この一文の著者が「歴史を観念で越えることはできない」と考えるようになったのは、次のような経験による。学生時代、当然のように、社会主義革命論者であった。大きくはブント(共産主義者同盟)の思想潮流のなかにあり、学内外の運動に参加しはじめた学生の多くがそうであった。
その後、高校の教員になる。教育現場での労働運動や地域の部落解放運動やいろいろな教育課題に取り組む中で、人々の要求していることは社会主義の実現ではなく、すべては民主主義の課題であった。労働条件、地域の教育への要求、中学の今で言う特別支援学級を出た生徒の地元の高校への進学保障。すべてそうであった。
現実の要求が民主主義である以上、その歴史を観念で越えて、社会主義を主張することは、現実の歴史の要求と異なることになり、現実的な力を集めることはできない。現実のもっとも主要な矛盾となっている課題に対し、それに利害の一致するすべての人々を集めて取り組む。
一つ一つの取り組みから教訓を引き出し、すすんでゆく。ある課題では一致していたものが、次の課題では対立するということはいくらでもある。このように互いの違いを認めあって、当面する課題において行動を統一する。これが出来なければ、現実の歴史を動かすことはできない。
資本主義は「市場主義」や「大域主義」という普遍性の名の下に、働いた人からさちを奪い資本を増殖させる。さちを奪い資本を増殖させる場所、それが市場である。市場のやりとりを善とする世界に対して、さちを奪われる側の世界は、今日もさちを受けとるいとなみ自体に価値を見いだす。さちを受けとるいとなみこそが人のいとなみであり、人生の意味である。その営みそのものが世の前に出なければならないし、今日の世界のあり方は必ずそのように転換される。
その根拠は何か。
人が協同してはたらくことを協働という。協働の場は言葉によって成立する。協働の場はことわりのひらかれる場である。協働の場を成立させる言葉、それは同時にその人をして人としている言葉である。それを固有の言葉という。ことわりは必ず固有の言葉でひらかれる。それ以外にない。固有の言葉を粗末にするものにことわりがひらかれることはない。固有の言葉で切実に生き、はたらかなければ、ことわりはひらかれない。人がこのように生きることは言葉の違いを越えた真理である。
働くものは、いのちのはたらきとして耕し、ものの世界から「さち(幸)」を直接に受けとる。この形式はさまざまでも、この本質は人に共通のものである。世界は、一方で国家に分断され、一方でさちを奪う側と奪われる側に二分されている。だが、直接にさちを受けとる場で働くものは、はたらくものとして同じ経験をしているがゆえに、必ずわかりあえる。協働の場には共感と連帯がある。これは国家の力による世界の二分を乗りこえる。国家の力を背景に資本を操り資本の増殖をめざすものは、固有の言葉が生まれ育つこの場とついには切り離されている。直接にさちを受けとるもののみが、結局はこの世界の意味である。
このゆえに「さち」が人の「幸い」である世は実現可能である。ことわりあいの場に届くまでに耕された言葉と言葉が、ことわりのひらかれる場において出会うとき、それは可能である。ことわりがひらかれるとき、そこで輝くことを聞きそして語らえ。考えてなったことを智慧としてことばに留めよ。それはかならず、時空を越えて、固有の言葉で切実に生きるものにつたわり、また他の言葉で生きるものにつたわる。そして、はたらくものをひとつに結びつける。言葉の智慧はこの世界を転換し、いのちの輝きを取り戻す。こうして固有性が輝いて共存する世となることは可能である。
人類は、社会を構成するすべての人がすべての情報を共有しつつ、自ら主体的に判断し社会の主人公として生きることができる可能性を、獲得している。これはまた、世界の各民族が、その民族性を最大限に発揮しつつ、人類として、国家の枠組みをこえて協同しうる可能性を意味している。
有節音の技術(つまり言葉の獲得)が人の思想を可能にしたように、高度情報化技術は人の新しい知恵、すなわち個の尊重と協同して生きることの完全な両立の知恵を可能にしている。これはまさに階級の廃絶された共産主義である。生産力の発展は不可避な客観的過程であった。その不可避の過程が現在到達している段階の、本質的な意義は共産主義が可能性として存在しているというところにある。
今日、この可能性は、現実性に転化していない。人はまだ、今日の技術のもつ可能性の実現、つまり人類の人としての解放の実現を果していない。
(一)相対性理論と量子力学という根本的に新しい世界認識によって獲得された現代技術は、人の真の解放の可能性の技術的土台を準備した。
