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生命の出現

ものの展開

ものの世界のうちに地球は生まれ、いのちがこの地球に生命をもたらし、そして人間が成立した。火と言葉の使用とともに人間が成立し、新石器革命によって人間社会が生まれた。この人の来し方のことを歴史と呼ぼう。長いときである。この過程を見たのもまた人間である。その意味でこの全過程は、また長い、それぞれの言葉のもとで生きた人間の歴史である。この長いときをふりかえろう。ゆっくりと考えてみよう。

歴史のなかの「今」である。その「今」はどのような「今」であるのか。来し方をふりかえるとともに、行く末を見なければならない。長い長いときのながれの「今」をつかもう。なぜそうするのか。今、この世は新たな大転換の前にあると思われる。またそうでなければならない。このようなときには、来し方をふりかえり、行く末を思い、そして決断することが必要である。今を大切に、なしうることをやりきって生きるために、必要である。

理学は歴史を尊重する。日本国近代の歴史を忘れない。日本国がしたことを、してきたことを絶対に忘れない。近代日本国の同時代を重んじる。何ごとであれ、過ぎたこととして水に流すことに、反対である。あくまで歴史の事実にこだわり、そこから教訓を引き出す。近代日本国は歴史を軽んじた。今もまた軽んじている。「拉致」がいかに悲慘であるかを知ったなら、強制連行の非人間さを思い起こさねばならない。近代日本国は一九四五年の敗戦以前の歴史を忘れ捨てた。そのような教育体系を作りあげた。『ことわりの学・理学』はこのような歴史に対する態度に反対する。如何なる歴史の事実も重んじる。

歴史を尊重するという立場を徹底し、地球の歴史、生命の歴史を尊重する。生命のこの多様さは歴史の産物である。この世界で起こってきたことである。長い長い生命と人間の歴史を尊重しよう。今日、生命環境と生態系の破壊がかつてない規模で進んでいる。これもまた、この過程の結果であり、活路は大転換そのもののなかにしかない。転換の意義と人の果たす役割を知ることが、ことのはじまりである。

今日の定説では、今につながるこの世界は、およそ150億年の昔、大爆発(ビッグ・バン)で始まった。大爆発の大元があるのかないのか今はわからない。それは時間も空間もそのままでは今につながらないような次元の異なる問題である。とにかくそれ以来宇宙は膨張を続けている。地球は太陽系の惑星のひとつである。天の川銀河は、2000億個の星が一つの集まりを作って成立している。太陽は天の川銀河の端の方に位置している。天の川銀河のような銀河が数千個集って銀河団を作り、銀河団が数十個集って超銀河団を作っている。従って銀河団の星の総数は数百兆個の位になる。それが今知られているこの世界の広がりだ。

これは現代の「世界の創成神話」である。思想史家の丸山真男は、世界の創成神話には「つくる」「うむ」「なる」の三つの型があるというが、ビッグ・バンはある意味では「うむ」型であり、ある意味では「なる」型の神話である。

太陽系そのものは、大爆発した超新星がもとになり、約46億年前に作られた。爆発による力で星雲間にただよう「ものの分布」にゆらぎが生じ、力の均衡が動くことによって粒子の凝集が開始され、それ自身の重力によって凝縮が加速される。こうしてできた微惑星とよぶべき多数の小惑星が、さらに衝突と合体を繰りかえして、原始太陽系が形成された。この中に地球の核となるものが生れさらに微惑星の衝突がつづいた。

微惑星が原始地球に衝突すると、当然運動エネルギーが解放され宇宙空間に熱として放射される。同時に軽い物質がガスとなって地球上に蓄積される。地球がガスで覆われると、微惑星衝突の際のエネルギーが宇宙空間に逃げることが出来なくなる。熱とはつまり遠赤外線であるが、これがガス中の二酸化炭素や水蒸気が吸収しエネルギーを蓄えてしまう。こうしていわゆる温室効果が働きはじめ、原始地球の表面温度が上昇、原始地球の表面が解け、マグマの海となった。

