半蔵らは「古代の人に見るようなあの素直な心はもう一度この世に求められないものか」と考えてきた。が、それは実現しなかった。国学の側からいえば、一君万民の国学思想は新しい世を作り出すことも建設することも出来なかった。新しい人間の内実を生み出すことは出来なかった。
われわれにとって神道とは何なのかを明らかにしなければならない。
晩年の半蔵は飛騨の水無神社の宮司になった。つまりは神に仕える齋の道を歩もうとした。だが、余りにも平板に飛躍なく神官になってはいないだろうか。平田国学を学んだというだけで神官になれるのだろうか。神官とは何か。一般の人間と神官の間になんらかの飛躍がなくてはならないのではないか。
仏教では、出家し、得道し、あるいはさらに解脱しと、そこにはいくつかの段階の飛躍がある。青山家の菩提寺の万福寺は達磨の画像が掛かる禅寺である。新住職の松雲は諸国遍歴の修行の後に、京都の本山の許しを得てはじめて万福寺の住職になる。もとより江戸末期の仏道修行は形骸化し、僧堂遍歴の修行とていかほどに内容のあるものであったかはわからない。しかし少なくとも、仏教では大死一番、絶対否定とそこからの復活を経なければならなかった。あるいは絶対の阿弥陀の前で、その前に無限小である我に目覚めて、絶対他力の自己放下としての念仏者になるとしても、やはりそこには飛躍が存在していた。
神道にこのような飛躍はあるのだろうか。実際、神道にこのような飛躍はなかった。神道とは日々の生産活動の不思議への畏怖と、その生産に携わりつつ生きてきた先人の智慧そのものであるからだ。
人が協同してはたらくことを協働といおう。協働の場はあらゆるふれあい、広い意味の言葉を土台にする。協働の場を成立させる言葉、それは同時にその人をして人としている言葉である。それを固有の言葉という。働くものは、いのちのはたらきとして耕し、ものの世界から糧を受けとる。この形式はさまざまでも、この本質は人間に共通のものである。人間のいのちの響き、それは協同労働による生産である。いのちとは、ものの響きあいのひとつの形式そのものである。いのちを支える響きあいは、ものの環流であり、ものの交流と人間同士の交流そのもの、協同の労働による生産そのものである。ものの環流の結節点こそいのちである。生産は人間の協同の働きである。生産、それは世界の輝きそのものであり、世界の輝きと響きあいの人間における形式である。人間は、いのちの輝きと響きあいの形式そのものとして、協同の労働によって生きてきた。
この不思議への畏怖、ここに神道が成立する。
それぞれの固有の言葉は長い長い時間をかけて、協同労働とともに育った。言葉はまず何よりこの世界のなかで人間が生きるためにある。協同して働き、糧をうけとるためにある。はたらきの場こそ言葉が生まれるところである。言葉は、ものを分けて切りとる。それが世界を認識することである。どのように切りとるのかという枠組み自体、すでにこの言葉のなかにこめられた仕組みによって定まっている。言葉のもとで協同して働いてきた数知れぬ先人の智慧が、言葉の仕組みそのもののうちに蓄えられている。個々の人間は、言葉を身につけることで、この智慧を受け継ぎ人間としての考える力を獲得し、そして成長する。成長の過程で身につけた言葉は、その人の考える力の土台である。神道とは、言葉に蓄えられてきた智慧を時代の求めに応じてとりだし、明らかにすることそのものである。
神道は生産する力への畏怖を土台にした人がいかに生きるかの智慧に他ならない。生きるための智慧の結晶である。人がいかに生きるかの智慧を神の言葉、つまり「みこと」として言葉の中に聞きとることが出来てはじめて神官なのではないのか。「みこともち」が神に仕えるものの役目ではないのか。半蔵には、神と語らうということがなかったのではないか。神の言葉を聞き、神と対話し、語らうことが出来たならば、どのような時代にあっても、時代がどのように動こうとも、それはそれとしてそこでどのように生きていくのかはわかる。半蔵が絶望し狂ったのは神と語らうことがなかったからではないか。
神道を端的に言えば、言葉に込められた古人の智慧を聞きとり、語りあい、今に生かすこと、そのものである。日本語には、最も古い縄文時代の人々の生活とその言葉が込められており、そのうえに紀元五世紀になって、鉄器をもち田を耕して稲作をした弥生時代の生産の言葉が込められている。生産の不思議を言葉にし、この不思議に対して畏怖をもって祈りを捧げること、これが神道である。
