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はじめに

太郎  2012年の暮れから2013年にかけて,かけ算の順序に関する新聞記事や,テレビ放送が続きました.最初は11月5日の「中日新聞」でした.その骨子は次のようなことです.

     正しい順序にこだわる?

     小学2年生は毎秋、学校で掛け算を習い始める。多くの子どもが掛け算の式には"正しい順序"があると教わるが、式の順序を逆にしても答えは同じ。このため、保護者や教育関係者らの論争が毎年のように繰り返される。どの教科書も順序にこだわっているように見えるが、子どものためになっているのか。(栗山真寛)

     「毎年この時期、掛け算の式の順序が話題になります」と話すのは、東北大理学部数字料の黒木玄助教。先生によって掛け算の式を直された答案用紙がインターネットに出回り、「バツを食らった子供の親が怒りだす」と言う。自身も学校での指導法に疑問を持ち、インターネット上で情報を発信している。

     中学の数学では乗法の交換法則としてab=baと習うにもかかわらず、黒木助教らが調べたところ、小学校の算数の教科書を発行している六社とも、掛け算は「『一つ分の数』掛ける『いくつ分』」という順序の教え方をする。さらに、各教科書に対応した教師向けの指導書では、順序が逆なら誤りとする教え方を載せている。

     教科書会社はどう考えているのだろうか。東京書籍の編集局は「掛け算の意味を理解させることに尽きる」と説明する。2×3とは2が三つ分、つまり2+2+2の意味であり、3×2=3+3とは区別される、という主張だ。「文章に出てきた数字の順で式に書く子は多い」と、文章題の意味を理解しているかを判別する一つの手掛かりとして式の順序を見るという。

     「文部科学省の学習指導要領に、そのような説明はない」と主張する黒木助教らに対し、東京書籍は文科省が発行する指導要領の解説に「10×4は、10が四つあることから、40になる」といった記述があることを挙げ、「順序に意味がある」と反論する。

     これらの議論について文科省初等中等教育局教育課程課は「掛け算の意味を理解させるよう定めているが、順序については国が定めるものではない」と距離を置く。ただ、指導要領の解説に対する教科書会社の解釈には「探く考えすぎだと思う」と打ち消す。

     結局、掛け算の式の順序にこだわる教え方は何に基づくのか。教科書会社と文科省の主張はかみあわない。「指導要領に書かれている」と誤解している教員もいた。黒木助教は「子どものやる気が下がってしまう」と、子どもの算数嫌いを助長しないかと心配する。

この記事には,「3人に2個ずつリンゴを配ります.リンゴは何個必要ですか」に対して式「3×2=6」は誤りで「2×3=6」でなければならない,という答案の写しもそこでは紹介されていました.

次に,同じ問題が2013年1月25日の 朝日新聞 でも取りあげられました.見出しは【小学校のかけ算 えっ? 順序が違うと「バツ」】というものでした.

にも同様の図が載っています.また,1月25日のフジテレビ・スーパーニュースでも取り上げられたようです.番組内容要旨を紹介するサイトに次のようにありました.

     かけ算の順番をめぐって論争が起きている。論争になっているのは「6本のペンを8人分」とした場合、「8×6」と書くと不正解になるというもので、芝小学校でかけ算の授業を取材し、教員に話を聞いた。文部科学省によると国として正しい順序は決めていないとしているが、教育書出版社はかけ算の正しい順番を重要視していると回答した。専門家の飯高茂氏はナンセンスだとコメント、子供がもっと自由な発想で自分で考えて一番いい方法を考えることが必要だと話した。

南海  飯高先生は,東京書籍の小学算数の教科書の著作関係者代表2人の1人だそうだ.中日新聞記事の東京書籍の編集局の意見と飯高先生の意見は矛盾している.先生は自分が「代表」の教科書にどんなことが書いてあり,編集局がどのように考えているのかを知っておられないということになる.

後で紹介するが,1972年にも同様の記事が朝日新聞に載っている.ということは,積の順序という問題は,実は40年間,解決しないままにきているということだ.

このような問題がくりかえされるのは,実際のところ積の指導に教育方法としての難しさがあるということと,明治以降,近代になって教えられるようになった数学が,まだまだ日本では根のあるものになっていないということがあると思う.

数や量をどのようにとらえるのかという問題は,基本的な問題であり,多くの先人が苦労をしてきた問題だ.そうであるなら,くりかえし基本から考えよう.そして少しでも教育の現場の役に立ちたいものである.

