人間が考えるということは、言葉をもってしかあり得ない。「いや、美しいという感情、宗教での信じるということ、これは言葉をもってすることではなく、それを超えているのではないか」という意見もある。人間の心の働きのすべてが言葉によるということではない。しかしながら言葉を超えたどのような心の働きも、言葉によって可能な限界まで考えられたうえでのものでなければ、一時的なものに過ぎないし、また、人間どうしがその心の働きをともにすることもできない。
人間は、言葉を持って協同して働く生きものである。人が人間たるゆえんの言葉を「固有の言葉」という。真剣に深く考えようとすれば、人間としての存在を定めている言葉、つまり固有の言葉で考えるしかない。近代日本の大学での営みはこの一番肝心なことが忘れられていた。西洋の書物の翻訳書に対して元の書物を「原書」などといって翻訳より価値があるものとしてきた。『理学』はそうはしない。固有の言葉で考えぬく。
だが、考えることが言葉によってしかあり得ないとすれば、人間は言葉の固有性に縛られ、同じ人間として異なる言葉を固有の言葉とするものどうしが真に分かりあえることは不可能なのか。それに対して次のような意見がある。
人間は何のために生きているのか。この生きがたい時代に、生きる寄る辺は何か。このようなことを切実に考えること、それが哲学だ。それは洋の東西を問わないし、そうである以上人間は言葉を越えて分かりあえる。人間が、混乱と混迷の時代に「固有の言葉ではじめから考えようとする」ことは、とりもなおさず「哲学する」ことだ。
だが一方で、次に述べるように、哲学はもともと西洋ではじまったものであり、西洋の言葉を離れて哲学はない、とする意見がある。この問題は日本語だけの問題ではない。日本語だけの個別の問題とはせず、今日の世界のなかの問題の一つとしてとらえよう。同じ問題を西洋内部で考えた人はいないか。
このとき、フランスの現代哲学者であった L.アルチュセールの言葉はいくつかの考える契機を提供する。 L.アルチュセール自身はマルクス主義者である。マルクス主義は、近代資本主義の歴史的な必然性を解明するとともに、資本主義を乗り越える道筋を提起した。その理論と思想はロシアや中国をはじめとする多くの地で実践され、社会はひとたびは資本主義を乗り越える過渡期に入った。しかし、二〇世紀末になってすべての試みは解体した。 L.アルチュセールは、生涯マルクス主義の再生のために闘ったし、その立場から、「哲学する」ことを深く考えた。
彼の言葉は明確である。それはとりわけ非西洋の世界において「固有の言葉で哲学する」とは何か、についてであった。
アルチュセールは、今村仁司(『アルチュセール(現代思想の冒険者たち22)』講談社.1997)によれば、未発表草稿のなかで「哲学と科学の独自の関係」について次のことを述べている。この言葉は、アルチュセールを知らなくてもそれ自身として明確な主張である。
歴史上の科学革命と哲学革命との間に明白な関連がある。圧縮していえば、哲学革命は必ず科学革命の結果である。その逆はない。ギリシア数学の後にはプラトンの哲学が出現し、ガリレイの科学の後にデカルトの哲学が、ニュートンの科学の後にはカントの哲学が、数学論理学の後にはフッサールの哲学が、結果として出現する。そしてマルクスの歴史科学の後にはマルクス自身の唯物論哲学が出現する。どの哲学も性格は違うにしても必ず認識論を含んでいるが、それは科学的認識なしにはありえないことだ。哲学の出現、つまり先例のないプラトン哲学(プラトン以前には哲学なるものは存在しなかったから)の出現はギリシア数学との本質的関係から生じたが、その関係のタイプは現代まで連面と続く。だから、ギリシアと西洋のなかにしかフィロゾフィーの問題はない。科学との本質的関係こそがフィロゾフィーを出現させるからだ。非西洋でもフィロゾフィーに類する思考がありうるが、科学との本質的関係がないのだから、本来の意味での「哲学」問題はそこにはない。
これは明白で端的な言明である。科学は西洋語世界のなかに起こり、そこにしか起こらなかった。哲学とは新しい科学の土台にある考え方として生まれるものであるから、哲学は西洋にしかあり得ない。これがアルチュセールが言っていることである。
