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言葉を耕せ

言葉において深く根づく人々こそ、言葉をこえて結ばれる。日本語のことわりにおいて考え、生きんとするものがいるかぎり、希望はある。新たな世の形ができるまでには、さらに困難な段階を踏まねばならない。だがそこに人の再生がある。日本近代百五十年の苦悩は新しい時代の肥やしであり糧であり、新しい時代の深い普遍の礎である。

『神道新論』のなかで、 zw近代日本語によって、塗り込められ封じ込められた日本語のいのちを解きはなち、現代に甦らせること、これが近代を越えて次の時代をひらこうとするものの基礎でなければならない。

日本列島の歴史を踏まえ、今日ここに住むものの生き方を考えてゆくためには、ながくこの列島弧に住み、その風土とともに育んできたものの見方、考え方を、もういちど取り出し、時代に応じてそれを深めなければならない。 と書いた。

この日本語をもういちど人の言葉として甦らせるための基礎作業として、言葉を紡ぎながらここまでやってきた。その内容は次の二点にまとめられる。

第一は、基本的な言葉の再定義である。これを経なければ立ちかえるべき根拠から考えることができなくなってゆくからである。言葉は、言葉の構造を支える根のある言葉から、必要な言葉を定義してゆかなければならない。しかし近代日本語はそのようにはなされなかった。その結果、いわゆることわりの言葉が高校生にとって内からの言葉となりがたく、納得した論証を構築することができない。

第二は、一万五千年以上前にさかのぼる縄文文明、三千年前にはじまる弥生文明、その混成語として形成されてきた日本語は、言葉としての構造と、その構造によって支えられるものの見方考え方をもっている。再定義を通してそれを自覚的に取り出してゆく。

歴史は近代日本語の見直しを求めている。日本語をもういちど定義し直せ。根のある言葉で考え、そして行動する。近代を教訓に、この大転換の時代に根のある変革をおこなえ。それが、近代の果てにおいて、いま歴史が求めることである。

言葉を再定義するというのは、人生の経験として学んだ言葉の意味や意義を、辞書を通して古人の用法と照らしあわせたうえで、もういちど自分の言葉で書き直すことである。これを、言葉を拓き耕すことと言おう。一つ一つの言葉を味わい、相互にその意味を書き定めてゆく。そして、どんなことも、みずから納得できるまでその根拠を問う。これが、言葉を拓き耕す営みである。



Aozora 2020-07-14