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上: 終章 前: 互いを敬え

立ち連なれ

近代日本の世において、人はまことの人であったか。人において人は打ち立っていたか。

コロナ疫病の蔓延のなかで権力まで介在しての同調圧力が強まった。これはかつての十五年戦争の時代の世のあり方を彷彿とさせるものであった。無意識のままに同調圧力をかける側が多数であり、それが今の世のあり方であるとしても、しかし、ここまでともに考えてきたものは、そのような考え方から実際のつきあいまでにあるこのような圧力を自覚的におさえ、そのうえで立たねばならない。

八百年の経済を第一とする西洋の時代のその行きついた果てが、帝国アメリカである。これにかわる、人の理にもとづく新しい世が、崩壊する帝国のもたらす混乱と混迷からの活路である。これ以外にない。

その前提が、心あるものが立つことである。

日本について言えば、ここにアメリカからの独立という問題の真の意味がある。原爆と核惨事を経験したわれわれは、この最大の問題の当事者である。この立場と観点をしっかりもって、深く掘り下げることが必要だ。それなくして対米自立もまたありえない。

この大きな問題と、心あるものが立つかという問題とは、一体である。そして、新たな世を生みだしてゆくために、こころざしを同じくして立つものは、連なり、手を繋ぎ、前に進まなければならない。いま実際に各地で行われているが、生産者と消費者が配達者を仲立ちに直接に繋がりあい、その輪が横に広がり、生産、配達、消費の人らが互いに敬いあう関係は、一定の基盤と広がりをもっている。

このようなつながりの積みあげと広がりが、人の尊厳を奪う権力に対する闘いと結びつくとき、政治を変え、経済ではなく人を第一とする世を生みだしてゆく。人は金儲けの資源ではない。人それ自体が尊厳あるものとされる世であらねばならない。

新自由主義の政治と経済を変革し、拓き耕すところにおいて生産者と消費者が直接につながり共生し、人として互いに敬い尊厳を認めあう世を生みだしてゆかねばならない。

かつてマルクスは資本主義を分析し、基本矛盾を明らかにした。その基本矛盾と地球の有限性のゆえに、資本主義は終焉のときをむかえている。このとき、われわれの課題は創造である。歴史の新しい段階を担う人の創造である。それが歴史が求めることであり、序章にも書いたが、歴史の要求することは実現可能なことなのである。

日本語に伝えられてきた智慧をくみとり、言葉をつむぎ、資本主義近代を超えるために、いまなしうることをなす。それが根のある変革の第一歩である。資本主義に縛られた生活を変え、人として立ち、そしてそのようなものどうしたがいに認めあってつながり、世を動かしてゆこうではないか。



Aozora 2020-07-14