「いまや科学は世界中のどこでも行われている」と考える人もいるだろう。だがアルチュセールは、そのような「科学」は、第一に科学の技術への応用であって科学そのものではないか、第二に科学者個人が生まれ育った言葉の世界と断絶して西洋語世界のなかに入って行っているに過ぎないか、いずれかでありそれ以外にはない、といっているのである。大学で学術研究に従事する人は「そんなことはない」というかもしれない。だが、例えば、たとえ新しい優れた内容をもっていても日本語で書かれた学術論文は西洋語で書かれたものより位置づけが低いという今日の大学の事実が、アルチュセールの言葉の真実性を示している。われわれは、このような知のあり方を転換しようとしているが、事実はかようである。「哲学があるとかないとか、そのように厳格に考えなくていいではないか」とう意見は言わせておこう。われわれは「日本語に科学がない」という問題を真剣に考えた。
アルチュセールは、西洋哲学は本質的にプラトンにはじまるという。プラトンの哲学とは、ギリシア時代に成立した人間の一つの考え方である。ギリシア文明は紀元前5世紀から前4世紀にかけて、イオニア地方の形成期の都市国家で形をなした。商業と技術が大いに発展し、これを担った新しく勃興しつつある商業貴族の意識は、何ものにもとらわれずにはじめから客観的に考えようとする。ピタゴラスの幾何学や天文学はここに興った。氏族の神話による世界の見方を疑い、ものそのものの本質を問い、もののことわりをつかみ、より根本的なことわりから説明し理解しようとした。
プラトン哲学は、この科学を前提にし、時代の転換を背景に勃興期の古代哲学から大きく転換するものであった。
プラトンで一体何が成立したのか。時代背景としてはペルシャ戦争における勝利という、いわば西洋の東方に対する軍事的勝利と奴隷制度を土台とするアテナイの物質的繁栄がある。このとき、直接の生産活動から解放された知識人が生まれた。生産活動から切り離されているがゆえに、その知性は「それは何であるか」と客観的に問う方向に向かった。この知性の向かうところは結局「あるとはどういうことなのか」「あるとは何があるのか」という問いに至り、これが高尚なものとされ、「あるとはあることそのものである」という事実としての存在から、「あるとは何があるのかというその何とはなにか」によって指し示される本質的内容としての存在が分離され区別されるようになる。「机をつくる」において、つくる職人よりも先に「机の本質」があり、そのゆえに机の制作が可能であるとする立場である。これは直接生産よりも高尚なものを仮定する貴族の思想である。このような「本質」の世界がプラトンのいうイデア界である。イデア界の認識方法として定式化されたのが弁証法であった。プラトンの立場は、弁証法によってイデア界の構造を認識し、現実の世界をイデア界に近づけることを人間の生の目的と意義とする。
では、その科学がとりもなおさず西洋語世界のなかに起こったのはなぜか。それは偶然である。が、科学を西洋語は受けとめた。西洋語で組織された協働体の構造のなかに科学は確固とした位置を占め、社会と言葉の仕組みが科学を発展させた。その科学を前提に「哲学」が生まれた。哲学は、協働体の言葉の構造を仲立ちに、科学の土台にある考え方として抽出される。あるいは抽出しようとする知的運動そのものが哲学である。西洋語の構造から抽出された考え方の基本が「哲学」である。哲学の誕生は西洋語の構造に本質的に規定されている。したがってそれは西洋のものであり、西洋語のなかでしか「哲学」はありえない。これがアルチュセールの考え方である。西洋語を欠いて哲学はありえないのであるからその翻訳は不可能である。非西洋語のなかにおける「哲学」は虚像に過ぎない。これがアルチュセールの言っていることである。
これは、非西洋世界における「哲学」西洋哲学の翻訳そのままではあり得ないということを明確の述べている。しかしわれわれは、アルチュセールがこのように明言することによって、実は西洋哲学を相対化する視点もまた提起していることを指摘する。
