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分水嶺にある近代日本
資本主義の価値観とは異なる、別の生きる道を模索する人々の運動が、裾野を拡げている。物質的な豊かさを求めるのではなく、人の輝きを奪い尊厳を踏みにじる、そのことへの怒りが人々を突き動かし、世を下から動かしてゆく。そういう時代がはじまっている。
二〇一九年一月、雑誌『日本主義』編集部から、「ポスト平成日本の選択」をテーマに一文を求められた。以下はそれに応じたものであり、三月刊の終刊号に掲載されたものである。
私は日頃いわゆる元号による時代区分で考えることはない。それでも二〇一九年が分岐のはじまる年になることはその通りである。そして平成が終わるときに、この分岐の時代がはじまることは、歴史の偶然ではあるが、またそこには必然もある。
まず日本の現実を見よう。今年にいたるこの数年の世のあり様をひと言でいえば、近代国家の枠組とそれを支える柱の崩壊である。東電核惨事ではあれだけ核汚染をまき散らしながら企業責任は問われず、安保法、共謀罪法、入管法改変などが強行採決によって成立した。そして一昨年、首相が収賄と便宜提供の当事者であることが白日の下に曝されたが、それでもその罪が問われることはない。
かつて造船疑獄があった。戦後日本の計画造船における利子軽減のための「外航船建造利子補給法」制定をめぐる贈収賄事件である。一九五四年一月に強制捜査が開始された。吉田茂は法務大臣に対し指揮権発動を命じ、検察の捜査を止めさせようとした。これが大きく報道される。結局、政界・財界・官僚の被疑者多数が逮捕され、吉田茂内閣が倒れる発端となった。ここにはそれでも近代国家の基本原理である法治主義が働いていた。
それに比して、安倍首相の収賄は首相そのものの犯罪であり、はるかに悪質で規模も大きい。また、公文書を偽造し、国家の基本的な統計も改ざん操作してきた安倍政府とその官僚の悪事は、造船疑獄の比ではない。しかし捜査すらなされない。
実質賃金は下がり続けているのに、賃金上昇と景気拡大が続いているかのように偽装してきた。報道機関は統計を偽装した結果であることを知っていながら、「景気回復『戦後最長』の可能性高まる」と推測の言葉を入れて責任を回避し、政府の言うままに報道する。そして、大多数の日本人は報道機関が流すことをそのままに受け入れている。
だが、この事実のうえに、さらに考えねばならないことがある。
安保法制反対の運動のとき「戦後七〇年を迎えた今、立憲主義はかつてない危機に瀕している」ということが言われた。立憲主義とは何か。それは、その国の最高法規としての憲法を国民が定め、国家がこれを遵守し、そのもとで政治をおこなうということである。では、戦後日本の最高法規は憲法であったか。
占領が終わってから今日まで、日本国憲法の上には日米安保条約があり、日本政府の上には高級官僚と在日米軍からなる日米合同委員会がある。
鳩山民主党内閣はこの合同員会によって潰された。安倍内閣はこの合同員会の指示によって、法を超えて権力をにぎり独裁政治をすすめ、戦争法などの諸法を作った。その仕上げが改憲である。すべては米軍と軍需産業のためになされている。
在日米軍の背後にあるのは軍需産業であり、その国際資本である。日本の官僚はこの在日米軍を後ろ盾にしている。沖縄・辺野古に巨大な基地を作るのは、アメリカの必要からではない。米軍を日本に引き留めるためである。原発を再稼働するのは電力のためではない。アメリカとそれに従属する日本の核戦略のためである。
立憲主義は日本において事実として、なかった。したがって、「近代国家の枠組」の崩壊と言ったが、正しくは「立て前としての近代国家の枠組」であり、それさえ崩壊したのが昨今の現実である。
こうして今日の日本は、国際資本の収奪に国家と国民を完全にゆだね、すべてをそこに捧げる政治体制となっている。これを「アベ政治」と言う。ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。
二〇一九年にはじまる日本の分岐は、もはや何を選択するかという選択の内容や方向をめぐる分岐ではない。人民の内部について言えば,能動的に選択するのか、それとも無自覚に流されてゆくのかの分岐である。
能動的に選択しようとする側にも、当然にさまざまの立場と意見の違いがある。しかしその内部では、思想信条の自由にもとづき、互いを認めあって議論を行い、そのうえで当面する政治課題においては行動を統一する。このことが、目的意識をもって追究される。アベ政治を終わらせるという課題で一致するものは、副次的な違いをひとまず横に置いて、行動で統一しなければならない。
