考える枠組みを定めることから始めよう。それは固有の言葉が本来もっている、世界を骨格において切りとる基本語を自覚的に取り出すことである。その言葉が意味することを、今日の世界のなかで再把握することである。
さて、世界のすべては「もの」である。ものほど深く大きいものはない。この単純な事実を土台にする。この世界は「もの」からできている。森羅万象、すべてはものである。これが世界である。まずこれを明確にしよう。この世界は「もの」そのものである。人もまたものの一つの形である。人はこのものを両手で受けとめ、思いをよせ、じっと見、そしてそのもののことを考える。ものに語りかけ、ものの変化を促し、ゆたかな実りをものから受けとる。ものがすべての根本である。
ものは存在し、たがいに響きあっている。これが事実である。世界はそれしかない。そのなかで、人とものとは豊かに交流しあい、語らいあう、これが世界の輝きである。
ものは、いわゆる物質と精神と二つに分ける考え方での物質とは、まったく異なる。このような二分法ではない。
「もの」は実に広く深い。この深く広いものを日本語は「もの」という一つの言葉でとらえる。この意義を吟味し、ここに蓄えられた先人の智慧に注目しよう。
人類がこの世界の登場する以前からものはあった。その「もの」はどのように人と係わるのか。まさに「人類がこの世界の登場する以前のもの」を考えることによって、そのものも人と係わる。
ものを第一とする理学は、「万物のアルケー(始源、原理、根拠)とは何か」を問うた「ソクラテス以前」のギリシャ思想に共感する。生物種としての人は数万年におよぶ協同労働の過渡期に協働体を発展させ、この過渡期を経ていわゆる社会、を生みだし人間となった。「社会」は実際には階級社会であったのだし、それ以外ではあり得ないのだが、人間はその社会のなかにあることによって自己の位置を反省し考えることを身につけた。古代社会が成立しさらに数千年の時を経て、初期ギリシアで人間は世界を「もの」として再発見した。このときの驚きと喜び、これが初期ギリシャ思想には満ちあふれている。
タレス(Thales)(B.C.624?〜B.C.546頃)は、「万物の根元は水(ヒドール)である」と主張した。タレスは紀元前585年5月28日に生地・ミレトスに起きた皆既日蝕を予言し、エジプトの実用幾何学を輸入して理論的な幾何学研究を始めた(ピラミッドの高さを測量した)。タレスの弟子のアナクシマンドロス(Anaksimandros)(B.C.610〜B.C.540頃)は、「万物はのアルケー(始源、原理)は不死不滅で永遠に自己運動する物質。ト・アペイロン(無限のもの、無制約なもの、無限定者)である」、「生成する事象は、時の秩序に従って、相互にその不正をあがなわなくてはならない」といった。タレスの孫弟子になるアナクシメネス(Anaksimenes)(B.C.546頃盛年)は「万物は気息(プネウマ)、空気(アエール)であり、万物は空気の濃淡によって生成する」といった。
初期ギリシャ思想の肝心な点は、それが内因論であることである。万物は、「水」という「もの」、「無限のもの」、「気息(プネウマ)、空気(アエール)」という「もの」なのである。万物の根元としてとらえられたさまざまの「もの」が、内部の要因によって生成発展することへの驚きと、生成発展の輝きを見た喜びと、世界の意義を聞きとった感動にあふれている。
プラトン以降の西洋思想は、初期ギリシャ思想のアルケーとしてあげられた根本物質が生きて動き千変万化するという自然学説を「物活論(hylozoismus)」と呼び、初期ギリシャ思想を初歩の幼いものとして相対化してきた。逆に理学は、初期ギリシャの「叡知を愛する人」(ハイデッガーはこのように言ってプラトン以降の思想との区分を明確にした)への共感とともに、「もの」がすべての根本であることを明確にする。
しかしわれわれは、ギリシア時代に生きているのではない。すでに見たように、古代ギリシア哲学は、プラトンの時代に大きく転換した。プラトンの時代にはじまる西洋世界が、二十一世紀に至って一つの極限に達し、このままでは世界が立ちいかなくなることが心ある人の目には明らかでありながら、活路は未だ見いだされていない、という時代である。この時代に再び「もの」を考える土台に置こうとするのである。
さらにまた、理学は、日本で最初に「理学」を提起した中江兆民のこころざしを継ごうとすることでもある。百年前に日本語で「もの」を第一とすることを主張したのは、中江兆民である。兆民は『続一年有半』において次のように宣言した。
余は理学において、極めて冷々然として、極めて剥き出しで、極めて殺風景にあるのが、理学者の義務否根本的な資格であると思ふのである。故に余は断じて無仏、無神、無精魂、即ち単純なる物質的学説を主張するのである。五尺躯、人類、十八里の雰囲気、太陽系、天体に局せずして、直ちに身を時と空間との真中《無始無終無辺無限の物に真中ありとせば》において宗旨を眼底に置かず、前人の学説を意に介せず、ここに独自の見地を立ててこの論を主張するのである。
兆民は「単純なる物質的学説」の主張を宣言した。理学はこの兆民の立場を継承することをこころざす。兆民が「物質的学説」でいう「もの」は、物心二元論にたつ「物質」とは違う。またいわゆる機械的唯物論がいう「物」とも異なる。理学は土台として日本語の「もの」からすべての考えを始め、兆民の「物質的学説」を深くとらえる土台を築きたい。