太郎  私がかけ算をはじめて習ったとき,その順序のことをどのように習ったのか,もう覚えていないのですが,積はやはり難しいです.例えば,負の数と負の数をかけるとなぜ正の数になるのか.これをどのように示すのか,改めて考えるとなかなかうまく示せません.

南海  かつて青空学園の掲示板にも,なぜ $(-1)\times(-1)=1$となるのか,これをどのように説明すればよいのかという質問があった.同じようになぜと改まって聞かれると答えに窮する問いがある.どうして分数の割り算は

\begin{displaymath}
\dfrac{b}{a}\div \dfrac{d}{c}=\dfrac{b\times c}{a\times d}
\end{displaymath}

のように割る方の分子分母を逆にしてかけるのか,という問いだ.

このような問題は,教育の仕事についたものがつねに出会うことなのだ.またそこで教えるということの難しさに直面する.

今日の数学の世界では,一定の公理系を定め,それによって数学の対象を捉える.公理をどのように定めるか,公理相互の関係はどうか,その探究は数学それ自体であり,そのことを通して数学が姿を現す.その公理系の中で,積の可換性, $(-1)\times(-1)=1$や分数の積の計算法がいかに導かれるのかという問題と,これを納得して理解できるようにどのように教えてゆくのかという問題が,深く関係しながらも,しかし同一ではない問題として現れる.ここに問題の難しさがある.

つまり,数学の世界と教育の世界は同じ面と異なる面とをもつ.その分離と統一.数とそれが表す現実の量をどのような関連のもとでとらえるのかという,世界観にもかかわる問題と,それをどのように小学生に納得できるように教え,しかもそれを定着させるかという問題.これは深く関連し,かつそれぞれ別の問題である.

太郎  分かっているようでいて,改めて量とは何か,数とは何かといわれると,考えてしまいます.

南海  青空学園ではこれまでも高木貞治の本,『解析概論』,『初等整数論講義』や『代数学講義』を何回か参考文献としてきた.その高木貞治に『新式算術講義』(ちくま学芸文庫),『近世数学史談・数学雑談』(共立出版)等の復刻本,および『数の概念』(岩波書店)がある.これらの本を通した高木貞治の考え方の深まりは,数を考える上で大きな示唆を与えてくれる.これらも参考に,数と量について考えてみよう.

『新式算術講義』の歴史と近代日本の数学の流れは,この文庫本の後にある高瀬正仁さんによる解説に詳しい.この本の初出は明治36年である.欧州に学び戻った著者が,洋行前に書いていた旧著を書き直したものだ.それを横書きに直して文庫本にしたのが,この『新式算術講義』だ.その緒言に,理論と教育方法論について次の言葉がある.

     普通教育に於ける算術の論ずる所は一見甚(はなはだ)卑近なるが如しと雖(いへど)も,若(も)し深く問題の根柢に穿入せんとするときは,必しも然らず.夫(そ)れ教師は其教ふる所の学科につきて含蓄ある知識を要す.算術教師が算術の知識を求むる範囲,其教ふる児童の教科用書と同一程度の者に限らるること,極めて危殆なりと謂(い)ふべし.確実なる知識の欠乏を補ふに,教授法の経験を以てせんとするは,「無き袖を振はん」とするなり.是を以て此書は広く算術の教授に従事する教師諸氏の中に其読者を求めんと欲す.

つまり,高木貞治はすでにこのとき次のことを言っている.数学理論と教育方法を混同してはならない.明確に分離し,その上で理論と実践の統一,つまり理論にもとづく教育方法を工夫すべし.教育実践の経験は貴重である.しかし教えた経験で理論の穴埋めをしてはならない.

実際また「確実なる知識の欠乏を補ふに,教授法の経験を以てせん」とすれば,結局は,議論が果てしなくなり,学校が混乱し,子どももまたわからないままになってゆく.

そこで,量や数という問題について,まず私が教育の場でどのようにやってきたのか,それをふり返りたい.その中では,その頃考えてきたことをそのまま書いてみたい.その上で,その中にある理論を省み,改めて量と数について考えたい.そして,数学としての体系をはっきりさせたい.私には,もういちどこれらの教材を工夫し実践で検証する機会はないと思うので,理論までということになるが,自分自身のまとめとしてやっておきたい.


Aozora
2013-02-17