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高校数学の変遷

ある手紙

以上の観点をもって,この半世紀の日本の高校数学の変遷を省みる.まず,高校での積分の定義を意識的につかもうとしたものが,大学数学を学んだときにどのような混乱に直面するか,一つの例を提示したい.

2008年頃,青空学園で『解析基礎』を制作した.これは,実数の定義からはじめて微分方程式の基礎までを自己完結的に準備し,その上で,運動方程式から楕円軌道を導くところまで,自分の学習記録として書いたものである.現在の高校解析の論の組み立てに疑問を持った教員や学生が,立ちかえって考えるための材料にしたいということが動機であった.

それに対して,2011年の3月,大学3年生のYさんからメールをいただいた.

    僕は、理学部物理学科の3回生です。青空学園数学科の様々な記事を読ませていただき、心から感動しました。本当にありがとうございます。中でも特に感激したのが、「解析基礎」の記事です。僕は物理学科ですが、数学に非常に興味があり、数学科の授業をいろいろと履修しています。昨年、「ルベーグ積分」の授業を受講しました。しかし、単位はとれたものの、理解したとは全く言えない状態でした。具体的には次のような疑問が残りました。

    ○測度のもつ性質がいろいろあって煩雑すぎる。本質はどれか。
    ○リーマン積分で成り立たないことがルベーグ積分で成り立つのはなぜか。
    ○原始関数と定積分はどのように結び付くのかなどなどです。

     いろいろなルベーグ積分の本を読みましたがすっきりすることはありませんでした。しかしあきらめずに勉強を続けていると結局、

    ○面積(測度)はどのように定義されるのか。
    ○微分の逆演算がなぜ、定積分と関連するのか。

     ここがわかっていないのだと気付きました。そんなとき、インターネットで青空学園の記事を見つけたのです。そこで、「定積分は微分とは独立に定義されるもの」という、僕にとって革命的な記事に出会いました。感動と悔しさで涙が出ました(笑)。

     確かに、高校数学では、定積分を原始関数の差で定義しています。だから、原始関数が存在するかどうかなんて考えもせずに、定積分を計算します。僕もその一人でした。このことが、ルベーグ積分がわからなかった根本の原因だったのです。計算方法の習得だけで根拠がわからなければ、やはりどこかで弊害が出てくるのですね。

今日,多くの数学教師はリーマン和の概念すら知らず,定積分の定義を強調しては教えない.高校生の多くは,定積分の定義を意識しては身につけない.それでも少数ながら「定義する」ということに自覚的である高校生はいる.それを大切にし,それに答えうる教育でなければならない.ところが,彼らが定積分の定義を教科書の通りに理解すれば,大学数学と矛盾を来す.

メールの彼は,とにかく自力で日本の高校数学を乗り越えた.それができなくて,何となくおかしいと曖昧さを残したままの学生も多いだろう.これでは分野を問わず本当の基礎的な研究はできないのではないか.大きな問題である.

解析分野

少なくとも,1960年代の教科書ならYさんの混乱は起こらなかった.日本の高校数学はこの半世紀大きく変わった.次の諸資料によって,1960年代以降の日本の高校数学における解析と代数の取り扱い方の変遷を特徴的な点において確認する.

$\maru{1}$1965年教科書(数研出版)のI,IIB. $\maru{2}$1969年教科書(日本書院)のI,IIB,III. $\maru{3}$1982年問題新集(科学新興社)の数学I,代数・幾何,基礎解析,微分・積分. $\maru{4}$1997年教科書(数研出版)のI,A,II,B,III,C. $\maru{5}$2005年教科書(数研出版)の一部写し. $\maru{6}$2014年教科書(数研出版,啓林館,東京書籍)I,A,II,B,III.

  1. 1965年,1969年のものでは,数列の極限と無限級数の和までが数学IIBの範囲であった.極限の概念とその計算は数学IIBの多項式関数の微分においても必要で,ここまでを数学IIBに置くのは自然である.

    面積の定義が,小正方形による内からの近似,およびその極限としてなされる.その上で,関数のグラフで囲まれる領域の面積が区分求積によってなされ,それを踏まえて区間を$n$等分したリーマン和 $\displaystyle \dfrac{b-a}{n}\sum_{i=1}^nf\left(a+\dfrac{b-a}{n}i \right)$の極限によって定積分が定義される.その定義にもとづいて,定積分が原始関数の値の差と一致することが証明される.

    数学IIIでは,「微分法」において,連続関数の最大値と最小値の存在を根拠に,ロールの定理を経由して平均値の定理が証明される.そして連続関数の最大値と最小値の存在は「知られている」と明記される.

    定積分は,任意の小区間についてのリーマン和の極限で定義される.そして定積分の平均値の定理を用いて,連続関数に対して,積分法は微分法の逆演算であることを示している.

  2. 80年代に用いられた教科である基礎解析と微分・積分では,数列の極限と無限級数が微分・積分に移行する.それを除くと,平均値の定理と定積分の定義は60年代の方法をそのまま継承している.

