南海 いや,そんなことはない. 少し準備はいるが高校数学と地続きだ.
それに,ここが,今日に続く微分積分学のはじまるところだ. ニュートンこそ,微分積分法をはじめて物理現象の解明に用い, またそのことを通して微分積分学を確立した人だ.
拓生 微分や積分の記号もニュートンですか.
南海 今われわれが使っている記号はニュートンの同時代人であるライプニッツによる.
ニュートンの微分の方法は流率法といわれ,幾何学的な形式で表現される. それを,およそ100年の後に,オイラーが,彼の手になる無限解析の方法で, 力学の諸法則を微分方程式に表しそして解いたのだ.
この微分方程式で運動の法則を表すということを,高校生にもぜひ理解してほしいと思っている. 高校数学に微分方程式が復活するということでもあるし,一緒に考えてみよう. 高校数学だけを前提にして,必要な概念や方法はすべて定義し証明するという方針でやってみよう.
問題は物理学の問題であり,何より物理法則の正確な理解が必要だ.
惑星が楕円軌道をまわることを最初に発見したのはケプラーだ. 少し調べてほしい.
ケプラーが発見した法則とは?
拓生
第1法則 : 惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く.です.
第2法則 : 惑星と太陽とを結ぶ線分の描く面積は単位時間あたり常に一定である.
第3法則 : 惑星の公転周期の2乗は軌道の半長径の3乗に比例する.
南海 ケプラーとはどんな人だ.
拓生 本を見ると,ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)はドイツの数学者で自然哲学者,とありました. 天体の運行法則に関する研究を行い, 膨大な観測データを分析し法則を発見したといわれています.
南海 つまり,理論的に天体の運動を解明した. この点で,天文学者というよりも天体物理学者であると言う方がふさわしい.
ケプラーの視力は弱く天体観測には向いていなかった.
拓生 そんなケプラーに観測データを与えたのは, デンマークの大貴族であるティコ・ブラーエ(1546〜1601)だった. 政治家になるためにコペンハーゲン,ライプチッヒの大学に進学したが, 1560年,部分日食を体験し天文学に強い関心を持った. 天文台をつくり(1576),観測機械を改良し,天体の詳しい位置を観測した. 彗星を観測したが,地動説は信じなかった. ベン島に観測所を作り20年間精密な天体観測を行った. 彼は弟子たちに「君は金星.君は土星」と惑星を担当させ,観測データを詳しく分析させた.
南海 ケプラーはティコ・ブラーエの弟子の一人であったが,身分が違いすぎて, ティコ・ブラーエからはどちらかというと疎まれていた.
火星は一番動きが複雑でその分析困難だと考えられていた. そこで「ケプラー,君は火星を担当しろ」となった.
これがケプラーには幸運だった.
古代ギリシア以来の円運動に基づく宇宙論が当時の支配的な思想であった. 惑星は中心の星の周囲を完全な円軌道で運行すると考えられていた. その根拠は,完全なる神は完全なる運動を造られる,ということだった.
ケプラーもまた,他の弟子たちと同様に, 惑星の運動を円運動の組合せで説明しようと,日々膨大なデータを解析し続けていた.
だが,次にあげるように火星は他の惑星と違って離心率が大きい(参考文献3).
拓生
楕円軌道といってもほとんど円なのですね.確か離心率を,長軸と短軸をとすると
南海 そう.そこでを順次計算してほしい.
拓生
電卓で計算します.順に
南海 そうだ.いかに当時の観測が正確であったか. また彼らの計算が膨大で精密であったことか. 対数は発見されていたが,すべて手計算だ.
ケプラーは3つの法則をいちどに発見したのではない. まず面積速度が一定であることを発見した.
そこから,天体の運行には何らかの法則があることを知り,その内容をさらに追求したのだ. そしてついに,惑星の軌道を楕円と仮定すると, ティコ・ブラーエの観測した結果を説明できることが分かった.
ケプラーの内心はやはり神の円であった.現実は楕円である. 楕円は円錐曲線といわれるように,円錐から派生する. 彼はどうもこのことから,円が最も完全だということと, 現実が楕円であることに折り合いをつけたらしい.
新しい発見は,このように発見者自身をもひき裂くものなのだ.