世界のすべては「もの」である。ものほど深く大きいものはない。「もの」は「さだめ」や「きまり」など個別の人間を越えた存在を意味したが、弥生時代に、ここからいわゆる「物」に意味が普遍化された。この世界は「もの」からできている。森羅万象、すべてはものである。これが世界である。ものは存在し、たがいに響きあっている。これが事実である。世界はそれしかない。そのなかで、人とものとは豊かに交流しあい、語らいあう、これが世界の輝きである。ものは、いわゆる物質と精神と二つに分ける考え方での物質とは、まったく異なる。このような二分法ではない。「もの」は実に広く深い。この深く広いものを日本語は「もの」という一つの言葉でとらえる。この意義を吟味し、ここに蓄えられた先人の智慧に注目しよう。
「もの」は生きている。ものの生きた働きを「いき」という。この世界の輝きと響きは「いき」の発現であり「いき」そのものである。ものの生きる内容が「こと」なのである。「もの」は「こと」にしたがい、ことを内容として生成変転する。「もの」が生成変転することの中味が「こと」である。
「いのち」は、「もの」の一つの存在形式である。「もの」と、ものの「こと」と、ものがことにしたがってはたらく「いき」が、世界のなかで一つの単位をなすとき、それはいのちである。ものを生産し価値を生み出す労働の源泉としてのいのち、である。
これが「もの・いき・こと」として日本語に組み込まれたいのちの存在構造である。
人間もまたものからなる。生きるものはすべて、ものが「いのち」という位にあるものである。人間もまた生きものである。ものは孤立しているのではない。ものはつねにたがいに関連しあい係わりあって存在する。人もまたものの世界のなかに生まれ、ものと係わる。人が生きることはものとの係わりそのものである。ものと人が係わる内容、それが「こと」のはじまりである。
人はものの集まりの意味を聞きとり「こと」としてつかむ。この働きが人を人間にしている。人が、ばらばらにある「もの」を相互に関連する意味あるもののあつまりとしてつかむとき、そのつかんだ内容を「こと」と言う。話者と世界の関わりを、話者が統一してつかんだとき、それが「こと」である。人にとってこの世界は、動き、生き、響きあい、輝き、生まれ死に、興り滅びしている。それを人は「こと」としてつかむ。
山の光景にわれを忘れ、職人が制作に没頭し、全精神を傾けて仕事に打ち込んでいるとき、人は「こと」のうちにある。そしてわれにかえり反省が生まれる。そのとき体験した「こと」を言葉にする。こととしてつかむ行為は、ものの生きた事実から、名づけられた言葉への転化であり、ものとの直接の出会いから、人間の考え方、つまり概念としての把握へ転化する。これが経験である。
ことそのものは言葉にならない。ことそのものは、有為転変する世界をこととしてつかむ行為の土台であり、その前提である。人はこれを神としてとらえてきた。「みこと(御言)」は神の言葉であった。今われわれはこれを「こと」そのものでつかむ。ことは直接に知るものであり、名づけるものではない。「こと」が、ものからものへ、あるいはものから人へとどけられ、新しいものが「なる」。
このようにして、人間は言葉によって協同の労働をおこなう生命体となる。
世界はいきいきと輝き運動を続けている。人間もまたこの世界のなかでいっとき輝きそして生を終えてものにかえる。そのいっときを「いのちある」ときという。いのちあるとき、それを生きるという。人が生きる内実は、「こと」の内に入って「こと」をつかみ、人生を動かしていくことである。この営みを「ことをわる」という。人生とは「ことをわる」営みそのものである。
「いのちある」というその「いのち」そのものはことばにならない。世界が、動き、生き、響きあい、輝き、生まれ死に、興り滅びしている。それはいのちの発現である。人間がいのちあるのもまたいのちの発現である。人間が生まれ、そして帰っていく大元であり、人間にさちを贈る大元でもある。いのちは深い。いのちの発現は、つねに、ことをわるはたらきという形でおこなわれる。それが人間の存在の基本構造である。
人のいのちがはたらくとき、そのところで、ことは言葉となる。いのちは、ときであり、世界の輝きであり、世界の意味である。ものはたがいにことわりをやりとりしている。つまり、ともにはたらく場において「ことわりあう」。「語りあい」、「語らい」である。ものが語らう、これが世界である。ものが語らい響きあうとき、そのことそのものとしてことわりはひらかれる。
人が生きてはたらくことは、ものとひととのことわりあいそのものであり、世界との語らいである。人がこの世界で一定のあいだ生きること自体、ことわりである。いのちあるものとしての人は世界からものを受けとり生きる。それがはたらくということである。直接のもののやりとり、つまり直接生産のはたらきこそ、いのちの根元的なはたらきであり、その場でこそもっともいのちが響きあい輝く。人と人はことをわりあい力をあわせてはたらく。つまり、人は語らい協同してはたらく、つまり協働することで人になる。