(二)この技術的発展によって生まれた可能性というものは、本質的なものであるがゆえに必ず現実性に転化するし、またしなければならない。
(三)しかしにもかかわらず、現実にはこの可能性はまだ可能性のままであり、現実のものとはなっていない。
可能性を現実性に転化するためには、人の目的意識的な闘いが必要である。このような技術がわれわれの前に開けるとは思いもよらなかったことである。しかし事実として人はこのような情報技術を手に入れた。ロシア革命の時代にも情報技術の革命的進展があった。それが鉄道網の広がりである。
いままた新たな革命の技術的土台として情報技術がある。しかし,情報技術はあくまで方法であり手段である。鉄道技術の場合もそうであったように、技術を生かすも殺すもそれを担う人の問題である。
しかしそれは、人びとが階級という言葉で考えることを恐れたものによって消されたのであり、社会主義や共産主義への攻撃と同じものである。そのような思想的攻撃に多くの人がうち負けてしまい、階級概念を放棄、その結果人びともこれを失ったのである。また、「ブサヨ」の言葉などが示すように、「左翼」ということを、内容を考える前に拒絶するように仕向けられている。これは、若者が階級という考え方をつかむことを恐れるものたちによる、世論工作の一環である。
それは逆にいえば今なお階級概念は有効であるということを意味している。そして誰が恐れているのか。実際の問題ははるかに複雑であるが、まとめて言えば、新自由主義という資本制度によって人を自由に搾取し莫大な利益を得てきたものたちである。彼らが階級概念の広がりをもっとも恐れている。人を資源として使いたいときだけ使い、不況なれば真っ先にクビを切る。資本にとってこんなに使い勝手のよい労働力はない。
彼らは階級という概念をつかんで人びとが団結することを恐れている。いま不安定な職にしか就けない若者が『蟹工船』に共感する。それはまさに同じ階級に属するという事実が生み出す共感なのである。同じ存在、同じ立場が共感を生み出す。そのことを若者がつかんだとき、形態は違っても「同じ立場、同じ階級」に属するものとの連帯が生まれる。それを恐れたのである。
まず、古来の民俗や習俗、そして古くからの日本語を大切にし、慈しむ。これを土台にして、天皇にまつわる虚構を打ち破る。このように進まねばならなかったが、それはできなかった。今日、旧来の左派が力をなくし歴史の課題に応えられない現実の、そのわけは、ここにある。
われわれはこの事実を確認し、根のある左派、根のある市民、その運動を生みだしてゆかないかぎり、前途はない。沖縄における闘いや原発に反対する運動などのなかに新しい芽はある。希望はある。
当時、小泉改革で最も切り捨てられる層が小泉を支持したという批判が幾人かの識者によっなされました。しかしその多くの言論は若者の焦がれるような現状打破の気持ちをわかってはいなかったし、また、若者が階級意識をもつことを妨げてきたものこそ、偽善的な左派や市民派の人だった。
新自由主義がこれほど露骨になる前、七〇年代、一部のいわゆる先進資本主義国は、広範なアジア・アフリカへの新植民地主義支配を土台に、国内では修正資本主義、ケインズ主義をおこない、福祉国家などのような政策をもとに一国内階級融和政策を推し進めた。その結果、左派政党も改良主義に陥り、一国内の利益配分を少しでも自分たちに有利にしようとする方向に向かった。七〇年代から八〇年代のその政策は六八年の青年学生の反乱に対する融和策でもあった。
基本的には社会主義陣営への対抗策であった。その方向を転換したのが、アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相であった。かれらは、正面から自由主義経済を掲げ、ケインズ主義からの決別を宣言、今日の新自由主義につながる露骨な資本主義を進めたのである。ソ連や中国の状況からもはや社会主義が脅威でないとの読みがあり、事実その後社会主義陣営は崩壊、その後なだれを打ったようにいずれの国々も新自由主義を取り入れる。
こうして、階級融和は放棄され、それとともに階級概念が現実の土台を再び獲得してきたのである。しかし社科学者や政治学者など既成の知識階層の人にはもはやこの概念を再び生かす力はなかった。
