パスカルヘの誤解をとこう
ところが、数学史家のあいだでのパスカルの人間的・思想的評価は、異常なほどに低いと言わざるを得ません。最後にその点を指摘して、おわりにしたいと思います。
つぎの文章を読んでみてください。
「パスカルはきわめて有能な数学者であったが、その自虐的マゾヒズム的傾向と当時の宗派的論争についての無益な考察とのために、今日、宗教的神経症患者といわれるものに堕落したのであると考えたい。」「大変有能な人間がその才能を埋めたという、まさにその例がパスカルであり、中世の心[という皮袋]が一七世紀の科学という新しい酒をもらおうとして破れさけたというのが、実にパスカルの場合であった。彼の偉大な才能は、やどるべき人間をあやまったのである。」
これは、原書初版が1973年に出て、その後半世紀以上にわたって広く読まれているE・T・ベルの『数学をつくった人びと』(田中勇・銀林浩訳)のなかからの引用です。これが例外や、なにかのまちがいでないことをおわかりいただくために、もうひとつだけ紹介しておきます。
「彼は稀な数学的才能と優れた文体を備えていた。しかし、その短い生涯は肉体的にも精神的にも慢性病によって悩まされた。彼の傑出した知的能力は、もっぱら彼の時代の修道会間の宗教上の論争によって引き起こされた不毛な神学的思索において発揮されている。」
これは、原書が1988年に出たスチュアート・ホリングデールの『数学を築いた天才たち』(岡部恒治監訳)からの引用です。
ここにある解釈は、たんなる無知を通り超えています。悪意のある非難中傷としてしか、わたしには読めません。百歩譲っても,もっともまちがったパスカル観だと言わざるをえません。
吉永氏は「まちがったパスカル観」,「悪意のある非難中傷」と言う.が,二人の数学史家が同じ趣旨の言葉を公にしているということは,彼らのパスカル理解が「誤解」ではないことを示している.二人の数学史家はいずれもパスカルの考え方を宗派論争でゆがめられた異様なものとすることで,彼の数学とそれを支えた考え方を分離し,パスカルその人の思想を避けているのではないか.
ポール・ヴァレリー(Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valéry, 1871年10月30日 - 1945年7月20日)は,フランスの作家,詩人,小説家,評論家であり,多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される人であるが,彼もまたパスカルについて次のように言っている.これは『パスカルとその時代』[35](245頁)に教えられたものであり,ここでもこの書の関連箇所を紹介する.
しかし、問題は『パンセ』のもつ、あの独白の世界である。単なる現世の否定や神の発見にとどまらない。そして、ヴァレリー Paul Valéry は、そこに「人類の敵」を見、怖るべきアンテティ・ユマニスムを見た。ヴアレリーはのべている。「かれによる人間的価値の全般的破壊作業の端緒は、おそらくかれの自己愛のなんらかの個人的な苦痛のうちに見出されるものである。全人類を打ち低めることによってでなければ、打ち低めることの叶わぬような、恐るべき敵というものがあるのだ。」このような、人間的価値の一切を破壊するペシミスムを…。
パスカルは,西洋において公認され支配的であった立場から見れば,許されない異端であったのではないか.
またアンリ・ルフェーブルが『パスカル』[6](306頁)で
パスカルの教説のうちには,…,人間のさまざまな矛盾に関する一つの体系と,それ自身矛盾したもう一つの体系と,この二つのものが同時に存在する….と指摘するように,パスカルは矛盾をかかえて,しかしそのことをおさえて生きる人であったのではないか.
パスカルとは誰なのか.パスカルとは何なのか.多くのパスカル研究がこの日本でも行われてきたが,いまもまだ開かれたままの問題である.こちらには先行研究を踏まえての見解を出す力はないし,そのような近代日本の学問としてのパスカル研究をここでここで行おうということでもない.現代の日本の数学教育に携わる人間として,パスカルの人間としての問題提起を,いささかでも数学をとおして受けとめ次代に伝えたい.つまり,彼の数学と人間における,問題の提起を一つのこととして受けとめようとする.これが,わが立場である.
パスカルは早すぎた晩年,ポール・ロワイヤルを中心とするジャンセニスム運動の渦中にあった.ジャンセニスムの評価もまた手に余るが,しかしパスカルを読み込むとき『ジャンセニスム』[36]の「むすび」の次の言葉に同意する.それ以上にジャンセニズムの議論をここですることは出来ない.
(ジャンセニズムについて)少なくとも、次の二点は一目瞭然である。第一に、妥協も譲歩もせず生き抜きたいという、極度に厳しいキリスト教の概念である。…第二に、権威の絶対主義と対決する個人の権利について、とりわけ個人の思想についての強い意識である。… 厳格と絶対の宗教、同時に拒絶の宗教であるジャンセニスムは、おのれの現存だけで、国家理由と権威の論拠を相手どって自己の権利要求を掲げる。… この意味でジャンセニスムは、近代的良心への道を準備するのに貢献している。
最晩年,『パンセ』を準備しつつあったパスカルは,現実のジャンセニスム運動をも超えた一人のキリスト者であった.現実のジャンセニスム運動は,絶対王制の支配権力の弾圧で後退を余儀なくされ,ポール・ロワイヤルの多くのジャンセニストがジャンセニスムを異端とする信仰宣誓文への署名を現実的政治的妥協として容認しようとした.このときパスカルは自らの宗教的経験をもとに,まさに「オネットム」としての生き方において世俗の権力への妥協に反対した.そしてパスカルはまったくの独りになってしまう.そして間もなくその生涯を終える.考える葦としての生涯をまっとうした.
「近代的良心への道」とは,それをまっとうしようとすれば,現存する近代文明への原理的な批判をたどらなければならない.パスカルはこの矛盾の中を生き抜いた人であった.そのパスカルの激しさを支えた柱が幾何学の精神であった.つまりは数学そのものであった.彼は幾何学の精神を一つの柱として生涯考え続け,また祈り続けた.それは,近代から現代に至る西洋文明のもとにある人間の,良心を支える柱であった.