人間もまたものからなる。生きるものはすべて、ものが「いのち」という位にあるものである。人間もまた生きものである。ものは孤立しているのではない。ものはつねにたがいに関連しあい係わりあって存在する。人もまたものの世界のなかに生まれ、ものと係わる。人が生きることはものとの係わりそのものである。ものと人が係わる内容、それが「こと」のはじまりである。
このようにして、人間は言葉によって協同の労働をおこなう生命体となる。
「もの」と「こと」はそれぞれに別々なのではない。「もの」は「こと」にしたがい生成変転し、「もの」が生成変転することの中味が「こと」である。この一体のはたらきを「いき」という。ことと一体になったもののはたらきを「いき」という。 この世界の輝きと響きは「いき」の発現であり「いき」そのものである。
「いのち」は、「もの」の一つの存在形式である。「もの」と、ものの「こと」と、ものがことにしたがってはたらく「いき」が、世界のなかで一つの単位をなすとき、それはいのちである。
「いのち」は近代資本主義のなかで再発見される。ものを生産し価値を生み出す労働の源泉としてのいのち、である。資本家の側からいえば「殺さず、生かさず」の内容としての「いのち」である。近代になって再発見された「いのち」を普通は「生命」という。
生命は、生命体を構成する物質と、物質を組織する情報と、そして情報と物質を結合する働きとで、成り立つ。情報と物質は生命の不可欠の要素であるが、しかしそれだけでは生きたものとはならない。生命はこの二つの構成要素を生かす働きがあってはじめて成立する。「いき」はこのような「いのち」の三位一体構造の根幹をなす。いのちをいのちとするこの根元的な働きが「いき」である。
これが生命である。「物質・情報・機能」が集まっただけではいのちにはならない。これを一つのいのちにまとめあげる働き、これがいのちの本質である。この側面は実際のところ近代科学からは拔け落ちている。日本語はこの問題を言葉にしてきた。それが、「もの・こと・いき」として日本語に組み込まれた生命の存在構造である。「もの」と「物質」、「情報」と「こと」、「機能」と「いき」は相互に対応するがしかしまったく次元の異なる言葉である。「もの・こと・いき」はいのちにまとめあげる働きをもつかんでいる。
ものの世界に意味を見いだし、これを一つの「こと」としてつかむ。「こととしてつかむ」ときに、「とき」が生まれる。「時」の成立である。「こと」としてつかまれた内容を反省的にとらえたとき、人は「時間的に経過する一連の出来事」としてつかむ。
このことを鎌倉時代初期の仏教者道元は、「こと」と「とき」の生きた構造を直接につかみそして語った。道元は、主著『正法眼蔵』のなかの一巻「現成公案」のなかで、『身心脱落』について次のように言う。
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心、および佗己の身心をして脱落せしむるなり。
これは実に、「こと」と「とき」の生きた構造を直接につかむなかからの言葉である。自己が自己を脱落してことになりきったときの言葉である。道元は『正法眼蔵』「有時」において、
時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば、間隙ありぬべし。
とのべる。ここでいう「時」とは、まさにこの「ことが成立するとき」である。道元はさらに
尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。
ともいう(同)。ものはすべて「つらなりながら」、つまり大いなる「こと」のもとにおいて、あるのであり、しかも一つ一つが生き生きと時時なのである。「有時」なるとき人は「こと」はそれ自体にある。『正法眼蔵』の述べることは、「もの、こと、とき」の世界の基本構造そのものである。
道元の発心・求道はまったく内部からのものであり、さらに天童山での道元の経験は、「中国からの刺激」ではなく中国や日本という文化の制約をこえた普遍的なもので、如浄もまた、普遍的な立場から道元に法を嗣いだ。道元は自分の経験を述べるために、自身は堪能であった中国語を漢文として使うことはしなかった。中国語に堪能であっただけに、漢文式日本語の叙述に入り込む理の空白を道元は十分に認識していて、そうしなかった。
道元は、当時の日本語の枠組みのなかに中国語から漢字語を切り取って、独自に自己の経験に裏打ちされた意味をもって配置する、という方法をあみ出した。当時の日本語の条件のなかでそれ以外になかった。「山水経」のなかの「而今の山水は、古佛の道現成なり」というこの「而今」を、他に訓読みしうる表現で言うことはできなかった。言葉をこえた普遍性を獲得し、言葉からも自由な地点から逆に言葉を駆使した。正法眼蔵は、日本語の現実に立って普遍性を獲得する可能性を示すものである。
道元はもまた日本語に蓄えられた智慧を、そのときに一歩深めて『正法眼蔵』としてのべたのである。その「発菩提心」において次のように言う。
衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度他のこゝろを、おこさしむるなり。自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われほとけとならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して円満すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成仏得道に回向するなり。この心、われにあらず、他にあらず、きたるにあらずといへども、この発心よりのち、大地を挙すればみな黄金となり、大海をかけばたちまちに甘露となる。これよりのち、土石砂礫をとる、すなわち菩提心を拈来するなり。水抹泡焔を参ずる、したしく菩提心を担来するなり。