超新星の大爆発から一定の時間が過ぎ、微惑星の衝突も少なくなり表面温度が低下しはじめる。地表が冷えると、水蒸気は水となり海を形成する。原始大気が100気圧で水の臨界温度は380度であり、地表温度が380度以下になれば水蒸気が液化する。原始地球の形成からここまで、およそ5000万年かかったといわれている。海水の酸性度が安定し、大気中の炭酸ガスが固定されて減少し、一定の気圧となったのがおよそ35億年前、10億年の時が過ぎた。

生命は35億年以上前にこの原始の海で誕生した。35億年前には現在のラン藻(シアノバクテリア)に似た生物が繁殖していた。そこに至るまでのどこかで生命が地球上に現れた。それはまったく不思議なことだ。この世界の輝きが生命に結晶した。10億はとほうもない時間である。後に述べるように、多細胞生物が現れてから今日までまだ7億年である。それよりも長い時間が生命の出現には必要だった。

何度考えてもこれは人のはからいを超えた不思議だ。この不思議を不思議にとどめず、人として把握しようとすることもまた、自然な成り行きであった。

地球の上で、ものの変転がついに生命を出現させたのだが、生命出現までの過程を、物質変遷の過程としての側面からつかめばどのようになるのか。高分子炭素化合物はいったん生命が形成されれば生命作用自体によって蓄積されるが、生命が出現する以前においては、何らかの地上の条件によって、生命によらない蓄積がなされ、それらが飛躍して生命を形成したことはまちがいない。ソビエト社会主義共和国連邦の生化学者であったオパーリンは、この過程を『化学進化』という考え方で定式化した。

生命の出現という問題がいわゆる「科学」の問題となったのはようやくこの半世紀のことに過ぎない。生命の出現の問題を科学の問題として提起し、自らの見解を明らかにするとともに、大きく発展させたのが、オパーリンとイギリス国の学者ホールデンであった。オパーリンは、地球を含む宇宙の物質の運動の過程として生命が出現し発展したとの立場を確立した。確かにそれはそうには違いない。彼は信念としていた弁証法的唯物論の見方・考え方によって次のように言う。

    弁証法的唯物論によれば、物質は常に運動状態にあり、その発展は一連の段階を経過する。ここで物質の運動形態には、以前にはなかった性質をもつますます新しい、より複雑で完成されたものが生じる。地球は誕生後の非常に長い期間、生命をもたなかったことを疑う余地はない。この時期には、地球上で起ったあらゆる現象が物理的、化学的法則性だけによって支配されていたことは事実である。しかし物質の発展過程において、最初の最も原始的な生物が地球上に現れ、質的に新しい運動形態である生命が生じた。こうした事態に置いても、物理と化学の古い法則はもちろん残っていたが、今やこれらの法則に、以前になかった新しい、より複雑な生物学的法則性が付加された。…

    地球の誕生から今日に至る物質の進化は、基本的には次のような段階にわけることができる。地球には、誕生してから数10億年の間は生命がなく、地球上で起ったあらゆる過程は、物理・化学的な法則性だけに支配されていた。地球の発達におけるこうした段階は、無機的な、無生物的な段階と呼んでよかろう。この段階のあと、地球上に生命が発生し、新しい、生物的な進化の段階が始った。こうして、これまでの物理・化学的な法則性の上に、新しい生物学的な法則が加わり、この法則はいまや舞台の前面におどりでて、その後の生物の進化で主動的な意義をもつに至った。この進化の頂上にあるのが、人類の誕生であり、かくして進化の第三段階、社会的段階の始りが記念された。ここに至って、生物学的法則性は背景に退き、その後の進化では、人類社会の発展法則が優勢に役割を演ずるに至った(オパーリン『生命』)

「弁証法的唯物論」の意味と人類史における意義を明らかにすることは今後の課題であるが、機械的な物質観を超えようとしたものの見方・考え方であったことはまちがいない。ついでにいえば、西洋の「物質」と理学の「もの」の比較検討も今後の課題である。いずれにせよ、オパーリンが、「弁証法的唯物論」によることによって、生命の問題を科学の問題としたことは事実である。これはまた逆にいえば、生命を不思議さを基軸に全体において捉えていた神話的生命観から、一つの側面としての化学的生命観を切りとったことであり、人間のものの見方の変転として二つの側面を併せもっている。

第一、
生命は創造神が造ったとする物語を打破した。
第二、
生命を物質に還元することによりいのちの事実を見失った。
第三、
ものといのちをそのものとしてとらえることは課題のままである。

