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固有と普遍

前章では,核炉崩壊以降の日本の現実から、われわれの歴史の課題を考えてきた。ここにある問題とこれに対する課題には、日本列島弧にすむわれわれ固有の問題と、さらにそれがおかれた世界大の普遍的な問題がある。問題や課題は普遍性をもつ。しかし同時に問題や課題はつねに現実の関係の中に存在する。つまりつねに個別性と固有性をもっている。

この固有の問題は、どのような普遍的な問題の場にあるのか。そしてそれはどのような関係の下にあるのか。これを深く考えねばならない。

現代世界の普遍の問題とは何か。それはつまり、歴史の現段階の課題は何かという問題である。八百年続いた経済拡大を第一とする政治体制は、もはや持続することができず、終焉に向かいつつある。これが客観的な事実である。資本主義は、その回りに周辺を置き、そこから収奪する。この拡大再生産を維持しなければ破綻する。しかし現代、もはや資本主義が周辺となし得るのはその内部の架空空間のみである。そして資本はそれを手段として、人民の搾取と収奪するしか、もはや利潤は得られない段階にいいてっている。これ以上の実体ある拡大はありえないし、拡大を旨とする経済は終焉が不可避である。

こうして、経済から人への大転換という転換の本質を明らかにし、転換の方法を具体的に見いだすという問題そのものは普遍である。

まず何より、互いの固有性を認めあい、ともに生きる場を生みださなければならない。この場それ自体が新たな普遍であり、この普遍は、西洋が作り出した「普遍」とは異なり、固有性を他方に押しつけることはしない。

西洋近代の偽りの普遍とは異なる普遍は可能なのか。固有性を認めあう場としての普遍性は、現実に存在しうるのか。当面する過渡期の課題である。このような場に蓄積される力が、新たな政治力とその組織方法を生みだす。世の新しい形は、これまでもこのようにして生みだされてきた。

しかしまた、歴史の課題に耐えきれず、あるいは押しつぶされ霧散して歴史から消えた固有性は、かず知れない。東電核惨事から教訓を引き出すことなく核力発電所の再稼働をすすめるなら、日本列島弧の人の歴史は終わるかも知れない。そのような可能性にまで直面していることを確認しなければならない。

欧州もまた固有な問題をかかえている。その一つが移民問題である。西洋帝国主義による植民地支配の結果、社会の基盤が崩壊し、そこで生きることが困難になった人らが欧州に移民としてやって来る。そして引き起こされる世の分断は、資本主義の終焉期という普遍的問題の内における、現代における欧州の固有の問題である。

歴史は、いかに紆余曲折を経ても、その段階において、到達すべき所に到達する。現代についていえば、人の原理が息づき、いのちと言葉が輝きをとりもどすときは来る。たとえ、日本列島弧に世代を継いできたわれわれが、そのための捨て石になったとしても、経済から人への大転換は、必然である。

この深い普遍性を担うことができるのかどうか。それは開かれた実践の課題である。そして、核惨事の渦中のなかで、この歴史課題を現実に担う人の条件を考える。普遍の場におけるわれわれの固有の課題はこのように位置づけられる。



Aozora 2020-07-14