「無限遠点」という考え方は単に頭の中で考えただけのようであるが,じつはそれを自然に含む幾何が実在することをデザルグがつかみ,そのもとで円錐曲線を考えることが円錐曲線の理解のうえでも本質的に重要であることをパスカルが見ぬいた.しかし2人によってきり拓かれた射影幾何は,その後ながく関心をひかなかった.フランス革命の頃,ようやくモンジュによって再び取りあげられ,19世紀なり射影幾何の構造が解明され,それを記述する方法も整理された.
円錐曲線の研究はギリシアにはじまった.円錐曲線を系統的に研究した最初の人は,プラトンの友人であったメナイクモス(Menaechmus,B.C.350頃)であろうといわれている.メナイクモスはもちろんその後長い間,ギリシア人は円錐曲線を調べるのに,円錐をえがき,それを平面で切って考えてきた.小アジアの都市ベルガのアポロニウス(Apollonios,B.C.260〜200頃)は平面曲線として円,双曲線,楕円を定義し,今日知られている多くの性質をすでに証明した.
アポロニウスの円錐曲線論はウェブサイト『円錐曲線(題材:アポロニウスの「円錐曲線論」)』で日本語で読める.訳とそのすべてに図を与える労作である.
アポロニウスは底面と切断平面を固定し,円錐の軸を変化させてさまざまの円錐曲線を作る.これに対してデザルグは直円錐を固定し,切断平面を動かして円錐曲線を作る.アポロニウスからデザルグにおいて,円錐を動かすことから切断平面を動かすことへの転換があった.
定義IIは古い時代の円錐曲線ではなく,新しいデザルグの方法に立脚することを述べている.この観点があってはじめて,円での証明を円錐曲線に一般化するパスカルの発見がありえた.
順次,パスカルが何を言っているのか,それぞれの内容をつかんでゆこう.
これを観点を変えてみる.つまり先に円周上の6点を考える.図4の場合は円周上に6点K,Q,V,N,O,Pがあり,図11の場合は円周上に6点N,A,Q,,O,Pがある.
これら6点を仮にある六角形の頂点になるように配置したとき,3組の対辺ができる. それら対辺の3つの交点が同一直線上にある. 図11ではM,S,T がその3交点である.
つまり,図11では6点を六角形の頂点に
円周上に6点が与えられたとき,これを仮に六角形に配置する方法は,順列と組合せで定まるだけある.六角形に配置して対辺を結ぶということは,6個の点のそれぞれが,他のちょうど2点と結ばれるようにするということと同じである.
6点を図の甲のように六角形に配置してその対辺の交点をとる.直線とその交点のとり方を六角形をかいて指示するのも一つの方法であるが,本書では次のように,「型」で指示する.型 と書いて図の乙のように3個の交点をとるものとし,この型によって,6点からどのように「ちょうど2点と結ばれるようにする」かを指示することとしよう,図の乙のように点が配置できることと,六角形に配置して対辺を組みあわせることは一対一に対応している.
また
で直線と直線の交点を表す.これはまた
とも記す.
この記号を用いるとパスカルは次の事実が成りたつことを主張している.これが円の場合のパスカルの定理である.この証明をパスカルはデザルグの方法で示したのだろう.それを垣間見る証明を後に「複比の方法」のなかでおこなう.
今後用いる新しい言葉を定義する.
定義 1 3個以上の点が同一直線上にあることを共線であるという.また3個以上の直線が一点で交わることを共点であるという. ■
これを用いると,補題1は次のようにいいかえることができる.
いくつかの例をあげる.
それに対して, で と が平行な場合, この2直線と二つの交点を結ぶ直線が線束をなすということは, これら平行2直線とが平行である,ということである.
パスカルは,線束という概念を平行な直線集合を含めて定義し,「線束をなす」という中に平行な場合を含めた.この意味で補題Iは例外なくすべての場合を含めた命題となっている. これはまた,AFとBEは無限遠点で交わり, と AD∧CEを通る直線も同じ無限遠点を通る,といいかえることが出来る.
あるいはそのようにいいかえることが出来る立場をこれから構築する.つまり平行な場合を例外としない立場,あるいは同じことだが無限遠点を有限点と同じように扱える立場を確立し,円錐曲線の一般的研究をすることが課題である.
