地球の歴史のなかで、今日は「人新世」といわれる段階にある。ここに至る過程をふりかえる。
産業革命を土台とする自然認識技術の発展によって、ニュートン力学では説明できない現象がつぎつぎと発見された。産業革命がやがて製鉄などの重工業に広がりをみせると、キルヒホッフは溶鉱炉の研究から一八五九年に黒体放射を発見した。黒体放射のスペクトルの理論的研究は、統計力学と結びつくことによって量子力学の基礎となる理論を与え、最終的にプランクによってプランク分布が発見された(エネルギー量子仮説、一九〇〇年発表)。また一八八七年前後のいわゆるマイケルソン・モーリーの実験は産業革命以降の技術なくして不可能だった。その結果、光速度一定やローレンツ収束が発見された。
その思想的掘り下げのなかから相対性理論と量子力学が生まれた。それは、現象の時間・空間的かつ因果的記述に対する制約を暴露し、時空概念の絶対性を奪い取った。ニュートン力学が生みだした近代の生産技術は、逆にニュートン力学を乘りこえる事実の存在を人に示した。
それまでの「問いの枠組み」が事実によって転換を求められた。ニュートンの時間と空間を前提にする世界観の超越的枠組みは、相対性理論と量子力学においてとりはらわれ、その世界観は「発展する物質」としてのこの世界自体の認識を一歩一歩深めることを可能にした。相対性理論と量子力学は、時間・空間が物質存在と運動の前提ではなく、逆に物質が「運動しつつ=存在する」ことが、そこに時間・空間の「ある」ことである。このことを明らかにした。
核炉は、重い物質の核分裂によって質量欠損が起こり、その欠損した質量に対し、光速をCとすると、エネルギーと質量の等価性()にもとずくエネルギーが放出されることを根拠としている。ここに光速が定数として入ることは、そのエネルギーが膨大であることを意味している。これが核力である。
また今日のいわゆる情報技術、その土台としての半導体技術や超伝導技術の前進、情報通信網の劇的な普遍化の土台には、量子力学が基本思想と理論として存在している。これぬきにいかなる先端的情報技術も不可能であった。いわゆる「ナノ技術」も含め、情報技術の土台は、すべて量子力学が基礎理論となっている。
相対性理論と量子力学によって人は核という現代の火を手にし、情報技術を獲得した。これは本質的には、かつて人をして人とした、火の使用と言葉を生みだした有節音の獲得に匹敵し、それを新たな段階に進める根本的意義を有している。
大切なことは、それは近代の合理主義が生みだしたそれ自身の対立物だということである。西洋近代合理主義は科学を生みだし技術を発展させたが、その結果、近代思想の枠を超える事実とその理論、相対性理論と量子力学が発見された。
近代思想にもとずく諸体制では、それを越える理論によって得られた力を制御することが本質的にできない。質量欠損そのものは人の制御の下にはなく、放出されるエネルギーは膨大であり、また核分裂の放射性生成物の処理も出来ない。地中奥深く埋めようとしているのが関の山なのである。そして生まれた核力は、大地震によって崩壊し、その惨事はひとたび起これば数万年におよぶ被害をもたらす。
「人新世」という地質学上の時代区分は、人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与えるようになった段階を意味する。いつにその始まりをおくか。一九四五年、アメリカがはじめて行った核実験であるトリニティ実験を起点とするという意見が多数である。これに賛成する。人新世とは、地球史の中で、人の営みがものとしての地球を変えてゆく段階である。
一九四五年のアメリカの核実験を人新世の起点とするということは、人新世とは、制御不可能な力による環境の改変であるということも意味する。
実際、近代思想の枠、つまりはニュートン力学の枠のなかでは、それを越える相対性理論と量子力学にもとづく核力を御することはできない。制御できない力による地球の改変、これがなされるようになった段階こそが、人新世である。
人は、火と言葉によって人である。だが、ニュートン力学の枠にある近代社会は核力という新しい火と情報技術という新しい言葉を使いこなすことはできない。そして、事実として、福島の核炉は崩壊した。核惨事を生きるものは、この教訓をつかまねばならない。
二〇二〇年の疫病の蔓延はまさにこの人新世に起こったのだ。であるから、これは野放図に世界を支配し改造してきたことに対する生態系の側からの揺り戻しなのである。拡大し続けてきた人の世界の歴史は、大きく転換しなければならない段階に来ている。世界的な疫病の蔓延はそのことを意味している。