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人の成立

類人猿からの分離

人はどのようにこの世界に現れたのか。類人猿から分離して種としての人が確立したのは約500万年前である。今から約2400万年前、アフリカ大陸とユーラシア大陸は分離され、アフリカは「島」となって、固有の種が進化した。この時代は類人猿の時代であったが、この大陸の移動の結果として、地球規模の寒冷化が進み、熱帯雨林が縮小し、大規模に土地の草原化が進んだ。東アフリカでは広大な土地がサバンナとなりこの新しい生態系に多くの動物種が適応するようになった。その一種が人類最初の祖先で、これが約500万年前である。

ものの世界にいのちが結晶し、長い時を経て人が誕生しようとしている。ものの世界はいのちに生きる糧としてのさちを与え、さちを受けとろうとするいのちの営みが、生命の変転を促した。

すなわちそれは次のような過程であった。類人猿のなかで木から降りたものは、食料を得、また身を守るために、二本足で立ち遠くを見なければならない。ここに直立の姿勢が生まれた。直立の姿勢が固まったとき、足に比較して腕の長さがしだいに短くなった。結果、手の親指と四本の指との向い合いがしだいに完全なものとなり、手の把握力が確実になると同時に、手先の器用さがいっそう高まった。道具の製作と工夫は脳を刺激し発達させ、そして頭の重さを支えるのに都合のよい肩腰の強さが高まり、脳の容積と脳細胞の複雑さがいよいよ増大した。アゴの部分と歯の大きさが縮小し、噛む力は減少したが、口腔に余裕が生じて舌の発達を促し、有節音の発声を可能にした。

ホモ・サピエンスへの分化・確立にいたる過程

250万年前からおよそ100万年は、氷河期であった。自然環境は人に苛酷なものとなった。このとき、環境の変化とそれへの対応において人科に分化が起こった。第一は、体が固いものも噛めるように頑丈になり、巨大化する方向へ進化した(アウストラロピクテス)。第二は、手先の器用さがまし、道具の使用と火の使用によって環境の変化に対応しようとした(ホモ・ハビリス)。

ホモ・ハビリスこそ新しい段階の出現だった。氷河期の100万年、人科の脳は4倍も大きくなり、新しい人科が確立した。この時期を生き延びる必要が脳の容積を大きくした。最初の石器もまた、この時期に創造されている。ホモ・ハビリス(器用な人)の誕生である。

ハビリスは200万年前から150万年の間存在していた。その脳容量は530〜800立方センチメートルで、体重50キログラム、身長1.2〜1.5メートルであった。ハビリスは、原始的な石器を使用したほか、集団生活をし、簡単な隠れ家をもっていた。石器の使用や地球の寒冷化は、その食性に大きな変化をもたたらした。脳容量の増加は、子供を未熟児で生む必要を生じ、男と女の分業化を促進した。

その後、30万年の間氷期を経て、更新世(120万年前)になって地球は再び氷河時代に入る。地球の寒冷化に対応して人科の展開も新しい段階を迎えた。

エレクトス(直立猿人)の時代は180万年前から30万年前まであるが、脳容量は1000立方センチメートルに増加している。洗練された石器の使用のほか、長い準備期を経て初めて火を用いたのもエレクトスである。人科がアフリカを脱出し、ユーラシア、ヨーロッパへと拡散したのもエレクトスの時代である。およそ100万年前と考えられているが、最近ジャワ島で発見されたエレクトスの化石は180万年前と推定されており、これが正しければアフリカ脱出の時期はもっと早くなる。

道具と言葉

こうして、人間は「共有する道具をもって自然に働きかける生物」となった。この意義はかぎりなく大きい。どんな道具をもって自然に働きかけるか、この工夫が脳の発達を促し、道具の発展と脳の発達は相互に作用しあって前進した。道具を作って使うことも、チンパンジーの例でわかるように、それだけで人間になるわけではない。人間においては、

第一、
道具の製作と使用によって、自然に働きかけその対象を変えて再び人間が利用するという営みがはじまった。道具をとおして、人はものと語らうようになった。
第二、
このような人間の営みが日常的生活様式となり、このように働きかければこのようになるという世界のあり方としての法則性をつかむ力が人間にそなわりはじめた。
第三、
作られた道具を共に使うことによって、ものとの語らいが人と人と間の語らいを深め、人間どうしの結びつきが、自然な生物的なものから、次元の高いものに転化した。

人間のこのような転化を保証するものとして、このような作用が継続するように生物種としての人の遺伝子が確定していった。

道具の変化は生物としての種の変化確定よりもはるかに短い時間で自然と人の関係の仕方を変化させ展開させることを可能にした。雷や火山から火を知り、火を使いこなすようになり、火が自然エネルギーとしてが獲得された。アウストラロピクテスのなかで道具をつくり用いる能力を発達させる方向へ進化していった一群が、道具と手の動かし方を媒介にして、脳の働きというものを、相互関係にもとづき進化発展させていくことを可能にした。人類の発展は、むしろ個体としては非力であるゆえに起こった。古人類の個々の個体は決してライオンのように力があったわけではない。それがなぜ大型動物を実際に狩って獲物にすることができたのか。協力して獲物を襲い道具を使うということによる。このように、生きようとする生物としての基本性向そのものに人の進化の原動力があった。生命は、このように存在を維持しようとする基本性向が内包されている。

このような協働の労働のなかでそれと一体に、人の言葉が育っていったことは確かである。人の祖先が、「一音一語」の単純な言葉から、音そのものとしては無意味な音素を、集団のなかで互いに意味の共通する規則によって続けることによって、複雑な伝達を可能にする言語体系(統語法)を作りあげたのか、それはわかっていない。だが、協同労働のなかでの言葉の獲得、ここに、類人猿から人への進化の決定的な画期があることはまちがいない。

現生人類の成立

現生人類(新人)の出現には謎が多い。アフリカ単一起源説は、現生人類は今から20万年ほど前にアフリカで誕生し、その後世界中に広がったとする。拡散時にはすでにエレクトスが生活していたが、新人との遺伝的交流はなく絶滅したと考える。一方、多地域発祥仮設ではエレクトスから新人への移行を連続的に考え、複数の地域で地域的特徴を保持しながら現生人類に至ったとする。

収集されたミトコンドリア DNA の見本の分析は、(1)アフリカ単一起源説を支持し、(2)人種の分化は10万年以内、(3)集団の形成には多数の創始者から成っていた、ことを教えるとされる。 2003年になって、現生人類(新人)種では最古の、約16万年前のほぼ完全な頭骨化石がエチオピアで見つかった。アフリカ単一起源説は、遺伝子分析などから有力だったものの、直接に裏付ける化石は未発見で、中東や南アフリカで約10万年前までさかのぼれるだけだった。 高畑尚之は『人類進化の試行錯誤』(雑誌科学VOL.64 NO.11,1994.岩波書店.1994で、この100万年の人類の進化を二つの仮設よりももっと動的なものであったとする。すなわち、アフリカ脱出も一度や二度ではなく、何回にもわたってくりかえされた。後期更新世だけでもたび重なる氷期が到来している。これは、サバンナの消長に大きな役割を果たした。生計をサバンナに依拠するようになった人は、その消長とともに移動を余儀なくされ、脱アフリカがくりかえされた。ユーラシアが温暖なときには北部までの移住がおこなわれた。このような集団は多くの場合絶滅した。人が拡散した過程はきわめて変化に富むもので、最後に地球を克服するまで、不運な絶滅のくりかえしであった。

そのなかで、今につながる人類が成立したのだ。まことに不思議ではないか。


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