  3. 1997年の教科書はこれらと大きく変わる.平均値の定理が「微分法の応用」の「発展」として扱われ,必須でなくなる.

    数学IIで面積が無定義に用いられ,関数のグラフと$x$軸で囲まれる領域の面積を,$x$方向で微分するともとの関数になることが示される.面積の微分が$f(x)$となることを数学IIで示す.そしてこれを原始関数が存在する根拠に用いて,定積分を原始関数の値の差で定義した.つまり,積分を,微分を前提として定義した.この定積分の定義は,数学IIIでも変わらない.

  4. 2005年には平均値の定理が証明なしに「知られている」として扱われるようになり,平均値の定理の根拠が示されなくなった.定積分の定義は,90年代のものがそのまま移行する.

  5. 2014年数研出版では,平均値の定理が,「発展」において,1969年版と同様に,閉区間で連続関数が最大値と最小値をもつことを根拠に,証明がなされる.さらにこの根拠は「実数の本質に基づくものであり」云々の記述があり,改善がなされたといえる.他の教科書にこの記述はない.

    一方,定積分に関して,2014年版では次のような記述が現れる.


    \begin{displaymath}
\int_0^xf(t)\,dt=\lim_{n \to \infty}\sum_{k=0}^{n-1}\dfrac{x}{n}f\left(\dfrac{kx}{n} \right)\quad \cdots\maru{1}
\end{displaymath}

    歴史的には,定積分は@で定義された.


    教科書の著者は,この記述で,本来これが定積分の定義であるということが言いたかったのかも知れない.しかし,この教科書の文面からは,かつてはこのように定義されていたが今は違う,と誤ったことが高校生に伝わる.あるいは,原始関数の値の差として定義する現行の定義の方が正しい定義であると高校生が誤解する.

    また,2014年版では,面積をリーマン和で表すことは発展的解説の中で復活する.ところが次の記述がなされる.


    \begin{displaymath}
\begin{array}{l}
\displaystyle \int_a^bf(x)\,dx
=\lim_{n ...
...lta} x=\dfrac{b-a}{n},\ x_k=a+k\mathit{\Delta} x
\end{array}
\end{displaymath}

    定積分を,上のような和の極限として求めることを, 定積分の区分求積法という。


    まず,「求積」とは『解析概論』の第3章冒頭「28 古代の求積法」にあるように,一貫して面積や体積を求めることであった.ところがここでは定積分を求めることとされている.さらにまた,「定積分を和の極限として求める」と書かれているが,解析学の立場でいえば,これは右辺の和の極限が左辺の定積分の定義なのであって,一方から他方を求めるということではない.

    さらに,実際に高校生がやることは,そしてまたこの教科書の例題にもあることは「数列の和の極限を定積分で計算する」ことであり,この記述とは逆である.これをまじめに読んだ高校生は,大きく混乱するだろう.

    2014年は「必修」の部分に「発展」を繋ごうとした結果,記述の統一性が失われている.

以上、各時代の教科書の特徴点をあげた.1997年以降,リーマン和を定積分の定義とすることを避け,微分法を前提に定積分を原始関数の値の差で定義している.ここに現行の日本の高校教科書の特質がある.その結果,「微分法と積分法は互いに独立に定義され,それが互いに逆の方法である」という基本定理の意義が隠され,記述はさまざまの矛盾や堂々めぐりを繰りかえし混乱する.

解析学の方法は単純明快なもので力強い.すべてを実数論に根拠づけることができる.ところが,日本の高校解析の教科書は,理論構成が煩雑で力強さを失っている.論述も感覚的な解説に頼って命題が成立する根拠を問うことがたいへん弱い.そのため立ちかえるべき地点が見えず,よけいに理解が困難になっている.

実際に多くの制約の中で教科書をつくる困難は理解する.しかし,大学初年級の解析学と矛盾せずにつながるようにしなければならない.半世紀の教科書の変化は,日本の科学教育の混乱と衰退を象徴している.この間,日本の高校での微分法・積分法は衰退し続けてきた.このようなことでは,ますます科学離れが進み,若者の考える力が衰えていく.

代数分野

代数分野においては,代数方程式の「根」から「解」への変化がもっとも大きな変化であった.1970年代中頃に起こった.これは次のような変化を伴っていた.
  1. 1960年代は,2次方程式論が2次関数論に先行した.その結果,高校生は,グラフの交点の存在を根の存在から理解した.

    $b^2-4c>0$のとき, 2次方程式$x^2+bx+c=0$は相異なる2つの実根 $\displaystyle x=\frac{-b\pm\sqrt{b^2-4c}}{2}$をもつ. よって,曲線$y=x^2+bx+c$$x$軸と異なる2点で交わる.


  2. ところが,1997年版以降は,2次関数論が2次方程式論に先行する.2次方程式$x^2+bx+c=0$の根について,「解の存在」自体をグラフの交点の存在から説明する.また高校生はこのように理解する.

