雑誌『数学セミナー』2006年6月号に載せた拙文「ウェブ上に草の根数学の広場を!」の締めで次のように書いた.
私は,小学校の「算数」も中学・高校の数学も大学初年の数学も,そして専門的な現代の数学も,数学として高い統一性がなければならないと考えています.そのうえで,専門化される前の,文明社会で生きるうえで必要であり,人間の土台となる数学のすべて,これが「初等数学」です.
現代日本では,初等数学の意義と内容が定まっていません.指導要録はたびたび改変されています.根拠を示すべきところを感覚的な説明に置きかえ,そうすることがわかりやすくすることだと思いちがいをしています.それでは,わからないときにたちかえる土台がなくなり,考える力が育ちません.こうしてますます分数や関数のわからない生徒を増やしています.
数学が現代日本に本当に根づいているとは,まだ言えません.このような現状に対して,いささかでも実践的に問題提起ができないかと考え,青空学園数学科を運営してきました.読書会は,私自身の楽しみであるとともに,この問題意識の上にもあります.
私は,いまこそ,100年前のクラインにならって,現代日本における『高い立場からみた初等数学』が必要だと思います.初等数学を現代数学から系統的に基礎づける.それを学ぶことで数学教育に携わるもの自身がわかる喜びを知り,逆に現代数学はこの社会での存在意義を獲得する.そんな協同の取り組みがどこかではじまることを願って,筆をおきます.
ここでいう初等数学とは,人間が成長過程で身につけ人間形成の土台とするべき数学のすべてを言う.高校数学とは,人間が15〜18歳の頃に身につけ,上述のような内容において人間形成の土台とするべき数学の一定の範囲をいうのであって,何か特別な数学があるわけではない.この高校数学の周辺を掘りさげ,それがどのように成立し,どのような世界とつながっているのかを考えよう.それがまた,初等数学を「高い立場から見る」でつかみ理解を深める端緒となるだろう.
一方,高校生の現実には受験がある.この現実から逃げることはしない.「受験数学をしばらく忘れて数学を楽しもう」という言葉を聞くがこれは現実逃避だ.とこれで,『高校数学の方法』のはじめにも書いたが,入試数学といっても何か特別な数学があるわけではない.入試問題ももそれなりに数学的現象の呈示そのものとしてとらえることが出来る.高校生のおかれた現実を忘れないで,入試問題に現れた数学を分析するところからはじめた.
『数学対話』はそのような問題意識をもって対話形式で書きためてきたものである.
問題が解けたことで終わりにせず,この事実が成り立つ根拠は何だろう,一般化は出来ないのか,などを考えている高校生,教えていることの背景や一般化を深めようという数学教育に携わる人,数学が好きでいろいろ考えることが楽しみな社会人を念頭において,高校数学での問題や,あるいは身近な自然現象からはじめて,できるだけ論証を飛躍させることなく掘り下げ,大きな枠の中でとらえ,できうるかぎり一般化することを心がけた.
書きっぱなしである.十年にわたるので,形式も内容的にも統一はされていない.また,まだまだ探求が足りないものも多い.それはそのことに気づいた人がまたそこで考え続けてほしい.そのようにして引き継がれていくことを願っている.それがまた,日本列島弧でおこなわれる草の根の数学の営みが,深まることになる.数学は個人ものではない.数学の歴史は人間の歴史そのもだ.それにしても数学のような世界が人間の前に開かれたことは本当に不思議だ.
私は高校時代,数学教員や同級生と数学同好会を作り群論の入門書などを読んでいたが,数学的現象をとらえ調べるということはできなかった.あの当時の自分が,いまの自分に出会っていたら,もっと深く学ぶことがで来ただろう.その意味で,これは高校時代の自分といまの自分の対話でもある.
読者の参考までに大きく次のように分けているが,もちろん幾何的ことがらを代数の方法で考えることなど,分野は二重三重に重なっている.
『基礎分野』は,高校数学の土台であり,高校数学成立の根拠となっている基礎的な事実を,その定義から掘り下げて考えようとする.定義ができ,また成立する根拠を考えること,これが大切なことなのだ.根拠を問うという姿勢は教科書からはなかなか身につかない.しかし,ここに科学のはじまりがある.科学の精神を大切にしたい.ここで考えたことのうち,実数の構成や実数の連続性,極限などは『解析基礎』のなかで基礎的な諸概念を再定義し,最初から証明をつけている.また「対角線論法と不完全性定理」と「ラムゼー型定理」はここに含めた.前者は数学基礎論の範疇であり,ヒルベルトの考えとゲーデルの証明まで考え,どのような歴史を踏まえて現代の数学があるのかまで思いをはせる.また後者は組合せ論の応用である.
『代数分野』は,文字と方程式の分野から高校数学を掘りさげたものである.人間は,文字を導入することで抽象力を飛躍的に高めた.文字の発明によって,個別の数から解放され,数の世界の構造を一般的に考察することができるようになった.これが代数学である.高校数学の基本的なねらいは,文字によって考えることができるようにあるということである.三次方程式,四次方程式を考えるところから始めて「原始多項式」や「スツルムの解法」で深める.「終結式と不変式」では十九世紀の数学から二十世紀の数学への飛躍を学ぶ.代数分野にはまた線型代数関連の内容も含めた.線型な関係とは,1次元の場合は比例関係,またはその展開としての1次式で表される関係のことである.多次元の場合には行列で表現される.
『幾何分野』は,図形に関連する分野から高校数学を掘りさげたものである.平面に入れられた座標構造によって,図形の関係を代数的な関係に還元し,方程式の問題として図形問題を考える.これが第一である.線型幾何,ベクトルを用いた幾何について考える.これが第二である.またこれらの応用として,江戸時代の和算の問題を取りあげた.第三は,「パスカルの定理」では,軌跡に現れる除外点の意味を考えることから射影幾何に入っていく.ユークリッド平面から射影平面へ,その発展を考えす.「ポンスレの閉形定理」では,入試問題に現れた閉形定理のすべてを解明するとともに,その過程で現れた四次式の意味を追求し,一般的な証明をめざす.それによって複素射影幾何の立場が打ち出される.
『解析分野』は,微分積分に関わる分野から高校数学を掘りさげたものである.微分積分の歴史はアルキメデスやそれ以前の「取りつくし法」にまでさかのぼれる.それは今日の積分の始まりともいえる.近代解析学は,フェルマーやライプニッツによって曲線の接線を考える上で考え出された微分法にはじまる.その前提としての座標の導入が必要であった.ニュートンは,ケプラーやガリレオがとらえた現象の本質をつかみ力学を確立した.微分積分の方法が決定的なものであった.彼は微分と積分を統合して,両者がある意味で逆の関係にあることを見抜いた.それはアルキメデスの方法からの飛躍であった.オイラーらによって解析学は大きな進歩を遂げた.しかし初期には級数の収束性も厳密ではなかった.十九世紀に入ってその基盤を洗いなおし,コーシーやワイエルシュトラウスによって微積分学の基礎ができた.実数の連続性に関するデーデキントやカントールの深い研究は,実数を特徴付ける条件を見いだし.この辺りまでの事々を,高校数学につながる道筋で考えたのである.
この対話によって,逆に公理を立て体系的に叙述することの大切さもわかる.そしてそれを実行したのが,『数論初歩』,『解析基礎』『幾何学の精神』である.これらはいずれもこの数学対話を下に,体系的に再構成したものである.