このことと,デザルグが発見しパスカルがそれを受け継いだ,円錐曲線を円錐を平面で切断する方法とを結びつけると,補題1が任意の円錐曲線で成りたつというのである.これが補題IIとそこから帰結する第IIIの補題である.
楕円とその周上の4点A,B,C,Dに対し,それをある底面が円の直円錐上に置く.円錐の頂点をOとする.これを実現する円錐の存在を示さなければならない.
OA,OB,OC,ODと底面の交点をA,B,C,Dとする.すると,楕円のある平面上の2直線ACとBDが交わるかどうかは,AC,BDが交わるかどうかの問題に帰結する.
他の点もあるときこれら交点が同一直線上にあるかという問題も,すべて対応する底円上の点や交点に関して示せばよいことになる.
かくしてパスカルの定理が確立する.ただし今は「2直線が平行である」という命題を「2直線が無限遠点で交わる」で置きかえうる理論ができるものとして,パスカルの定理を述べる.
3個以上の直線が互いに平行であるとき,これらはある一つの無限遠点で交わると考えるのである.このように考えれば,直線の集合が共点であることと,パスカルの意味で束をなすことは同値である.
この考察を経て,パスカルの定理は次のような円錐曲線に関する定理に一般化される.
これがパスカルの定理である.パスカルは,円錐曲線に内接する六角形を神秘六角形と呼んだ.この第III補題にもとづいて,パスカルは400個の命題を証明し,円錐曲線の全理論を作ったと言われている.それが補題IIに続いて今後の予定として書かれていることである.しかし,この試論を除いて,それらの論文はそのごく一部以外は失われている.
パスカルは存命中にパリを訪れたライプニッツに会い稿本を渡している.そこにはパスカルの定理をはじめ.これら諸命題の証明があり,ライプニッツはこれを賞賛していた.ライプニッツはパスカルの死後14年の1676年に,その頃はまだ存在していたパスカルの諸原稿を整理している.それらからある程度は体系がどのようなものであったかをうかがうことはできる.『パスカル全集 第一巻』[36]の「数学論文集,解説」でパスカルの原著を読んでいたライプニッツの書簡などをもとに,その内容が追跡されている.しかし,証明そのものの詳細はわからない.
一般に直線上の4点A,B,C,Dに対して,直線のいずれかの方向を正とし,逆方向を負として,線分の長さを向きつきで考えるとき,
有心円錐曲線の中心を通る直線を直径という.有心円錐曲線は直交座標では原点を中心Oにとり,座標を選ぶことで
以下解読を楕円でおこなう.双曲線を含めた証明は次々節でおこなう.
楕円の直径をとる.に平行な弦の中点の軌跡はふたたび直径となる.をに共役な直径という.が楕円と交わる点における接線と,が平行になる.
楕円と直径,の交点の一つを
とし,
,
とする.またとのなす角をとする.このとき,
さらに,上の点
を,
であるようにとる.
以上の前提でパスカルを読みかえす.タトン の前掲文献の注を解釈すると,パスカルの時代に「図の矩形」は次のものを意味していた.
のときを考える.先の斜交座標で となる点を通りに平行な弦を,この直径に関する通径とする.この長さは となる.この長さとの(切りとられる部分の)長さの積を「図の矩形(の面積)」という.つまりである.パスカルは次のように言おうとしたのではないか.
平面上にCを中心とする双曲線,楕円あるいは円AGEがある.直線ABが点Aでこの円錐曲線に接している.AをCAがCAに対する共役直径になる円錐曲線上の点とする.直径CAを引き,直線ABをCAに等しくとる.またCBを引く.直線ABに平行な任意の直線,例えばDEを引く.円錐曲線をEで,直線AC,CBを点D,Fで切る.円錐曲線AGEが楕円あるいは円なら,直線DE,DFの平方の和は直線ABの平方に等しい.双曲線の場合には,同じ直線DE,DFの平方の差が直線ABの平方に等しい.
これなら,先の斜交座標による円錐曲線の方程式を示し,これを用いれば計算で示される.これも後に行う.
それにしても,座標幾何もまだ形成されていないこの時代に,いったいパスカルはどのようにしてこれらの結果を得たのだろうか.それを考えると,驚くとともに不思議な感じさえする.