zw階級[英class,独Klasse] <歴史的に規定された社会的生産の制度のなかで占める地位の点で、生陸手段に対する関係の点で、労働の社会的組織における役割の点で、従ってその自由にしうる社会的富の分け前をうけとる方法とその分け前の大きさの点で、他から区別される人々の大きな集団>、<社会経済の一定の制度のなかで占める地位が相違するおかげで、その一方が他方の労働をわがものとすることがでさるような、そういう人々の集団>(レーニン)をいう。経済的に支配的な階級は政治的にも支配階級となり、また精神的にもその影饗力をひろげる圧倒的な諸手段を支配している。階級性とは、階級社会のあらゆる人の政治的行動や精神的活動がすべてその属する階級の刻印をおびていること、そしてこれが職業その他から生じるあらゆる相違よりも根本的意義をもっているということである。マルクスは、ある階級に属する諸個人が客観的に共通の利益をもちながらも、まだこの連帯にめざめず、階級的に団結しない段階にある階級を、へ一ゲル用語にならって、<即自的階級>(Klasse an sich)とよび、自覚をもって団結するにいたった階級を<対自的階級>(Klasse für sich)とよんでいる。
金持ちと貧乏人、人を使うものと人に使われるもの、ここに厳然とした本質的な違いがある、そういう思想である。もちろん、最終的に誰が支配者かといえば、国際的な金融資本やアメリカの産軍複合体などいろいろと具体的な分析しなければならない。また、そのなかで国民国家はどのような役割を果たしているのかという問題も重要な問題である。一方、いわゆる知識層はどうなのか、一般の管理者はどうなのか、農業、個人商業などはどのように考えるのか、などいろいろある。
しかしそれが重要なのではない。階級思想が広がることをおし止めたいものほどそのような質問を出すのである。しかしそれは本質的なことではない。貧困にあえぐ労働者が「階級」という考え方をするのかどうかなのである。われわれ新自由主義の抑圧のもとにある階級は、まさに資産のない階級である。これは言葉の真の意味で無産階級である。無産階級はプロレタリアということである。でも無産階級の方がよくわかる。
先の小辞典の定義では自覚するものと自覚しないものを区別している。確かに認識の最初の段階では次のようになることが多いである。自らの置かれた状況は自分の責任であると考えたり、運が悪いと考えたりし、上に取り入って解決しようとする。あるいは同じ立場のものを蹴落として自分がはい上がろうとする。これらはすべて自己にこもって客観視できない階級。
それに対して経験を経て理論を身につけることで、自己の境遇は自分の責任ではなく社会的に作られたものであると知り、同じ立場のものが力をあわせて乗り越えていこうとする、この段階になった階級を自己を自覚し、こえる階級。このようにいうのである。雨宮処凛が「プレカリアートという言葉を知って自分は解放された」という意味のことをいっているが、これもまた同じことをいっている。
『岩波小辞典 哲学』における階級の定義は、われわれの定義でもある。
国境を越えるということについて一つ考えるべきことがある。それは日本と中国や日本と韓国の間にある問題である。中国では小泉首相の靖国神社参拝など日本政治に何か軍国主義の復活に向けた動きがあると、すぐに反日デモなどが起こる。それ自体は当然なのであるが、それに対して日本の側でも反中国の世論が広がる。江沢民が中国共産党総書記の時代におこなわれた歴史教育は「日本民族は中国民族に残虐なことをした」という民族主義にもとづくものであった。その教育で育った世代がいま社会の中心にいる。
一方、四川大地震での救援活動で日本人を見なおしたり、また日本漫画の深い浸透などがあり、中国では日本をどのように見るか、大きな分岐が存在する。それは日本側でも同様であり、資本主義中国が覇権をうち立てていこうとすることに対する恐怖心を背景にする中国脅威論やその裏返しの中国の貧困や環境破壊をことさら取りあげる論と、日中戦争の教訓から中国との友好を求める論がともに存在している。しかしそれらは、中国民族と日本民族の問題として考えているという基本的な共通点がある。
しかし事実は、日中間の問題は階級の問題であって民族の問題ではないのである。毛沢東の時代にはこの原則が打ち立っていた。日本軍国主義は日中人民の共通の敵という考え方で貫かれていた。問題なのは軍国主義の復活をめざす日本の保守層であって、人民は相互に信頼しうる。日中戦争での日本軍の残虐行為は、軍国主義の戦争が生みだしたものであり、戦争がいかに人を変えるかという問題であって、民族固有の特質ではない。日中の人民は協同して日本軍国主義の復活と闘わなければならない。これがかつての中国共産党の立場である。
