「同様に確からしい」ということを考えたのは,もともとは賭け事にはじまる. 人間は昔から賭け事が大好きだ. サイコロは,紀元前3500年頃,エジプトの第一王朝の時代の遺跡から発掘されている. そのころは動物のかかとの骨で作ったもので,1,3,4,6のものが使われていた. 壁画にも残っている. もともと賭は占いと一体で,このサイコロは賭け事にも占いにも使われていたらしい.
長い間,賭は勘と経験で行われてきた. 最初に「確率」を考えたのはイタリアのカルダノ(Hieronimo Cardano,1501〜1576)だ. この人はルネサンス期の人で,3次方程式,4次方程式の解の公式を最初に発見したことで知られているが, 本職は賭博師ではなかったかといわれている. 『サイコロ遊びについて』などいくつかの書物があるが,ようするにサイコロ賭博の手引き書だった. 彼は「確からしさ(favourable)」という考え方をつかんでいた.
サイコロを2つ投げて,その目の和に賭けるとすれば,いくつに賭けるのがいちばん有利か,
といった問題に解答を出している.
彼は
次に登場するのはあのガリレオ(Galileo Galelei,1564〜1642)だ. 彼はあるとき親しい賭博師から相談を受けた.科学者とか数学者は賭博の相談役だったのだ.
3つのサイコロを同時に投げ,その目の和に賭けるとき,目の和が9になるのは
の6通りだ.目の和が10になるのも
の6通りだ. しかし多くの勝負をしてきた経験からするとどうも10に賭けるほうが,ほんの少しだが有利なようだ. これはなぜなのか.
硬貨の場合と同様に,
組合せも順列もない時代,やはりガリレオはあらゆる場合を書き出してこのことを説明している. これを経験から見抜いた賭博師も偉い! しかしこれを説明したガリレオはもっと偉い.
確率論はさらに,パスカル(Blaise Pascal,1623〜1662)とフェルマ(Pierre de Fermat,1601〜1665)で発展する. この2人の往復書簡には,高校生が勉強する確率のほとんどすべてが出てくる.
これは「分配の問題」といわれる. ここで「期待値」の考え方がふくらんでいる.後でこの解答も考えよう.
パスカルはこれらの研究を完全な論文にまとめようとする意図をもっていたらしい. 後にパリ科学アカデミーとなる機関にあてた1654年の書簡の中で,次のように述べている.
正当に競い合っている演技者双方に,不確定な未来がつねに正確に配当されるようにするための, 理にかなった計算は,うまくできませんでした.
確かに,偶然の推理を探究すればするほど,調べてわかることはほんのちょっぴりしかありません. あいまいさ,例えばくじ引きという事象は,必然性よりむしろ全く偶然性に左右されることが自然なのでして, それによって報酬が分配されるのであります.
それゆえ,いままではそのような事柄は不確かなものだとしてきました. しかし,いま経験にさからってまでも偶然を支配している論拠をはっきりとさせたいと存じます.
もち論,そのようなことを幾何学的方法(数学的方法ということ) によって学問的な保証をとりつけ, 確実性がこの種の偶然性にも関係している事実を大胆に打ち出そうと思っています.
そして,数学が不確実な事象をひき起こすサイコロと結びついていることを示し, 加えて偶然と確実の相矛盾したものを統一的にとらえ, 統一されたものは偶然とも確実とも指名できないものでありますから, “サイコロの幾何学"という表題の本を手にとった人はきっとびっくりするに違いないと思います.
この計画は実現せず,パスカルは1662年に39歳の若さで亡くなる. だが,この確信に満ちた文章は確率論の宣言といってよいほどのものである. ここに確率論は誕生した.