この八百年は、宗教を立て前としながら、領土的、政治的、経済的支配を拡大する西洋文明の時代であった。
それは、一一八一年、一二〇九年、一二二六年に行われたアルビジョワ十字軍にはじまる。北方のフランク王国が、南フランスのラングドック地方に栄えていたグノーシス、そしてカタリ派を柱とする地中海文明を滅ぼした西洋内部の大きな転換点であった。
北方フランスの領土拡大欲をもつ封建領主と、カタリ派の拡大に危機感を抱いたカトリックは利害が一致し、「アルビジョワ十字軍」を派兵する。トゥールーズ伯、カルカッソンヌ伯など南フランス・ラングドック地方の領主たちは、自身はカタリ派ではなかったが、北方領主の領土拡大に抵抗、領民と力をあわせて徹底的に抗戦した。結果はラングドック側の惨敗に終わった。百万人が殺され、カタリ派を擁護する領主は領土を没収、追放された。
アルビジョワ十字軍は、強固な城壁を持つカルカッソンヌにおいて大きな抵抗にあう。カルカッソンヌ城はベジエ・カルカッソンヌ伯、トランカヴェル家の居城で、同家が君臨していた一〇八四年から一二〇九年までがカルカッソンヌ地方の全盛期であった。アルビジョワ十字軍側は「和平交渉をしたい」と称して、ときのカルカッソンヌ伯レイモン・ロジェを城外に呼び出し、そして捕らえた。指導者を失ったカルカッソンヌは、以後十五日で陥落する。レイモン・ロジェは自分の城の石牢に幽閉され、三ヶ月後に二十四歳で死んだ。
ローマ法王の指示でドミニコ会による宗教裁判が行われ、異端とされものは容赦なく火刑にされた。その後カタリ派の勢力は衰え、一三二一年に最後の信者が火刑となりカタリ派は絶滅した。異端審問、政治・経済・教会が一体となって領土と経済圏を拡大する。この方法がこの後、世界大に拡大されてゆく。それらの方法が、すべてこのアルビジョワ十字軍に現れている。西洋資本主義拡大の方法が基本的にこのアルビジョワ十字軍で見出されたのだ。
『一叙事詩をとおして見たある文明の苦悶』や『オク語文明の霊感はどこにあるか』などの著作で、シモーヌ・ヴェイユは失った文明への愛惜を書く。ナチスによるフランス北方の占領を避けマルセイユに避難していた時期に、地中海の風土の中で書かれたものである。地中海文明を滅ぼしてはじまった西洋文明が、ヴェイユの時代、ついにファシズムに至ったのだ。
それでもこの地で用いられてきたオク語は滅びなかった。フランス革命が勃発するとラングドックの人たちもこれに参加、オク語を公用語とする自治区の形成が試みられた。しかしジャコバン派の反発で頓挫してしまう。革命が潰えてもオク語復権の機運は消えなかった。高まる運動が分離主義に繋がる事を危惧したフランス政府は、一八八一年にオク語の学校教育を法律で禁止した。
革命を経て成立した近代フランスは、フランス語で国民国家を形成しようとする指向性を強くもつ。だから、オク語はフランス語の方言とされている。しかし事実はフランス語とは異なる系統の言葉であり、近代のフランス語への同化政策に抗して今も六百万人の話者をもつ。
アルビジョア十字軍の経験は、イスラムに対する十字軍を変質させた。
一〇九六年から一〇九九年にかけて、セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス一世コムネノスの依頼により、一〇九五年にローマ教皇ウルバヌス二世がキリスト教徒に対し、イスラム教徒に対する軍事行動を呼びかけた。
アルビジョア十字軍は、これが西洋世界内部でおこなわれ、宗教に名を借りた領土拡張であった。そしてこの方法が再びイスラム世界、そして非西洋世界の侵略と収奪に用いられる。奴隷貿易と植民地支配である。当時、ペルシアやイスラム帝国・アッバース朝は繁栄を極めていた。十字軍はその地に侵略し、さまざまの文物を略奪して持ち帰る。それが水揚げされたのがヴェネチアなどの都市であった。その典型が一二〇二年にはじまった第四回の十字軍であった。
その収奪を基盤に商業が拡大する。その経済の力とさらなる拡大を求めて、一四九二年頃のコロンブスらの航海とスペイン・ポルトガルによる「世界分割」が始まる。一四五三年に東ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされ、東方の知識人がイタリアに移動、これがその経済と結びついてルネサンスがはじまる。
つまり、略奪文物と地中海交易の基盤のうえに東方からの知的刺激、これらを基礎にルネサンスがはじまった。それと併行して、東方への侵略が世界大に広がっていった。奴隷貿易もまたこうしてはじまり、長い植民地支配による収奪とあわせて、アフリカの社会基盤は徹底して破壊され、現在においても大きく損なわれている。
この非西洋世界の収奪のうえに、資本主義経済を土台とする欧米中心の世界が成立した。これが近代である。
そのうえに、技術の爆発としての産業革命がある。人にとって火は根元的なエネルギーであり、言葉は本質的な方法である。人は、火を使い、協同して働き自然からめぐみを受け、言葉を獲得し、人となった。言葉を使い経験をまとめ、掘り下げ、伝え、智慧を磨いてきた。言葉を持つことによってはじめて人は考える生命となった。言葉によって協同して働き、道具を育てていった。道具を媒介にした協働の方法が技術である。
人は、自然界にあるものを受けとるという段階から、大地を耕し植物を育てまた動物を飼う段階へ転化した。それが新石器革命であった。その転化の一つの到達点が産業革命であった。産業革命を考え方として準備したものは何か。それが、ニュートン力学とデカルトの近代的世界観であった。つまり、自然を変革するために、自然の法則を対象化して認識し、具体的現実に適用する、これを最後まで進めたのが産業革命なのである。
十八世紀の自然科学の成立は、デカルトの二元論をその根拠とした。ヨーロッパ近代は世界を物質世界と精神世界に分離したうえで、その物質面の探究に専念した。十八世紀に成立した自然科学は、時間と空間を、物質が存在し運動する枠組みとして、あらかじめ前提した。これは、言葉によって人が自然を対象化して認識した時以来育ててきた世界認識のひとつの型であり、ニュートン力学はこの人の世界を認識する仕方の集大成であり、その極限であった。西洋近代の資本主義文明はここに根拠をもっている。
しかし同時にそれは生命を物質に還元し、人を個別の人に切り離した。人をばらばらにすることは、近代資本主義が人の働くということそのものを冨の源泉として搾取するうえで、必要ものの見方であった。