生命の起源論争

人間は長いあいだ、「ウジがわく」「ボウフラがわく」と言うように、生命は自然のなかで非生物から生じていると考てきた。この問題に真の飛躍を実現したのは、19世紀フランスの科学者、パストゥールである。彼は精密な実え験装置によって、それまでの「自然発生説」の根拠となった「実験」のことごとくを論破した。「わく」ことはありえない。すべて外から持ち込まれたもの、生みつけられたものであることを明らかにし、非生命からの生命の発生という常識をくつがえした。

しかしそれならどのようにしてこの地上に生命が出現したのか。今の話しとして「わく」ことはないとして、はるかに長い時間のなかではどうなのか。それは生命の発生の問題を次の段階にすすめた。パストゥール自身は、長い時間のなかでの自然発生について「不可能だとは思わないが、まだそれを発見していない」(1878年)と、生命の自然からの発生そのものを否定していない。だが彼の仕事は、『「生命なくして生命は生れない」というL.パストゥールの提出した手ごわいアポリア』(中村雄二郎『生命の始まりとリズム』1994年)として、「生命の自然発生の否定である」と誤解され、またそのように受入れられてきた。

だがもし「生命なくして生命は生れない」のなら、いったい地球上の生命はどこに由来するのかということが根本的な問題となる。キリスト教の世界観では神が創造したということになり、また、宇宙からやってきたのだという説も有力な説として流布した。しかし、宇宙からやってきたとしても時間が50億年から100億年に延びるだけで、試行錯誤の可能性の場合の数が桁外れに大きくなるものではなく、その宇宙の生命の起源を問えば、結局のところ問題は同じである。

生命の始まり

「いのちあるもの」という「もの」のあり方(存在様式)を生命という。つまり、 ものがいのちという形式で存在するとき、その存在様式を生命という。 日本語世界では、古代の人は「いのちある」形式を獲得するのは「たま」がものにこもることで実現すると考えた。「たま」はいのちの本質そのものであり、この世界の輝きであり、世界が輝いてあることの本質である。そしてこのものの「あり方(存在様式)」は「こと」としてつかまれる。「こと」はいのちの設計図、つまりは情報であり、その情報のもとでものはいのちとして機能する。

生命の始まりにおいて、情報としてのことが先なのだろうか。それともものが機能することが先なのだろうか。このような問題として立てられるようになったのは、1953年にワトソンとクリックがデオキシリボ核酸 (DNA) の三次元ラセン構造を解明し、生命の物質における相貌が、生命形成と種の情報が DNA からなる遺伝子として保持され、これがリボ核酸 (RNA) を経由して、タンパク質の合成と活用をおこなうものとして確立してからである。だが、このような形式はどのような過程を経て形成されたのか。この問題は、1980年代のはじめに、遺伝情報の担い手とだけ考えられていた核酸のその一種である RNA が、タンパク質なしにタンパク質と同じ触媒機能をもち触媒反応を起こすことが発見されることによって決定的な進展をみせた。

結論的には、情報と機能は、端めから相互に結びついて、原始的な段階から発展した。

無生物的条件下で生命の構成物質が合成されることは、化学進化の模擬実験で明らかにされている。この口火を切ったのは1953年の S.J. ミラーであった。水素、メタン、硫化水素、水からなる加熱混合気体のなかで、放電をおこない、アミノ酸その他の合成に成功したのである。「有機」の意味は、本来「生命が生み出す」という意味だが、こうして実験的にも、無機物質から生成されることが証明された。誕生直後の熱い海が沸騰を終え温度が下がる過程でアミノ酸など有機低分子が形成された。海に蓄積した有機物低分子は地殻変動によって地球内部に取り込まれ、高温高圧下で有機高分子となり、再び海に放出され、アミノ酸やモノヌクレオチドなどの有機高分子の液が地球を覆った。

RNA についてみれば、次のような過程をへたであろう。こうした環境下で、モノヌクレオチドは互いに凝集したり、粘土表面に集合したり、結晶構造を鋳型として構造をもったり、その結合の鎖を伸ばしていった。そのなかで、あるいは無気質の補助借りたであろうが、自分自身を切断したり、つないだりする機能をもつもの、自己複製能力のあるものが現れた。