ただそれは、現在の中国支配層への批判になる。中国共産党は完全に資本主義の利権集団になっている。中国人民の批判は本来この腐敗した政権に向かわなければ、現代中国の問題を解決することはできない。もちろんそれには一定の歴史的条件が必要で、いまはまだこの政権から利益を受けるものの力が強く、政権への反抗は散発しておさえこまれている。
階級という問題は普遍性の問題である。新自由主義が全世界規模の搾取体制となったことで、そのもとに置かれた人びともまた同じ相手のもとにあるもの同士としての連帯が必然となります。階級という普遍性の場で、固有性はどのように生きるのか。あるいは生かしうるのか、この回路を人類はまだ見出してはいない。
わたしたちは、人は言葉の違いをこえてわかりあえる。しかしそれは、固有の言葉を深く耕すときはじめて可能であると考える。そのときはじめて人は、協同して働き輝きながら向上する生命としての本質において同じであるという普遍性のうえに立てると考えている。
人は、それぞれの人の生きた深さにおいてしか、互いにわかりあうことはできない。言葉の問題ではない。人がわかりあえるためには、生きて固有の言葉を拓き耕し、人の土台に至らなければならない。それができなければ、転換期を超える新しい段階の人は生まれない。
固有の言葉に根をもつ普遍性が開示される場で、はじめてともにわかりあえ、ともに生きることができる。近代資本主義が力をもって押しつける「普遍性」は普遍でない。真の普遍は、固有性が共存するところ(場)としてのみ実現される。それは、西洋近代を構成する部分をもひとつの固有性とする、新しい段階の普遍性である。しかし、それは、土台としての言葉が深く耕されなければ不可能である。
もとより、固有性を徹底して耕せば新しい普遍性を獲得でき人と人はわかりあえる、ということは、それだけでは正しくない。階級が同じであるという根拠のもと、同じ階級の場において、言葉が耕されるならば、わかりあうことは可能である。言葉を耕すのは現実の闘いであり、困難な道なのである。
階級という問題を前にして、はじめて固有と普遍という問題もまた現実の問題となる。新自由主義という資本主義を前にしてはじめて現実の問題としてこの問題に出会っている。「固有性が共存するところ(場)」は資本主義のもとにおける被支配階級そのものである。
この問題を明確にしないかぎり二十世紀と同じ過ちをくりかえす。現実の社会主義は人や民族の固有性と対立した。もちろんそれは誤りというよりは、人類がはじめて出会った社会主義革命という現実の歴史課題のなかでの試行錯誤の問題なのである。われわれは二十世紀に大きな試行錯誤をした。血の教訓であった。時代は再び社会主義を求めている。
レーニンは「革命は普遍的なことだが、その方法と形式は固有なものである」ということ言っている。これは二十世紀の革命のなかでは、実現しなかったことである。まったく未知な開かれた問題として、われわれの前に横たわっている。
広島・長崎・福島の惨事を経験したものは、その教訓をふまえ、人類に対する責任を果たさなければならない。歴史は、いかに紆余曲折を経ても、その段階において、到達すべき所に到達する。現代についていえば、人原理が息づき、いのちと言葉が輝くところ、これをとりもどすときは来る。
経済は方法であり、手段であって、目的ではない。この八百年、人は経済の手段であり、経済活動の資源であった。これを逆転させること、これが歴史の課題である。しかし、根のある地についた変革の思想は、まだない。なし得るところから、原則を譲らず、一歩一歩、である。核惨事は、歴史の課題として、もういちど人が日本語で生きることができる場を耕すことを求めている。
資本主義の終焉が、もはや避けることはできないものとなり、同時に資本主義の反人性が明らかとなったいま、ここからの活路を求めるあらゆる試みは、資本主義を乗り越えようとする方向をもたざるを得ない。かつてはそれを,「共産主義をめざす」と言ったのであるが、今日、資本主義を乗り換えようとする運動は一般的で普遍的なものとなり、別のところに目指すものではなく、ここにおいてそれを越えるべき課題となった。
これは、政治的、社会的には,階級社会からその次の段階への試みである。それをふまえて過渡的に、資本主義をのりこえた次の段階を「共産・共生の世」と言おう。
長い人類の歴史のなかで、階級社会から共産・共生の世への転換ほど根本的なものはない。それは新石器革命と対になった根元的な革命である。このような転換期は、すべての人に、それぞれの条件のなかで、ものごとを根源的に考え実践することを要求する。