    $b^2-4c>0$のとき,曲線$y=x^2+bx+c$の頂点 $\displaystyle\left(-\frac{b}{2},\ -\frac{b^2-4c}{4} \right)$$x$軸の下方にあり,曲線は$x$軸と異なる2点で交わる. よって,2次方程式$x^2+bx+c=0$は相異なる2つの実数解をもつ.


  3. 1980年代は過渡期であり,用語「解」を用いながら,2次方程式論が先行し,それを根拠にグラフの交点の存在が示される.

もとよりこの2命題は同値であり,また代数方程式の根の存在が閉領域における連続関数の最大値最小値の存在定理から示されるのであるから,いずれがより基本的であるのかは,理論の段階による.

しかし,教育的には,存在を言うにはその根拠が必要であることを教えなければならない.ところが「なぜ交点が存在するといえるのか.その根拠は何か」と問うことは教えず,交点の存在を感覚的に理解して終わる.この方向に変わった.

連続関数の中間値の定理も,1980年代の微分・積分ではじめて現れる.しかし当初から根拠としての実数の連続性にはふれられず,その結果,大学での数学にはつながらない.

高校では根の存在を根拠に交点の存在を示し,連続関数の基本性質の明示までを高校でおこない,大学数学では,実数論や関数論を踏まえて代数方程式の根の存在定理を示す.このように高校数学から大学数学への発展がなされねばならない.

変遷の背景

この半世紀の高校数学の変遷の方向性を一言でいえば,根拠から示すべきところを感覚的な説明に置きかえてきたということである.しかし,それでは,わからないときにたちかえる根拠がなくなり,質問された教員も答えることができない.生徒の側も考える力が育たない.こうしてますます数学がわからない生徒を増やしている.

なぜこのようなことが起こったのか.その背景は何か.大きく言えば,近代日本そのものが西洋の結果を受容するのに忙しく,根拠を問う余裕がなかったということがある.そのなかでさらに,1970年代に国家の教育思想において転換があった.

私は,1973年秋に教員になった.それから十数年間の職場や地域での仕事を通して,次のような教育観をもつことができた.

教育とは人そのものを育てることである.一人一人を人間として育てる.一人一人の人間を開花させる.そうして現れた人間のさまざまな力は,けっして個人の私物ではない.どんな力も多くの人々に囲まれ育まれてはじめて開花する.であるから,育まれた自らの力を,育ててくれたこの世間に返さなければならない.少しでも世に循環させてゆかなければならない.こうして人を育て,人に支えられる世でなければならない.つくづくとこのように思う.

ところが同じ頃,日本の教育は大きな転換をはじめていた.中央教育審議会は1970年代「人的資源の開発」ということを言いはじめ,それは今日に続いている.「人的資源」とは生産活動に必要な労働力ということである.人を人として育てる教育から,人を資源として使えるようにする教育への転換である.この能力を開発するのが教育だというわけである.教育を生産活動の一部とする考え方が表面化する.

もとより近代の学校制度は,産業技術を習得した人間の育成を目的にしている.その時代の文明とそれを支える技術を習得する場が教育機関であることは必然である.また,人間が何らかの生産につながることは,人間としての存在条件そのものである.だから仕事を求める人すべてに仕事を保障する.労働権を保障する.それが人間の尊厳を重んじるということだ.しかしそのことは,人間が生産の資源であるということを意味するのではない.

人的資源という観点が導入されることで,根拠を問い,方法そのものを考えるよりも,定められた方法によって正確に計算できるようにする,という方向に数学教育思想が変わった.根拠を問う批判精神より,感性的理解による現状肯定を重視する教育への転換である.それが一定の時間を経て教育現場に伝わり,そして教科書が変わってきた.この方向性は,脱ゆとりと言われる2012年以降も変わっていない.

ちなみに,私が働いた高校はいわゆる公立の底辺校であった.そのなかで地域のすべての子どもに高校教育を保障し,生きる力をつけようとやってきた.生徒も「わかる授業」を要求し,教員もそれに応えようとしてきた.しかし,このような高校をとりまく社会の変転の中で,ついに廃校になった.数学を教える技倆をつけてくれた職場であった.

大学において,一般教養課程がなくなり,早くから専門課程に入るようになったのも,同じ人的資源という観点が背景にあるのではないだろうか.

しかしそれでは,本当に何ごとかを深く考え,新たな枠組を生みだすような人間は育たない.それは先のメールが教えている.近年,日本の産業から創造が失われ,いくつかの分野では現実の衰退が起こっている.それは,人間を資源とみなす考え方が生みだしたものである.ここに,現代日本の産業が創造性を失った根本原因がある.

人間は資源ではない.人そのものとして,まじめに働き,ものを大切にし,隣人同僚,生きとし生けるもの,たがいに助けあって生きてゆく.ひとりひとりの力は個人のものではなく,互いのものである.それが人間というものだ.そのとき経済は人間にとって目的ではない.あくまで方法であり手段である.そういう人間を育てなければならない.



2014-07-23