西洋にしか人間がいないということはない。一方、哲学は西洋にしかない。したがって人間の原理は西洋哲学より深い。この深みにおいて考えること、それがわれわれの『理学草稿』である。アルチュセール自身も「非西洋に哲学なし」と「哲学」を相対化した上で、さらに深く人間の原理まで考えようとしていた。
アルチュセールは『資本論を読む』の方法を論じた論文のなかで人間と社会を洞察して、「人間が何かを考え問い答えることが可能なのは、そもそも問いと答えを可能にする大きな枠組みというものがあるからだ」、述べる。この枠組みはある言語の社会で、あるいはさらに一定の協働体で厳密に設定されているという。この大きな枠組みをかれは「problématique」となづけた。今村仁司( 同上書)は「問いの構造」と訳している。だが、「problématique」自身が、その構造を探求すべきものであり、「problématique」それ自身が「構造」なのではない。『「problématique」の構造』が考える対象となるのだからである。従って、われわれは「problématique」を「問いの枠組み」と訳する。問いの枠組みはひとつの時代がどこまで考えることができ、どこで限界にぶつかるのかをも決定しているという。アルチュセールによれば、哲学とは問いの枠組みを生産し構成する理論そのものである。哲学の歴史とは、時代を画する問いの枠組みを自覚的に首尾一貫して構成するような理論構成法の歴史である。まだ形をなしていないが、いずれ考えかたの歴史に革命をおこすであろう問いの枠組みを読み取り、それに理論的形式を与えることは、哲学の主要な仕事であるとする。これがアルチュセールの言うことである。彼はこのように言うことによって、西洋の側から「哲学」を超えようとしていた。
「problématique」はドイツ語の「Problematik」からきている。「問題があること」が言葉そのものの意味である。が、アルチュセールは、何かが問題であると思うのかは実は個人の個別な意識ではなく、時代のなかに何が問題であると思うかを規定するものがあるとし、それを「problématique」としてとらえた。「問題意識」を生じさせる「もの」それが「problématique」なのだ。だから哲学は、問題意識を規定する枠組みそのものを問題にしそれを変革する営みであるというのだ。
アルチュセールの提起した問題は、戦後西洋思想の一貫した問題であった「時代の知の枠組みとその転換」に関する考察のなかでなされた。1960年代以降、「パラダイム」、「エピステーメ」、「プロブレマティック」という考え方が登場した。「パラダイム」は1996年6月に死んだアメリカの科学史家トーマス・クーンが、1962年に出版された『科学革命の構造』で提出した概念である。本来の言葉の意味は「手本」とか「範例」といった意味であったが、クーンはこの言葉を展開して、その「時代の科学的考えかたのを規定する基本的な枠組み」としてこれを提起した。ありふれた言葉から、思想の枠組みを規定する考えかたを創り出すこのような作業こそ、哲学であった。1960年代末の大学闘争のなかで既成の学問体系を問い直すという機運が起こった。そのゆえにこの概念が大衆的に受け入れられていった。「時代の考えかたを根底で規定している枠組み」が考える対象として認識されたこと、これは世界的にいって戦後思想の大きな特徴であり、1960年代前半に準備され、同年代後半の先進国学生学生闘争のなかで一般化した。日本にも紹介されたが、例によって日本語に翻訳することができず、「パラダイム」と音訳のままであった。
「時代の考えかたを根底で規定している枠組み」という考えかたをもっとも厳格にかつ徹底して考察したのが、戦後フランス思想であった。
かつて中江兆民は、「フランス人はデカルトを誇り、デカルト哲学は立派な床の間の掛け物としてフランスとその人民の品位となっている」とフランスにはあるべきものがあることを評価している。そのフランスで第二次世界大戦の後の半世紀、戦後フランス思想と呼ぶべき思想の百花繚乱があった。それは、人民戦線とレジスタンスの経験のうえに、兆民のいう「哲学がある」ということはいったいどういうことなのかをめぐって展開された。レジスタンスは人間が何をなしうるのかを端的に示したものであった。レジスタンスの権威が戦後のフランス共産党の背後にあった。フランス共産党とどのような位置関係をとるにせよ、フランスにおいては、レジスタンスの権威に対峙しうるものを内部に築かなければ思想を立てることはできない、この事実がフランス戦後思想を鍛えあげた。
