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智勝会会報『智勝』寄稿「無題」


 相国寺在家居士の会である智勝会の会報『智勝』第一集(昭和四十三年四月発行)に寄せた一文で、一九六七年秋に書いたものである。ある意味では、この一文が人生の始まりであった。


 もう夏の合宿から二ヶ月以上過ぎてしまいました。赤穂の急な山の麓にひっそり在る寺の様子が目に浮びます。小さな池のある裏庭、とりわけそこを自由に飛んでいた、青味がかったトンボの姿が、目立たぬながらも豪華な蓮の花とともに心の中に確かにはっきりと残っています。また、寺の門より南の方を見た、青い空とその下の稲の色の美しい緑が、夏の日の強烈な印象と一つとなって、秋深くなりつつある今頃、とりわけ懐かしく思いだされます。

 私にとっては、多くの事が皆、全くはじめてことでした。合宿の始まるまでは、何となく、消極的な気持でしたが、そういう気持も気にせず、言わば、なるに任せる、という心でした。それが良かったように思い出されます。とは言っても相等緊張していた様で、接心明けとなった九時の気持は、今、少々苦笑混じりに心に浮びます。朝四時に起きる事も、食事時に経を誦す事も、一組の食器を次々に洗う事も、入浴時に三拝する事も、その他の色々な事が、日常の生活からは、だいぶ離れた所にある事であっただけに、かえってそれが私を独特の雰囲気の中に誘ってくれた様です。今はその六日間が、六日としてではなく、一つの塊として思い出されるのです。

 私が禅を始めたのは今年の六月、動機は、不可答也。動機が無かったと言えば嘘になり、かといって明確に言えるわけでもない、これが本当です。何かが心の中にあって、それが、本会の張り紙を見て、ふいと入会したような感じです。

 高校生の中頃、私はラッセルにかぶれていました。彼は言います。「数学はその体系が無矛盾である時、無矛盾であるが故に、その体系は、人間を離れて真実である。」と。私はこの言葉の信奉者であり、数学の真理と言うものを信んじて疑わなかったのです。その頃の私は、自分の存在の中に言い知れない不安を感じ、かと言って古の哲学者を十分読みこなすには−努力はしたのですが−やはり少々幼なく、それでラッセルや、実証主義的な哲学を容易に自分の心の中に入れてしまい、その不安から逃げようとする所があったのです。それが高三の秋の頃に、西谷啓治先生の『宗教とは何か』を少しかじって、決してラッセル的哲学が全てではない事を知らされました。ない頭をなんとか動かして、この書に向っていったのですが、動かざる事大山の如く、口ではいくら解ったつもりでも、さて自分の事として、心の中に反復して見ると何も解ってはいないという事ばかりが解るという次築でした。けれども、この時始めて東洋的な発想、真実把握の感じ、そういうものに触れる事ができました。

 一週間程、受験勉強もろくにやらず、夢中になりましたが、この時の経験が、一年以上置いて再び現われたのかも知れません。大学の一年目は、高校の時にやりたいと思っていた事をやるのに精一杯という感じで、宗教に心が向く事はあまりありませんでした。そういう私に何か言葉になる以前のものを求めさせたのは冬の中頃読んだパスカルのパンセでした。彼は賭と言う事を言います。我々は何もわからない。だから賭げるより他ない、と。しかし彼は賭けをしたとは思えません。彼自身は賭の結果まで解っていて自信があった。しかし口ではうまく言えない、それで賭けろと言うのです。そう感じたその頃から、古の禅師の語録や鈴木大拙の著に近づいていったのです。現代のエスプリが禅を特集した事も大きな力だったかも知れません。

 どうも身の上話が長くなってしまいました。口が滑ってしまいました。

 今私は数学に対して昔とは全く違った気持でいます。数学が在ると言う事が私があると言う事であり、私が在ると言う事が数学があると言う事である。学間とは須らくそうあるべきなのでしよう。尤も数学の実力そのものはあまり無く、それは悲しいですが。

 この秋、道元禅師の伝記を読んだり、正法眼蔵を自力で少しづつ読み進んだりしています。私にとって正法眼蔵は全くきびしい書です。頭で理解しようとする私を突き放ちます。げれども何回となく立ち向ううち少しずつ、感じが、体に滲み込んできます。それが嬉しい。道元の言う言葉も、引用も、全て中国のものです。けれどもわたしは、禅師の言葉の中に、日本を感じます。中国の禅師の語録には感じないもの、それがあります。岡潔先生は、道元禅師を日本的情緒の人と言います。解かります。日本人はこれを大切にしなければ、と思います。全くこれは「感じ」なのです。しかしこの「感じ」が日本の精神の根本だろうと思うのです。

 道元禅師はあまりに大きい人です。ある人は彼を文学の面よりとらえ、ある人は日本の生んだ偉大な哲学者としてとらえます。どれも可能であり尤もなところもあります。しかし禅師自身は「入宋伝法沙門道元」としてとらえられる事をやはり本懐とされるでしよう。その方向で禅師に近づくのが最も難しい道です。しかし私は、そうする事そのものの中にも意味を見出し、一生禅師へ限りないアプローチを試みてゆこうと思います。

 近頃は世間でも色々と禅の本が出たりして、関心を引いています。でもその故に禅が、健康法だとか心理学的精神療法とかの面のみから、見られるのは、やはり良くないと思います。私の如き初心者、大きな事を言うべきではないのですが。形式的厳さより以上に、精神的厳さが、大切にされねぱ、と恩います。これは私自身に対する自戒の言葉でもあるわけですが。

 どうも合宿の事から、とんだ所に話が釆てしまいまいました。少々喋り過ぎてしまいました。

 学生という身で禅をどこまで修められるものやら、とも思います。僧堂の大接心につめる事も、時間的にできそうもありません。けれども、無い時聞の中で少しでもと努める事、それはそれで意味があるかも知れません。参禅を始めたのが七月四日、私の二十歳の誕生日でした。偶然の一致とは言え、何か偶然でないものを感じ、励みに思っています。これからも、できるだけの事をし、少しでも、禅を修してゆこうと思います。

 見えざる力の私を導かん事を。