next up 次: 問題一覧 上: 高校数学の方法

はじめに

高校で数学を学ぶ意義

なぜ小学校,中学校,高校で数学は必須の科目なのか.結論をいえば,現代の世界では人間が生きるうえで数学がなくてはならないからである.それは二つの意味でいえる.

第一,現代文明は数学なしにはありえない.数学を身につけなければ仕事もできないし,人間的な生活をおくることもできない.

現代の文明は,あらゆるところで数学が基本的な方法として用いられている.身の回りにあるテレビ,パソコン,携帯電話などの情報機器,鉄道,飛行機などの交通機関,橋やビルなどあらゆる建造物,すべて数学なしには設計もできず建設もできず,運転もできない.つまり存在しえない.また,あらゆる経済活動は数をもとにおこなわれ,数学なしに生産活動を組織することはできない.

情報技術はあらゆるものを形式化しさらに数字化してつかみ動かそうとする基本的な傾向がある.情報技術は,人間がこういうものだと認識したあらゆるものに番号を振ろう(コード化しよう)とする.この傾向については賛否がありうる.しかしこの傾向を押しとどめることはできない.

だから,現代文明を成り立たせている数学を理解し,身につけなければ生産活動に携われないし,生活もできない.数学は現代社会で人間として生きていくうえで不可欠である.実際の仕事や日常生活でどれだけ数学がいるかということよりも重要であるが,さらに大切なことは,基礎的な素養として一定の数学を習得しなければ,今日の文明のもとでは人間的な生活を送ることができないということである.

第二,数学は人間に不可欠な言葉である.

人間はサルからわかれ長い時間を経て,言葉を使うことで力をあわせ協力して働く生き物になった.この世界から糧を得るために力をあわせて働いた.人間一人一人は弱い生き物だが,力をあわせることで生きてきた.力をあわせるために言葉が生まれた.言葉は豊かになり,世界をなんらかの形に切りとってつかむ方法になった.言葉は人と人が伝達しあう方法であると同時に,考えるということを可能にした.先に生きたものの智慧を次代に伝えることができるようになった.これが言葉である.

人間は働きそしてそのことを省みる.言葉がそれを可能にした.今日の労働は昨日より疲れるとか,この石を持ちあげるのはあの石より楽だなど,体感しうる労働量の比較から量の認識がはじまる.また実がなるまでの日にちを数えることもあっただろう.こうして量の仕組みの科学が育っていった.それが数学なのだ.量の認識と数の発見からはじまり,これもまた途方もなく長い時間をかけて数学が育ってきた.

数学は,世界の仕組みを把握し,量を抽象してとらえる言葉そのものである.第一の生得の言葉が量の構造把握と結びついて論理や論証が生まれ,抽象して判断する言葉としての数学が育つ.これが人間である.数学は第二の母語であり,しかもこの母語は第一の母語のうえに表されるが,他の母語の上に表すこと,翻訳が可能なのだ.

数学はそれ自体として存在するが,存在するところは抽象された場(ところ)である.それゆえに数学的な判断は論証による.数学は論証してはじめて存在する.ある数学的事実は何を根拠に成立するか.それを考える.本当か? なぜなのか? と考える.数学的事実を把握し,根拠を論証し,一見正しいことも根拠が明確でなければあくまで疑い,真偽を追求する.

だから数学を勉強することは,批判的論証の基礎訓練である.証明するということ自体が近代の人間の必須の方法である.論述や弁証が典型的に用いられる数学を学び,結論の根拠を論述したり証明することをとおして,筋道を立て結論を予測しそれを論証する力をつける.

大学入試とは何か

大学入試はこの面から大学での勉強にたえうるかどうかを試す.その力の度合いによって選抜しようということである.だから入試数学といっても何か特別な数学があるわけではない.学問としての数学を正面から勉強することが,結局は力をつける早道である.これが本当の勉強である.他に楽な道はない.

科学はものごとの根拠を問うことにはじまる.根拠を問うとは現象を根本において捉えることである.さらにその根本としたことをも問い直す.この永続,それが科学だ.このような科学精神を育てること,これがあれば入学試験そのものは何ら恐れることはない.

言葉が,伝達の道具であるとともに考えることそのものであるように,数学もまた数や量を共有する道具であるとともに世界を把握する第二の言葉そのものである.だから数学を学ぶことは人間が人間として自分を確立するうえで必須のことなのである.

受験勉強も人間の成長にとって大切な学問である.現代日本では,受験数学が小手先の方法に落ちこんでいる.しかし,受験勉強をどのように取り組むかは,一人一人の態度だ.学問として正面から取り組めばいい.それがいちばん力のつく道である.そういう勉強をしようとする高校生や高校生の数学教育に携わる人は今もいるはずだ.

数学にとって問題とは何か

さて数学では実際に問題を解くことがその根幹にある.数学の問題は他の教科の問題とは少し意味合いが違う.世界史において教科の内容を学ぶこととは,基本的な歴史的事実をまずしっかりとつかみ,そのうえでその事実が歴史のなかでどのような意味をもつのかを考え,まとめることである.世界史の試験は歴史的事実をどれだけ把握しているかということと,その事実の意義を評価する力がどれだけあるかを試すものだ.

数学はすべて現実世界の量に根拠をもつ.そこから一定の抽象を経て,数学的な諸現象が得られる.数学的現象を調べること自体が数学の問題なのだから,その意味で数学は問題自体の中にある.もちろん学校教育の数学が現実世界とのつながりを薄めてしまっていることは問題なのだが,将来どのような仕事に就こうと,そこで必要な数学の共通の土台としての数学は確かに必要で,抽象された数学の世界は問題そのものの中にある.問題を解き,疑問を解決し,わかったことをまとめる.このような営為そのものが数学なのだ.

数学はいつも「これは本当だろうか」という問い,「これを求めるにはどうしたらいいのだろう」という問い,これを原動力にしてきた.こうして論証のための体系がまとめられていった.既知なことが整理され体系化されていった.そのようにまとめられた体系は系統だって学校教育のなかで教えられる.しかしそれだけでは知識に過ぎない.

数学するとは問題を立て問題を解く実践そのものである.演習問題は数学そのものの超縮小模型である.だから数学では問題をどんどん解くことがどうしても必要である.結果だけが解答ではない.それが確かに問いに対する解であることを論証しなければならない.ここまで含めて問題に対する解答なのだ.このような数学の実践,それが問題を解くということだ.高校生にとって数学は問題の中にあり,問題を解くことは数学に触れることなのだ.

数学の問題の構造を実際の問題を通して調べ,それを手がかりに問題を解く方法論を身につける.問題に対面したときに意識的に方法を考えることが身につけば,その結果として,実力が飛躍する.方法をおぼえることよりも,どう解こうかと方法を考える態度を身につけることの方がはるかに大切なのだ.最初にこのことは断っておきたい.その上で,さあ,一緒に考えていこう.


Aozora Gakuen