強大な武力をもったものが支配を広げていくにあたって用いた方法は「土着の習俗を取り込む」ということであった。この日本列島はもともと縄文文明が開けていた。そこに弥生人が外来し、長く並存しながら弥生の農耕文明が支配的になっていった。さらにその上に天皇家の祖先がやってきたのである。
彼らは農業協働体が協同体の維持発展のために行ってきたさまざまの習俗を取り込み、あたかも天皇家がそれを代表するかのように振舞うことで支配の権威を打ち立てた。その典型は「すめらみこともち」として天皇を位置づけることであった。固有の言葉を神から受け取るものとしての天皇、である。そして新嘗祭である。当時の基幹の産業である農業の発展を願う人民の心を取り込むため、農業協働体のなかで行われてきた習俗を取り入れ、それを大嘗祭と結びつけることで、天皇が即位するにあったて正統性と権威づけを演じ出してきた。このような支配の虚構は天武天皇から天平時代に完成する。日本書紀編纂の過程がこの支配のあり方が仕上がっていく過程でもあった。
天皇家を中心とする貴族社会が支配権を失って以降も、その時々の支配者は「日本文化を体現するものとしての天皇」という虚構を支配のてこに深くかつ本質的に活用してきた。それは、現在まで続いている。
幕末、時代の変革を求める人々は「古代の人に見るようなあの素直な心」を世に取り戻そうとした。江戸時代にあっては天皇家もまた徳川支配のもとにおかれ、権威は失墜していた。このゆえに、反徳川の感情は天皇の権威を回復しようとする実践と結びついた。これは理由のあることであった。
しかし天皇が「古代の人に見るようなあの素直な心」を体現するというのは、作られた虚構であり、王政復古によってその「心」が回復することはあり得なかった。逆に、反封建の運動は天皇という回路を経由して新しい支配体制のなかに取り込まれていった。
歴史的には、天皇家の祖先が人民支配の方法として行った、文化の取り込みに源をもつこの体制保持の方法を打ち破らなければ、日本列島に生活する人民の未来はない。天皇家に奪われた人民の生活と労働に根ざした文化を人民の手に取りもどさなければならない。
神道は、天皇制を脱却しなければ本来の輝きを取り戻すことは出来ない。固有の言葉に根ざした生きる思想とはなり得ない。
それぞれの神道は互いに認めあって共生しなければならないし、 そのための智慧と実践が今日の課題である。 固有性を深く耕して徹底し、固有性を突き抜けた生きた普遍性をめざす。言葉のなかに蓄えられてきた智慧は、それが直接の生産を土台にする生きた人間の智慧であるかぎり、十分に掘り起こされたならば必ず通じあえる。人間はわかりあえる。西欧文明が押しつけた疑似の普遍性ではなく、固有性が解放された人間の生き生きとした普遍性は可能である。固有性が互いを認めあって共存するところ(場)としての普遍性は可能である。しかし、それを現実の世界で実現していくためには、膨大な努力の蓄積と、現実のちからが不可欠である。
これは日本語だけの課題ではない。それぞれの言葉を固有の言葉とするものが目的意識をもって言葉のなかに蓄えられてきた智慧を掘り起こし、現代に甦らせ、これからの言葉の土台とすること、これが必要である。それはまた、西洋語自体を相対化することである。
二十一世紀の基本的な問題としての「資本主義、国家、民族」について多くの論説があふれている。しかし、すべての言説は、その固有の言葉がその言説をとおして少しでも豊になるものでなければ、無意味であり、意識して言葉の土台を耕す作業を内包しないかぎり空疎である。
今日、民族国家を越えているのは「市場」という普遍性を掲げる国際資本である。しかしこの普遍性は、「もうかる」ことを第一の規準とし、そのためにすべてを単一の土俵に上げ、もうけの対象としていこうとするものでしかない。かつてのキリスト教の「普遍」もまた、西洋世界の拡大を支える論理であったが、それと同じである。「神」が「市場」に代わった。この「普遍」の下では固有性は抹殺される。この「普遍」に抵抗し闘い、新たな水準で真に「わかりあえること」を実現することは可能か。その道は何か。
二十一世紀に入り、日本国は完全に閉塞しつつある。これは必ず大きな崩壊に向かう。しかし、破壊なくして建設なし。多くの困難が伴っても、徹底的に破壊される方がいい。たとえ困難でも前途のある道を歩むことができる。破壊のなかから建設されるべきものは、固有性と普遍性が統一された人間の生きる場である。個別の日本語を深く耕すことをとおして、神道の精神は復興するだろう。それが半蔵の思いを現代に受け継ぐことである。