戦後フランス思想もまた日本に紹介されたが、大半は次から次へと流行を追うものであった。兆民は『毎夕新聞』論説で国権論に転向した言論人を、『欧米の民権は、行なわれたるがために、言論としては陳腐也。我国の民権は、行なわれずして而も且つ言論として陳腐となれるは、果たして何を意味する乎』と批判しているが、戦後フランス思想を紹介した日本国の人々の水準は、まったく兆民の批判の対象そのものであり、この批判に答える力のないもであった。「非西洋に哲学なし」ということを基調にした戦後フランス哲学を日本の大学の「哲学科」の教授が紹介するという、まったく滑稽なことが横行した。「非西洋に哲学がない」のなら、日本の大学の「哲学科」は何をするところなのか、そこでの「哲学」とは何なのか、がまず問題にされねばならない。しかし、このような問いの存在にすら気づかなかった。日本の大学哲学科は西洋哲学の紹介窓口にすぎなかった。それは今も変わらない。
『ことわりの学・理学』は、「非西洋には科学がなく哲学がない」という事実をふまえ、そのうえに立って問いの枠組みを問う。「問いの枠組み」の存在そのものから考え直そうとする。「問いの枠組み」という考え方の底には、西洋の普遍主義、あるいはキリスト教の普遍主義に通じるものがあるかもしれない。理学は、固有の言葉のなかに蓄えられてきた智慧を掘り起こし、現代に甦らせ、これからの言葉の土台とすることを試みのうちに含む。日本語に込められた智慧を掘りおこし、耕すことで西洋の「哲学」を相対化し、「問いの枠組み」を生み出す考え方そのものを問う。西洋文明が押しつけた疑似の普遍性ではなく、固有性が解放された普遍性が可能であるかを問う。それが、現代フランス哲学がその存在で提起することを、自ら内部の問題として受けとめることであると考える。
アルチュセールが定義した言葉の厳密な意味における狭義の「哲学」は、プラトンにはじまり二十世紀後半フランスを中心になされた思想的営みによって区切りをつけられる。それは人類史上に出現したひとつの〈考え方〉であった。一つの側面から言えば、その考え方は西洋語によって規定づけられており、西洋語が規定づけた〈考え方〉が科学を生み出し、科学を土台に哲学が誕生し発展した。他の側面から言えば、科学を誕生させたような知の構造が言葉も規定し、それをなかだちに哲学が形成された。これは西洋に固有のものであって非西洋に内在はしない。日本語を固有の言葉とする「西洋哲学者」とは、自己を日本語から切り離し、個人として西洋語のなかに入り込むのでないかぎり、ありえない。この意味で「日本語で考える哲学者」というのはありえない。
しかし、アルチュセールは自ら定義した言葉の厳密な意味における「哲学」からはじめて、それをこえる地点に至っている。狭義の哲学の起源とを問うことで、狭義の哲学を生みだす人間の営みを問うこととしての広義の哲学を定義し得ている。すなわち、哲学とは問いの枠組みを生産し構成する理論そのものとする考え方である。
これは西洋哲学のなかから生まれ、それをこえようとする新たな哲学の言明である。
資本主義とその批判に関して、アルチュセール自身は次のように考えた。マルクスは近代資本主義に対する徹底した原理的批判をおこない共産主義をめざす運動のための思想的土台を築こうとした。マルクスはその思想的営みを、近代資本主義が生み出した〈生命・言語・労働〉という基本的な知の枠組みのなかから開始した。従ってマルクスが根底から資本主義を批判するのであれば、〈生命・言語・労働〉という枠組み自体を批判し越えなければならない。マルクスの『資本論』では、実際には近代思想の基本的な枠組みをこえた新しい知の枠組によって資本主義の批判がなされているが、それはそれとしては明示されていない、したがって『資本論』から新しい知の枠組みを明示的に取り出さなければならない。このように考え、それを実行しようとした。