その意味で、この分岐は、選択しようとする民主主義か、流されゆく全体主義かの分岐である。政治的には、この全体主義を廃し民主主義を実現するのか、これをそのまま続けさせるのか、この分岐である。
日本列島のこの国はいま歴史の分水嶺に立っている。
以上を前提に、選択しようとするものとして、私の考えるところを述べたい。
重商主義の時代にはじまり、奴隷貿易、植民地支配、幾度かの産業革命などを経て拡大し続けてきた資本主義は、地球の有限性のゆえに、終焉にむかいつつある。これまでの資本主義は、本質的に、拡大しなければ存在しえない。よって従来のあり方は終わらざるをえない。
それでも当面の拡大を求めるものが今日の国際資本である。これに隷属する政治は、日本のように、近代国家の規範を投げ捨て、あらゆることごとを資本に捧げる政治をすすめる。これが今日の日本の惨状をもたらしている普遍的な背景である。
資本主義の終焉という問題にすべての国々が直面している。そして国際関係においても次の段階を模索している。アベ政治は国際的にも孤立し、取り残されている。
問題は、資本主義に代わる別の経済制度を作り出すことなのか。かつては計画経済がいわれた。しかし、ソビエト連邦や中国の経験をとおして、それはもはやありえない。問題は生産関係をどうするかではない。いま歴史が求める転換は、これまでの経済を第一とし人を第二とする段階から、人を第一とし経済を第二とする段階への転換である。
これが問われていることである。国民の生活を第一とし、そのために生産関係を方法として使う。この基本政策のもとに政治をおこない、そして世を営む、それが求められている。これが普遍的な歴史の課題である。
この課題にどのように対するのか。それは、それぞれの置かれた歴史的位置によって、個別の現れ方をする。
非西洋にあって最初に近代資本主義の世となった日本は、そこに固有の課題を抱えている。西洋が帝国主義の段階になった中でその圧力のもと、急いで資本主義化した日本は、江戸の時代からの内的発展によって資本主義となったのではなく、そのゆえに、その文化は根なし草であり、底の浅いものであった。
日本近代の教育は、根拠を問うことを教えなかった。言われたことをそのまま受け入れるようにしむけるものだった。「原発は安全だ」と言われればそのまま受け入れる。「どうしてそんなことが言えるのか。根拠は何か」と問うことを教えない。
その土台のうえに、あの敗戦を総括することなく、そのまま戦後政治に移行し、東電核惨事でもやはりそれまでのやり方を変えられなかった。いまなお原子力災害非常事態宣言中であるにもかかわらず、為政者はそれを隠して復興を言う。
すべて、日本近代の基本的な構造的な欠陥の結果である。
東洋の島国日本は、資本主義に食い尽くされ、さらに核汚染にさらされ、人々は困窮してゆく。これは資本主義日本の世の衰退そのものであり、百五十年を経た今、このままではいわゆる失敗国家となってゆくことが避けがたい。
なぜ人々は、怒らないのか。この政治を変えるために立ちあがらないのか。日本の方がフランスよりずっとひどい状況なのに、フランス人は立ち上がり、日本人は黙って耐える。なぜか。そのわけをひと言でいえば、竹内好が「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」、講座『現代芸術』第二巻、所収)という天皇制である。近代の天皇制とは、自分で考えないようにしむけ、国民を統合するために、国家神道と一体に再編されたものである。
そしてそれは、戦後の象徴天皇制に繋がる。天皇の名のもと、鬼畜米英を撃てとあれだけ国民を戦争にかりたてておきながら、その責任は一切問われることなく、戦後は一転、対米従属をおしすすめる。そのなれの果てとして、アベ政治に至るのである。
その歴史をふまえ、われわれの側にある草木にもやどる天皇制、その内からの克服、これは大きな課題である。
平成とは、資本主義が終焉期をむかえる中で、バブルの崩壊に始まり、国民の犠牲のうえに資本にすべてを捧げる方向に進んだ時代であった。それがアベ政治を経て、もはやこのままでは先はないところにきて、平成が終わる。ここに、近代日本の分岐が平成の終わりにはじまる必然がある。
であるから、この期に及んでもそれでも経済を拡大しようとする諸々の勢力が、代替わりをアベ政治の煙幕に使うことにまどわされてはならない。
アメリカとの関係では、最近、日本の空はすべて米軍に支配されていること、在日米軍はすべて治外法権の下にあること等が暴露されはじめた。奴隷であることさえ知らない真底からの奴隷状態を、ようやく脱する端緒が出てきている。