われわれはそれでも、人の目的意識的な営みを信頼する。この目的意識性は、マルクスによって現実のものとされた。マルクスが到達した段階を清算するのではなく、引き継ぎ超えていかなければならない。人は社会的人として自らを形成したが、その内実は「階級社会的人=生産関係によって組織される人」であり、その関係は言葉によって成立する。
客観的事実として、人は、生物としての人から発展し、技術の進歩を土台に生産力を発展させ社会を変革し、思想を深め、ついに、マルクス主義を獲得したことによって、世界に対する目的意識性と能動性を最終的に生みだした。人類ははじめて、「客観的歴史」の法則と目的意識的活動を統一した人生を生きることが可能になった。
歴史が求めているということは、可能性があるということである。現代の共産主義思想とその実践、歴史に対する目的意識性、これは近代西欧文明のなかからそれを乗りこえるものとして生まれた。「今までの哲学者たちは世界をさまざまに解釈しただけであった。だがそうではなくて、もっとも大切なことは世界を変革することである」(マルクス『フォイエルバッハについてのテーゼ』一八四五年)。このマルクスの言葉が今ほど輝いている時は、実は他にない。
この可能性は二十世紀にロシア革命、中国革命として現実性に転化した。しかし、その試みは少なくともいったんは挫折した。しかしその試みが終わったのではない。二十世紀の経験をわれわれの立場から掘りさげる。そして、新たな時代の礎を築くために、今なしうることをする。
いまはそれが可能であるかどうかも未知なのであるが、経済を超えて原子力の安全性を確保することができるまで、すべての原発を止めよ。他の方法をいろいろ用いる。当面は火力・水力・風力発電。足りない分の節約。時間をかけた核力の研究。これらの体制を既成のさまざまな利害を越えて作る。それができる政権を生みだす。
東電や官僚制の非人性の対局に、東北巨大地震において人々が示した深い人性がある。この人性のなかに未来はある。今回の地震、津波、そして原発の三重苦は、第二次大戦の敗戦以来の日本の転換点になる。いいかえれば戦後政治の大転換になる。近代を問い、文明の東西を問い、新たな人が生きる形を生みだしてゆく、その転機だ。
西洋近代と東洋、そして固有文化の狭間で苦しんできた近代日本の経験が、ここで力になる。かつて循環型の共生の世を人々は生きてきた。これを現代において見直し取りもどそう。それはまた、官僚、財界、マスコミ、その背後の帝国アメリカ、これらが支配する旧体制を打ち破るだろう。打ち破る力は、これまた旧来の左右の分岐を乗りこえた、古い意味での「右」でも「左」でもない新しい人の台頭、これである。文化的固有性と人的普遍性が統一された新しい人が、この未曾有の困難のなかから生まれる。
それがフランスの哲学者・バディウの言う「仮説としての共産主義」ではないだろうか。これはしかし、理念をもった人々による永続した長い時間をかけた闘いである。バディウの議論はおよそ次のようなものだ。
敵は資本主義と代議制民主主義とのカップルを唯一可能な社会のあり方だと喧伝し、その他のあり方を端的に不可能なものだと位置づけることで、「理念をもつことなく生きること」を我々に強いようとする。
これに対し「真に生きること」としての「理念をもって生きること」とは、可能/不可能の敵によるこうした固定的な境界画定を根底から揺るがすこと、また、そうすることで見出される新たな可能性を歴史のなかで具体的に実現していくことだ。
大切なことは、現実をあるままに仕方ないものとして肯定することをせず、理念をもって、不可能とされていることが実はそうではないのだと見定め、そのうえに日々なし得ることを実践して生きることだ。
理念をもって生きるとき、人は、無責任体制としての官僚制、事実から目をそらせるマスコミ、必要なら冤罪もする国策捜査の検察機関の有り様を明確に見る。この認識、これが現実を動かす土台である。そのとき、どんな小さな実践も、大きな歴史のなかのそれぞれの歴史として、深い意味をもつ。それがまた新しい時代を準備する。
しかしまた、資本主義の非人性に対する闘いは、必ずそのような人をつくる。経済を使いこなせる人をつくる。闘いが人をつくる。このことに確信をもつ。根本において楽観主義であれ。
実際、最後に紹介するように、二〇一五年の夏、それを確信させる新しい運動と、それを担う人が生まれてきている。もとより、支配の側もまた少しでも時間を遅らせるためにあらゆることをする。崩壊しつつある帝国は、崩壊しつつあるがゆえに、いっそう過酷である。
したがってまた,われわれの道も紆余曲折である。大きな困難もまた不可避である。しかし、光なきにしもあらず、である。