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次: 教員時代に学んだこと
私は,1947年京都府宇治市に生まれました.宇治は私の故郷です.宇治から京大に通いはじめ,その後,京都で下宿生活をしました.大学闘争という時代の波のなかでの学生生活でした.1974年京大大学院の理学研究科(数学教室)の博士課程を退学し,京都を離れました.いろいろなことを考えさせてくれた京都という町に感謝しています.
兵庫県の公立高校の教員を十数年間しました.その後いくつかの職業を経て,現在は塾などで高校生に数学を教えています.同時に青空学園で,学問としての高校数学を深め教育数学の研究をし,ウエブサイトの制作と管理運営をしています.
2011年3月11日,東北地方に大地震が起こり,続いて福島原発が核惨事をひきおこしました.この核惨事は一段落したといえるまでに百年はかかるような大惨事です.なぜこれを防ぐことができなかったのか.それは日本の文教政策とも深くかみあう大きな問題です.核惨事を受けて考えをまとめたいと思いながら,十ヶ月が経過して,まだできていません.2012年1月18日の『青空学園だより』に次のように書きました.
東電核惨事においては,保安院や安全委員会,はたまたいろいろなでたらめを喋り続けている先生をはじめ,御用学者の犯罪性が白日の下にさらされた.小学生でも回文「ホアンインゼンインアホ」や戯言「マダラメハデタラメ」を言う時代である. 明治以来の日本の学校制度や大学制度はいちどご破算にしなければならないところにまで来ている.受験業界で飯を食いながらこんな事を言うのは矛盾しているのだが,事実そうなのであり,現実世界はどのみち矛盾に満ちている.矛盾の中でせめて出会った生徒には人間としての真実の一端を,という気持ちであり,また,だからこそ既成の制度から自由に,仮想空間に青空学園をつくってやってきた.
私としては,これからの時間を,初心に立ちかえり,世の中の制度や価値にとらわれず,本来の人間として,17,8歳の若者に学んでほしい数学や,他の基礎的な分野について,まず自分で力のかぎりの探求をし,そしてそれをウエブ上に書き残していきたい,その営みを続けたいと思っています.(2012.1.24追記)