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人生において

幾何学の精神とは,数学においても,単なる方法論ではなく,現象の根拠を問い,それを普遍的にとらえようとする心のあり方そのものである.そしてそれは,数学を越えて,この世界と人間に対する基本的な態度であり思想そのものである.幾何学における方法は,そのまま彼の人生の方法でもあった.

『デカルトとパスカル』[38] は次のように言う.

パスカルにあっては方法が,すなわち正しく判断する行為の規則が,自己自身の在り方そのものにまで向けられる.というよりは,規則を立て,それを基準として判断を行う自己自身が批判されるのである.それはまたある意味で判断の中心が判断する自己を超越することに他ならない.

それはまさにその通りであり,数学の方法は彼の人生の方法そのものであった.パスカルは最晩年,数学者でありまた彼が心から尊敬するフェルマに次のように手紙を書く.1660年8月10日付の書簡.『パスカル全集第一巻』[36]所収.

… 幾何学をこの世でもっとも優れた職業とは呼びますが,結局それは職業にすぎないのです.またしばしば申し上げましたように,それはわれわれの力を試すのには適していますが,自分の力を傾倒するに足るものではないのです.ですから私は,幾何学のためなら一足だって動きはしないだろうと思います.この気持ちはきっと同感していただけると信じています.その上私の個人的な理由を申せば,今は,幾何学の精神とまるでかけはなれた研究に没頭していますので,…

彼は数学の方法としての幾何学の精神から離れたところにいた.しかし彼のこの言葉自体,数学をやりぬきその「精神の訓練」の結果である.幾何学の精神は,幾何学そのもを越える.それは,まさに人生の方法としての幾何学の精神のもとにあった.そしてその二年後にパスカルは亡くなる.

一つに括ったものの集合を考える

「一つに括る」と言うことは,ものをその本質的なことにおいてとらえるということである.彼はつねに,そのものをとらえるのに何がもっとも本質的か,それを考える人であった.

動くなかで動かないものを見出す

パスカルにあって,動かない軸は,神であった.それは,彼の経験において実在した.そして,その神の下で,「考える」ということそのものが,不動の人間の営みであった.

命題が命題である根拠を探究する

根拠を問え,これがパスカルのもう一つの人生態度であった.相手の言明の根拠を問うということであった.同時にこれは,自らの言明にも向けられる.こうして彼は,生涯,神の下で自己を問い続けた.このような内容を根幹とする彼の数学は,まさに人生の柱であり,近代の人間を越える力を内に秘めるものであった.

もう一つの西洋

こうして彼は,西洋がその力によって,「普遍性」を獲得し始めた時代に,その偽りを,その人生を通して明らかにした.これは,西洋近代にあって,人間としての原理からする,その根底的な批判であり,もう一つの西洋そのものであった.西洋近代がその歴史段階を終えようとする今,このパスカルの生き方は,われわれに大きな示唆を与えるのではないだろうか.

開かれた問題

しかし,それにしても,なぜパスカルにおいては,数学が彼のあの原則的な人生の柱となり得たのだろうか.数学そのものは,近代西洋文明の不可欠の要素であり,その文明自体は,パスカルが生涯あげて批判したことであった.とすれば,数学を学び研究することが,そのままパスカルになるのではない.

数学をいかに学ぶのか.数学といかに接するのか.それがパスカルのあの人生に繋がる根本であり,その内容そのものが幾何学の精神である.数学における方法を自らの人生に向けよ.そのように学問をせよ.それがパスカルに学ぶことであり,今こそ新しい問題である.

そしてこれをさらにのべることは,今は開かれた問題である.


2014-01-03