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戦後政治の虚

立憲主義

憲法を変えようという改憲論が、現政府の中に一貫してある。日本国憲法第九条を破棄し、自衛隊派兵に対する制約と、アメリカとの共同軍事行動への制約を取りのぞこうとしている。当面は憲法をそのままに、行政府がその解釈を恣意的に変更し、集団自衛権を内閣として確認し、関連法を改定するという形で進んできた。

この現在の動きは、凋落する帝国アメリカの生き残り世界戦略の一環である。日本を先兵として使おうとするアメリカの産軍複合体と国際金融同盟の利害と、またそうされることで少しでも支配を維持しようとする日本の旧体制の利害は、一致している。

これに対して、二〇一五年の六月から、「集団的自衛権は憲法違反であり認められない。九条を守れ」という運動が若い人らの中から澎湃として起こり、世代を超えた運動として裾野を広げつつある。その運動の柱となっているのが「立憲主義を守れ」ということであった。

だが、戦後政治で一度でも立憲主義が行われたことがあったのか。矢部宏治著の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』や『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』があきらかにしているように、戦後一貫して憲法の上に日米安保条約があった。それは国民に図らないまま、密約によってつくられてきた構造である。

であるから、本当に立憲主義を打ち立てようとするのならば、アメリカから真に独立しなければならない。この世界史的にも例を見ないような対米従属体制から、いかにして自らを解放するのか。この課題を外においた立憲主義の主張は無意味である。ここに二〇一五年秋の運動の一つの限界がある。

その一方で、支配層の中には、安倍のような姑息な方法ではなく、正面から憲法を変えようという動きが一貫して存在する。改憲を推し進めようとするものが、国内的に用いる論法は、「日本国憲法というのは我々自身が作った法律ではない。占領下、米国人を中心にした外国人たちに押しつけられた法律だ。だから国民主権の行使として、憲法を改定しよう」である。これは改憲の真の意図をごまかし、多くの人を改憲の土俵に引き入れるための主張である。

それを明らかにするためには、日本国憲法成立の歴史を確認しなければならない。現憲法が占領下で作られた憲法であり、その原案はGHQの英語文書であることは事実である。現行の日本国憲法は、帝国アメリカの世界戦略の下にあり、実際的にも日米安保条約とそれにもとづく体制が、国内法の憲法の上位にある。

矢部氏が言うように、われわれが帝国アメリカからの独立を果たした暁に、真の自主憲法を制定しなければならない。そのうえで現行憲法の、とりわけその第九条の歴史的背景もまたおさえなければならない。

九条の位置

日本国憲法は、第二次世界大戦における反ファシズム連合の勝利、日本軍国主義などファシズム枢軸国の敗北の結果生まれた。天皇は人宣言をし、財閥は解体され、社会主義者や民主主義者は獄中から解放され、非合法下にあった共産党も合法化され、逆に軍国主義者は公職を追放された。そして一九四七年五月三日に戦争放棄をうたった日本国憲法が公布された。

第九条は、二つの面をもっている。一つは、それが日本軍国主義と闘った世界の人民がかちとったものであるという面である。事実、アジアへの侵略戦争にかり出され死んでいった多くの日本人、日本軍国主義によって殺され、また反ファシズムのたたかいに命をささげたアジアの人々の、余りにも大きい犠牲のうえに生まれた。

もう一つの面は、戦後政治を射程に入れたアメリカの世界戦略の産物である。つまり,日本に再軍備を許さず、かつ、占領が終わってからも日本国土にアメリカ軍を展開する、この体制の一環としての第九条である。

アメリカの国家政策は、中国革命の進展と中華人民共和国の誕生を直接の契機として、反共産主義に転じていく。その過程でアメリカは日本を忠実な目下の同盟国とし、日本の再軍備を進める。軍国主義者の復活とその反対にレッドパージがはじまる。

日本軍国主義の流れをくむ日本の保守主義者は早くも一九五四年には改憲を言いはじめる。そのときのうたい文句が「自主憲法制定」であった。ごまかされてはいけない。確かに第九条は、日本軍国主義の流れをくむ者にとっては「自主」でない。軍国主義者が公職を追放されている間に日本国憲法は公布された。彼らにとっては「押しつけられた」ものだろう。

しかし、すでに見たように、戦争放棄というその骨格は、幾多の犠牲のうえに世界の人々が、とりわけ日本軍国主義の軍靴で踏みにじられたアジアの人々、そしてこの戦争のなかで多くの困難に直面してきた日本の人々が、勝ち取ったものなのだ。

時は流れ、大義なきイラク戦争を推し進めたアメリカは、道理をもって人々を納得させる力を失った。今、アメリカの力は軍事力だけである。日本軍国主義者とその流れをくむ今日の日本の支配層は、アメリカの軍事力一辺倒の世界の再編にすり寄り、この際憲法を改定し第九条を破棄しようとしている。

したがって二〇一五年の「九条を守れ」は切実な要求であり、正当な要求であり、かの戦争で辛酸をなめたものの遺志を継ぐものである。

と同時に、憲法九条自体が安保条約の下にあることを押さえ、その構造自体の破棄をめざすものでなければ、真に戦争の教訓を引き継ぐことにはならない。


Aozora
2017-09-24