他方、アミノ酸もまた重縮合をくりかえし、ポリペプチドが形成された。これもまた粘土表面に集合したり、結晶構造を鋳型として構造をもち、そこから構造形成機構が成長し、複製機能や代謝触媒機能を獲得していった。触媒としての活性は当然低かったであろうが、かわりに時間があったのである。これらのタンパク質の機構は、コロイドから形成された液滴(コアセルベート)として保存され、境界が形成され初歩的な物質代謝がおこなわれた。

こうして進化したポリペプチドは、進化したポリヌクレオチドと相互に協力して、新しい高度な触媒機能を実現し、原始的な RNA が形成、複製機能と代謝機能を確立していった。核酸塩基の種類や配列は、数かぎりなく試行錯誤され、触媒機能の多様化が進んだ。核酸とタンパク質の共生、これが生命の誕生の決定的な要因であった。タンパクしつの合成機構は RNA と共生することにより、より機能の高いものに置き換えられていった。 RNA 依存型のタンパク合成機構が原始生命の進化を著しく加速し、機能の多様化を進めた。 RNA が最初に自然発生したのか、より簡単な先行するものから進化し置きかわったのかは完全には解明されていない。ただいずれにせよ、 RNA の出現は生命進化の分岐点であった。

これが約36億年前であった。そして、 RNA から DNA への進化が進んだのである。これはまさに淘汰そのものであった。 RNA はアルカリ溶液や遷移イオン溶液で加水分解されるが、 DNA は安定でる。 RNA 複製酵素には修復機能がなく、 RNA 遺伝子は高頻度に変異をくり返したが、 DNA の現在の複製系は修復機能があり変異の確率ははるかに低い。また DNA は内部複製機能が可能であり、実際にあるが、 RNA はない。さらにまた、紫外線照射は2本鎖の DNA より、1本鎖の RNA に与える傷が、はるかに深刻である。

RNA の世界のなかで、 DNA を作りうる酵素が出現し、 DNA が形成され、これが原始生命のタンパク形成機構の情報保存装置として RNA に起きかわっていった。

地球上に生命が誕生して以来、生命の存在は、「個体の生命は有限であり、個体は滅ぶが、保存された形質を共有する種として再生産され発展する」という形式をとってきた。個体は種のなかにおいて、それしかない個体として創出される。個体は個体として同じものが二つとない。であるからこそ、生と死がある。個別の生命が有限でり死ぬものであるからこそ、その個体から個体の創造を契機として変異が生れ淘汰が起こり、種は新たな脱皮が可能であった。種はあるときは、転化・発展して新たな種として確定され、他方またあるときは滅び消滅し、こうして地球上の生命総体は無限に向上してきた。

自然淘汰説

ダーウィンとウォーレスは同じころ、自然選択説を提起し、生物の進化による今日の多様化を体系だてた。ダーウィンの『種の起源』は画期であった。種のなかの個体の遺伝子は継承される過程で偶然的に変化する。それによって個体はごくわずかに違う形質を次の代に起こす。それが環境の変化のなかで淘汰され、個体と種の保存に有利なものが適応し、集団においてその形質を持つものの割合が増加する。つまり、環境の圧力とそれに対する個と種の保存という性向が、それに適した形質を選択する。こうして、世代をくりかえすうちに、自然選択により複雑で新しい生物へと進化する。

遺伝子は四つのタンパク質の連鎖であるが、実際に機能を発現しているもの以外に、膨大な一見無駄に思われる部分を持っている。この冗長性が、遺伝子の偶然的な変化を受けとめ、外界との交流のなかで、新しい形質を獲得し定着させることを可能にする。人間は遺伝子ですべて決まるのではない。遺伝子もまたそのようには働いていない。あくまで環境を仮定し、その環境においてより適切な形質を定着させていく。個別の環境から切り離された単独者としての人間はあり得ない。

すべての生命の環境との関係を複雑かつ微妙に持った形質がこのようにしてすべて自然選択で形成されたのかどうかはわからない。ただ、時間は必要なだけの試行錯誤を繰り返せるだけ十分にあったことも確かである。この自然選択説は、現在の生物が共通の単純な生命から始まったことを示唆している。生命を物質に還元しつつ理解しようとするなら、進化発展はこのように確率論的につかむしかない。それが自然淘汰説である。


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