理学も〈生命・言語・労働〉という考え方の枠組みから出発している。第三章「歴史を尊重しよう」はそのことが明確である。「〈生命・言語・労働〉という考え方はすでにフランス思想で乗り越えられた」という批判があり得る。しかしその批判は、兆民の「行なわれずして而も且つ言論として陳腐」という批判を理解していない。少なくとも日本語世界では〈生命・言語・労働〉は乗り越えられていない。今でその段階にも達していない。われわれは歴史の段階を観念だけで乗り越えたとすることはできない。われわれでこの問題に内部から取り組まねばならない。日本国では一時期「ポストモダン」などと称した「思想」が流行った。しかしそれは、近代を観念のなかで「超えたつもり」になるだけのものであり、現実に対するはたらきかけを欠いているがゆえに、実際には近代に足をすくわれ、こけてしまった。
われわれは、アルチュセールの提起した「マルクスが資本論で実行した新しい考え方の枠組みを取り出す」という課題は、まだ解決されていないと考えている。アルチュセールは「非西洋に哲学なし」といった。それは非西欧の側から言えば、西洋内部からなされた「哲学」の相対化である。西洋は、近代資本主義から帝国主義に至り、みずからの「哲学」を普遍的なものとして押しつけた。今日、アメリカ帝国主義は経済至上主義と情報技術を武器にして、それを行っている。「非西洋」はこのことを身をもって知っている。その故に、西洋の普遍性を相対化し、さらに高い普遍性を実現する可能性をもっている。西洋内部にもそのことを自覚する思想はある。
アルチュセールの、哲学とは問いの枠組みを生産し構成する理論そのものとする考え方をわれわれ自身で受けとめ、それを固有の言葉の内部から考えることが『ことわりの学・理学』の動機の一つである。『ことわりの学・理学』は固有性が共存する場としての普遍性をめざす。そのような考え方の存在を仮説として追求する。
ここに『ことわりの学・理学』の目指す内容がある。
西洋が科学と哲学を背骨として創出した科学技術は、西洋資本主義の産業革命の土台となり、新しい産業の力によって、西洋帝国主義による野蛮な世界支配という事態が現出した。そして今日、情報技術の進展は世界をひとつに結びつけている。この事実を正面から受けとめ、受けとめることでより深い普遍性を実現しなければならない。現代に非西洋世界で真に考えるということは、何より言葉の内部からの促しによっておこなわれる。それは前提である。そのうえに西洋とその科学技術の普遍性を相対化するより深く広い新たな普遍性を実現してこそ意味を有する。西洋が生み出した科学技術の普遍性に対して歴史的な文化の多様性を強調する「文化多元主義」や国際語の効率に対して歴史的な言語の多様性を強調する「多言語主義」は、それだけでは西洋の普遍に対抗するのに非西洋の多様性を対置する相対主義である。そうではなく、固有性を土台にして互いにわかりあえ、固有性が生き生きと育つところ(場)としての普遍性が実現されねばならない。そのためには、それを可能にする言葉が耕してつくられなければならない。「ことわり」という言葉を掘り起こすことによってはじめて「dia-logos」がつかめたように、分かりあえるためには固有の言葉を耕すことがなければならない。固有性が共に生きる場としての普遍性。西洋を相対化する高い段階における普遍。この普遍を実現するためには、固有性が徹底して耕されなければならない。
新しい高い段階の普遍性を現実のものとする根拠は、協同労働する人間のあり方の普遍性と働く人間の共感、響きあいにある。しかしこれはまだ可能性でしかない。新しい世界を支えるものは何か。経済力、政治権力なのか。いや、そういうことではない。では芸術の力か、文化か。そういうことでもない。いまだ現れていない人間の可能性である。新しいものである。かつての共産主義運動はそれを人民の権力においた。われわれにおいてそれは何か。われわれの試み自身がそれを開いていく。われわれは、身の回りからこの世界を耕し、新しい人間のつながりのあり方を生みだしていこう。