ならば,西洋近代の時代の終わりの今こそ,もう一つの西洋の知性であり,その人間性として,パスカルを受けとめ,また取り出さねばならにのではないか.西洋文明は今や世界大に行きわたった.これは現実でありまた不可避である.しかしその矛盾と限界もまた明らかになる現代である.
もとより,近代的人間の形成という問題は普遍的であり,これを観念で飛び越えることは出来ないし,この歴史段階の下でわれわれもまた生きてゆかねばならない.ならば,これをその始まりのときに批判したパスカルと,それを支えた幾何学の精神,そしてそれがパスカルの中でどのように息づいていたのかを学ぶことは,大きな意味がある.
近代日本は,その制度や体制やそれによって作り出される権威から自由になって,人間としての足場からもういちどはじめから考えなければならないところに来ている.今の日本は,近代的人間の形成という問題においていえば,ちょうどパスカルの時代のフランスの段階であるとも言える.
青空学園では「しっかりと数学を学び,この時代を生きる智慧と力をつけよう!」と呼びかけてきた.この「数学」は幾何学の精神の「幾何学」とほぼ同じ意味である.数学を学ぶことが,惑わされることなく自分の意見をしっかりもち,どんなことにおいてもその根拠を探究し,世の多数に迎合することなく生きることにつながると信じてきた.
本来,数学とはそのような学問であり,いや,そもそも学問とはそのようなことでなければならない.ところが近代日本の学問は体制に迎合し,自らの研究の中に閉じこもり,世の中での役割を考えることなく,おこなわれてきた.人間の普遍を知ることにつながらないままに,個別分野の探究がおこなわれてきた.そしてその果ての東電核惨事であった.
先に掲げた『ジャンセニスム』[36]の「むすび」にある「妥協も譲歩もせず生き抜きたいという権威の絶対主義と対決する個人の思想」は,数学によってその柱が打ち立つ.このことが,パスカルの生涯に貫かれていた.