自らの経験を日本語に照らしあわせ、日本神道を定義してきた。私には、仏教もまた身近であった。それぞれの神道を認めあうということは、神道と佛道についても言える。
道元禅師の『正法眼蔵』はその美しい文体にもかかわらず、自らの経験としてはわからないままであった。しかしこの本は手ばなせなかった。宇治上神社の近くには、桃山時代に再興された道元開祖の興聖寺があった。小さい頃から慣れ親しんだ遊びの場であり、また祖師堂のまえの石段は高校生の頃から考えごとをする場所であった。興聖寺は道元に惹かれたきっかけの一つである。また、『正法眼蔵』の「山水經」の冒頭、
而今の山水は、古佛の道現成なり。ともに法位に住して、究盡の功徳を成ぜりという言葉を、宇治川とその周辺の風光そのものとして受けとめ、『正法眼蔵』に入っていった。
大学二回生になった一九六七年五月、臨済宗京都相国寺の在家居士の会である智勝会を知り,相国寺専門僧堂の老師に参禅、僧堂で禅の修行を始めた。日曜ごとに雲水とともに僧堂に坐った。真冬の臘八の接心では夜通しの座禅も経験した。師事した老師は、『正法眼蔵』を講本にして提唱された。西播は赤穂の寺での合宿では早朝から晩まで座禅に明け暮れた。
しかし、全学ストライキのはじまった頃に寺を離れた。そして、もう今生で僧堂で坐ることはないと思っていたが、四十五年後、元智勝会員であった人らの集いに出会い、以来毎年夏の一日、相国寺僧堂での座禅を続けている。
日本列島においては、律令制の時代より、現実の宗教はつねに国家の支配制度の一部であった。そこにおいて神道と佛道は互いに位置づけあい、さまざまの形態をもって、いわゆる神仏習合がおこなわれてきた。
そのような歴史のなかで、鎌倉時代にはじまる新仏教、念仏を旨とする仏教、そして道元を開祖とする禅仏教は、神仏習合とはあいだを置いてきたと言われる。しかし、以上に見てきたような日本語の語る神は、むしろこの道元の教えと近いように思われる。『正法眼蔵』の「山水經」の冒頭「古仏の道」を「神の道」におきかえ
而今の山水は、神の道現成なり。ともに法位に住して、究盡の功徳を成ぜりとしても何ら違和はない。世界の同じことを言ってると考えられる。「山川草木悉皆仏性」は佛道の言葉であるが、これもまた「山川草木悉皆神性」といえばそのまま日本神道の言葉である。
さらに道元は、主著『正法眼蔵』のなかの一巻「現成公案」のなかで、「身心脱落」について次のように言う。
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心、および佗己の身心をして脱落せしむるなり。
これは実に、自己が自己を脱落してことになりきったときの言葉である。道元はさらに、「もの、こと、いき」の成り立つときについて深める。『正法眼蔵』「有時」において、
時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば、間隙ありぬべし。とのべる。ここでいう「時」とは、まさにこの「ことが成立するとき」である。道元はさらに
尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。ともいう(同)。ものはすべて「つらなりながら」、つまり大いなることのもとにおいてあるのであり、しかも一つ一つが生き生きと時時なのである。「有時」なるとき人はことそれ自体にある。『正法眼蔵』の述べることは、「もの、こと、とき」の世界の基本構造そのものである。
道元の発心・求道はまったく内部からのものであり、さらに天童山での道元の経験は、「中国からの刺激」ではなく中国や日本という文化の制約をこえた普遍的なもので、如浄もまた、普遍的な立場から道元に法を嗣いだ。道元は自分の経験を述べるために、自身は堪能であった中国語を漢文として使うことはしなかった。中国語に堪能であっただけに、漢文式日本語の叙述に入り込む空白を道元は十分に認識していた。
道元は、当時の日本語の枠組みのなかに、中国語から漢字語を切り取って自己の経験に裏打ちされた意味をもって配置する、という独自な方法をあみ出した。当時の日本語の条件のなかでそれ以外になかった。「山水経」のなかの「而今の山水は、古佛の道現成なり」というこの「而今」を、他に訓読みしうる表現で言うことはできなかった。言葉をこえた普遍性を獲得し、言葉からも自由な地点から逆に言葉を駆使した。『正法眼蔵』は、日本語の現実に立って普遍性を獲得する可能性を示すものである。
道元はもまた日本語に蓄えられた智慧を、そのときに一歩深めて『正法眼蔵』としてのべたのである。その「発菩提心」において次のように言う。
衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度他のこゝろを、おこさしむるなり。自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われほとけとならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して円満すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成仏得道に回向するなり。この心、われにあらず、他にあらず、きたるにあらずといへども、この発心よりのち、大地を挙すればみな黄金となり、大海をかけばたちまちに甘露となる。これよりのち、土石砂礫をとる、すなわち菩提心を拈来するなり。水抹泡焔を参ずる、したしく菩提心を担来するなり。
人に「人のためにと考えて生きる」生き方を勧めていくことこそが、人間が生きるうえでの意義である。人間がなにをなすべきかを端的に述べている。この言葉をよく味わいたい。非情の求道と無限の向上、この道元の生き様は、日本神道に基底のところでむすばれている。
国家政治の中での神仏習合とは別の地平で、この日本列島弧に暮らすものは、神の道と佛の道をたがいに基底で通じあうものとして受けとめ、学び、祈ってきたのである。