成語の熟成にはそれだけの時を要した。