人に「人のためにと考えて生きる」生き方を勧めていくことこそが、人間が生きるうえでの意義である。人間がなにをなすべきかを端的に述べている。この言葉をよく味わいたい。非情の求道心と無限の向上、この道元の生き様は、日本語世界の心の支えである。
精神科医である木村敏氏は離人症における「こと」と「とき」の欠落を報告している。「こと」と「とき」が人間の認知を支える根幹であり、日本語はそれを「ことば」にしていることを述べている。理学の立場を臨床の場における事実でうらづけるものとしてその部分を引用する。
離人症におけることの欠落(『時間と自己』(木村敏.中公新書674.1982))
表情をもっているのは、顔や仕草、あるいは言葉や芸術作品のように、一般に表現の媒体とみなされているものだけではない。私の前に置かれているこの机、私が握っているこのペン、私が書いているこの一字一字にも、それなりの表情がある。それらはものでありながら、つねになんらかのこと的な世界を表出している。この机が狭すぎるというのもひとつのことだし、この小さい机がその上で書かれたいくつかの論文とともに私の歴史に組み込まれているというのもひとつのことである。なによりもまず、この机が現に私の前にあるということ、私が両肘でそれに触れているということも、ことの世界に属している。机というものはそれらさまざまのことを、ある意味では表現しているのであって、われわれが机を知覚するという場合、われわれは単に机のもの的な属性、例えば大きさや形や色や温度などを知覚しているだけではなく、つねにその背後にあることの世界をも同時に感じとっている。
この事実は、われわれの素朴な日常生活ではほとんど気づかれないぐらい自明のこととなっている。われわれは机を見る場合に、その視覚的あるいは触覚的な知覚像以外に、例えばその机の実在感とかその机にまつわる気分とかをいっしょに感じ取っているなどとは思っていない。そういった実在感やムードのようなものは、わざわざそれに注意を向けないかぎり意識されないものだと思っている。
ところがこの自明なこと的感覚は、ある種の神経症で跡形もなく消失してしまう。その場合、患者の知能にも行動にも、もの的なレベルでの知覚にもなにひとつ障碍は見出されないし、分裂病にみられるような妄想も幻覚もまったく出現しないだけに、この症状はかえってこの上なく不思議な現象であって、古来多くの研究者の注目を集めてきている。精神医学では、この特異な症状のことを「デぺルソナリザシオン」(de'personnalisation)、日本語では「離人症」、「人格喪失体験」などと呼んでいる。…略…
ことの世界を失った離人症患者においては、このような意味でのあいだとしてのいまが成立しない。患者が「てんでばらばらでつながりのない無数のいまが、いま、いま、いま、いま、と無茶苦茶に出てくるたけで、なんの規則もまとまりもない」と語っている真意は、実はいまの不成立ということである。患者のいう「いま」は、もの的な刹那点の非連続の継起にすぎない。そのために「時間がばらばらになってしまって、ちっとも先へ進んで行かない」のである。刹那的ないまが一瞬も止まらずに消え失せるのは時間が進行するからだ、と考えるのは錯覚である。時間が未来から過去へと連続的に流れるというわれわれの体験は、むしろいまの豊かなひろがりが、いまからといままでの両方向への極性をもちながら、われわれのもとにとどまっていることから生まれる。
道元は「時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば、間隙ありぬべし」といっている(『正法眼蔵』第二十、「有時」)。ここでいう「時」とは、いまのことだと考えてよいだろう。いまは、未来から過去へと飛び去るたけが能ではない。いまがそのように飛び去ることしか知らぬものであるならば、いまといまとのあいだに隙間があいてしまって、離人症患者のいう通りの非連続な時間が出現するだろう。道元はさらに「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり」ともいう(同)。この宇宙にあるすべてのものは、それがあるということにおいて、それぞれのいまとして連続している。あるということがそのままいまということなのだから、自己ということも、あるということとしていまである。
離人症患者は、自己を失い、存在感を失い、時間を失っている。これらの「症状」は、われわれがものの世界からことの世界へ眼を転じるならば、なんの煩瑣な説明をも要せずに、一つの基本的な障碍の表現であることが理解できるだろう。自己もことであり存在もことであり、そして時間もことである。…略…
しかしそれにしても、われわれが日常用いている「時間」の概念は、あまりにも強くもの的発想によって汚染されている。時間の概念をこと的に浄化するためには、われわれはまず、もの的な時間についてもうすこし深く考えてみなくてはならない。
…以下…略…
このように、世界を「こと」としてつかむとき、人が成立する。人は、世界をときの相においてこととしてつかむ。それが逆に人間を定義する。これが人間存在の基本構造である。これ以外にはあり得ない。