アメリカは現代のローマ帝国である。それはすでに没落と崩壊の過程に入っている。いかに紆余曲折を経ようとも、それは避けられない。ここにアメリカの問題が表に出る背景があり、アメリカからの独立が現実の歴史課題となる条件がある。
この歴史的現段階をふまえて近代日本を問い直し、資本主義の次の時代を見すえたわれわれの理念を育て、政治に向かう。これが問われる二〇一九年である。
日本列島や琉球列島で、言葉をつむぎ命をつないで、縄文時代からでも一万五千年にわたって、人々は生活してきた。その暮らしのなかで形づくられ、日本語に伝えられてきた人々の生きる形を、私は「里のことわり」と言う。人とは、言葉によって協働するいのちである。言葉はそれぞれの固有性の土台である。
拙著『神道新論』(二〇一八年、作品社)では、島崎藤村の『夜明け前』を読み、その基本語である「あのすなおな心」と「かみ」を古来よりの日本語のうちに探究し、そこに伝えられてきた智慧を読みとろうとしてきた。
このとき、まことの神道が現代によみがえり、人々を資本主義段階の次へと導く。それが神道の五項目の教えである。そしてこれが、里のことわりの柱である。五項目を要約すると次のようになる。
第一に、人はたがいに、いのちのやどる人として、尊敬しあい、敬いあい、いたわりあえ。人の力は個人の私物ではない。世に循環させよ。人は金儲けの資源ではない。
第二に、言葉を慈しめ。人は言葉によって力をあわせて働き生きてきた。近代日本の言葉の多くはこの根をもたない。もういちど近代日本語を見直せ。
第三に、ものみな共生しなければならない。いのちあるものは、互いを敬い大切にしなければならない。核発電はいのちを侵す。すべからく廃炉にし、その処理に知恵を絞れ。
第四に、ものみな循環させよ。使い捨て拡大しなければ存続しえない現代の資本主義は終焉する。経済が第一のいまの世を、人が第一の世に転換せよ。
第五に、たがいの神道を尊重し、認めあい共生せよ。国家は方法であって目的ではない。戦争をしてはならない。専守防衛、戦争放棄、これをかたく守れ。
この教えは、まことの神道の教えとして、自覚されることはなくても、理念をもって生きる人々のあいだに息づいている。資本主義の価値観とは異なる、別の生きる道を模索する人々の運動が、裾野を拡げている。
経済分野では、効率よりも人に優しいものをつくろうとする生産者と、それをいただくものを結ぶ協同組合運動が一例である。工業化された農業ではなく、無農薬野菜の栽培とそれを届ける体制も各地にできている。
人を資源として使い捨てることに対抗し、人の尊厳を根底におく本来の労働運動もまた広がっている。さらに、いまのすさんだ世の中に居場所を失った人らと、できるところからつながり、たがいを認めあってゆく運動もまた根強く営まれている。
このような運動のなかにこそ、資本主義を乗り越える契機が生まれている。新しい運動はいわゆる物質的な豊かさを求めるものではない。人の輝きを奪い尊厳を踏みにじる、そのことへの怒り、これが人々を突き動かし、世を下から動かしてゆく。そういう時代がはじまっている。
しかしそれはまだ新しい政治勢力としては形成される途上であり、直接民主主義的政治行動の力で議会主義政治を動かしてゆくこともまだできていない。一方、アベ政治は、このような運動を担うものへの法によることのない非道な弾圧をかけてきている。弾圧はまた人々を結びつけるが、厳しい闘いが続いている。
日本の今日の悲惨としかいいようのない現実を変えてゆくには、生活に根ざした新しい運動が政治的な力をもたねばならない。
まことの神道の教えに反するアベ政治ということは、一般的には認識されていない。しかし、今後ますます日本が没落してゆくなかで、なぜここに至ったのかを問う声は大きくなり、日本近代と国家神道の虚偽、それに操られるアベ政治への認識は必ず多くの人々のものになる。
私は、日本主義とは、里のことわりにもとづく世を生み出し生きんとすることであると考える。根のある変革思想とそれにもとづく行動である。日本主義を再び人民の手にとりもどし、次の時代をひらくために、なし得ることをすることが、いま歴史が求めることである。
それはまた、帝国アメリカの崩壊に備え、その後の世界をどのように構成してゆくのかという課題と重なる。今日の日本では、このような議論はあまりなされてはいない。が、非西洋で最初に資本主義の世となった日本には、その経験をふまえて提言しうることが多々ある。その歴史的責任がある。それをなし得る政治をうち立てねばならない。
このような課題に取り組むことが、平成後の選択肢の一つであり、私はその道以外にはありえないと考える。
これらのことが、選択しようとするもののなかで大いに議論されることを願っている。
Aozora