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転換の道程

凋落と再生

基本的な歴史的枠組みは、資本主義が終焉の段階にあるということである。近代の日本国の結末としての二〇一七年現在、日本国のあらゆるところに欺瞞と偽善があふれている。それがこの列島弧の世の支配思想となっている。隣近所の人関係、学校での教師と生徒の関係、このような基層の関係においても、それはいえる。

資本主義のゆきづまりという現実を土台に、日本政治の支配的潮流は、核惨事をショックドクトリンとして現われた現代版ファシズムである。世界的に右翼排外主義が一定の潮流を形成するなかで、その右翼潮流で国家権力を握るのは日本国の安倍政府とそしてウクライナくらいなものである。この政府のもとで、アメリカと日本は、経済の要求とかけはなれたところで、紙幣を印刷し続けた。アメリカはそれに耐えられず、いわゆる金融緩和政策を日本に押しつけた。これは必ず破綻する。凋落する近代日本が現実のものとなる。

さらにまた、中国が提唱し二〇一五年発足するアジアインフラ投資銀行AIIBに日本は取り残された。主体的な選択ではなく、アメリカの、それも一部の産軍複合体とその金融同盟の指示を受けた結果である。世界は大きく変わりつつある。このAIIBをもとにする新しい枠組は、遠からずドルが基軸通貨であることを崩す。世界の多極化を促し、またそれに対する新しい体制となる。

日本は、つまりは百五十年前に西洋化で始まった近代日本は、この世界の動きから脱落しつつある。同時に、産軍複合体とその金融同盟自体がその力を失いつつある。イギリスもフランスもドイツも、それを読み込んで次の多極化した体制の中での位置を得るためにAIIBに参加した。

その一方で、現実の日本国は福島第一原発がいよいよ手に負えないものとなってきている。地下に解け出た核燃料が再臨界を起こしているとしか理由のつけられない現象が続いている。このような事故が起こったとき、それにどのように対処したかで、その文明が持続可能か否かがわかる。この間の民主党政府から安倍政府の核惨事に対する対応は、この近代日本文明がもはや持続し得ない文明であることを示している。

近代日本とそしてその盟主たる帝国アメリカは、AIIBのような新しい枠組から取り残され、経済的に凋落する。しかし同時に、時代は経済第一の段階から人一の段階への大転換期である。経済的凋落の中から、新しい原理を見出さなければならない。やりなおさなければならない。その中で、まったく異なる価値観と原理を見出さなければならない。

その過程での抵抗運動が、良心である。国破れて山河なしのところにおいて、この地でながく語られてきた、縄文以来の言葉を土台に、抵抗者の良心が共有される。若い人の中からも、このような問題に正面から向きあおうという人らが出てきている。

このような運動の広がりと深化のなかで、人々の生活再建の道が、ゲ集団・安保村=旧体制の解体であると認識される。地震列島弧に原発を作り、情報を操作して真実を隠し、核汚染を世界にまき散らしながら誰一人責任を取らず、福島を見捨てる原子力村とその政府。この原子力村を存続させることは、人と地球に対する冒涜である。日本列島弧に住むのものの責任においてこれを解体し、人類の叡智を集め、核惨事の事実を隠さず明らかにし、これに対する体制をつくらなければならない。このことが共有されてゆく。

破壊の中からの再建、いずれこの段階に至り、そしてそれは今後長く続く歴史の段階である。

愛郷主義

近代日本で人の立ち位置を考える座標軸は、一方で確かに右派か左派かがあるのだが、他方では、近代主義か愛郷主義かがある。愛郷主義は、草の根主義であり、土着主義でもある。近代日本では、左右の軸よりもより本質的である。左派の中では、沖縄が生んだ革命家であり日本共産党の創設者である徳田球一こそ愛郷主義を土台とする共産主義者である。

対米自立をめざす愛郷主義保守の人は、今日もさまざまに闘っている。彼らは、親米売国のエセ右翼とはまったく異なる。憲法九条をかえることに反対する。金融緩和政策に反対する。安倍ファシズムによる現代の琉球処分にも反対している。その根底にあるのは、帝国アメリカからの独立である。

かつて中国では、日本軍国主義と闘うにあたって、国共合作、つまりは共産党と人民解放軍が蒋介石国民党と統一して闘った。ベトナムの対アメリカ解放闘争では、共産主義者と民族主義者が手とつないだ。

ようやくにこの日本で、それが歴史の課題となりつつある。左右の枠組をのりこえて、愛郷主義の人士は団結しなければならない。それが歴史の要求である。近代日本のなかで、福島の核惨事を契機として、ようやくこの問題が、歴史の現実の課題として出てきた。

(一)
アメリカからの独立と、民主主義を実現するために、小異を置き、統一する。思想信条の違いを認めあったうえで、政治行動の統一を実現する。

(二)
その段階で可能な範囲の政治権力を、一定の形態のもと現実化する。民主連合政府もまたその一つの形である。

(三)
そのことを通して、資本主義を使いこなす歴史主体と新たな文化を形成する。

現実をつかみ歴史がいま求めている課題に向きあうことが出来るかどうか。この問題は旧来の意味での左派、右派の問題ではなくなっている。二〇一四年の都知事選挙において、いわゆる日本共産党、そして社民党は宇都宮候補を支持している。また新左翼党派やその大衆組織でも、宇都宮支持のところがいくつかある。彼らはみな、いま歴史の課題が何であるのかをつかめていない。あるいは、その問題に背を向けて、自らの党派の伸張を最重視し、そして大きく敗北した。ここから教訓を引き出すことができるか。

そして、帝国アメリカは、日本の旧体制の背後にあって、旧体制を操り、帝国アメリカへの奉仕を強制し続ける。しかし、それをいつまでも続けること自体不可能である。いずれ、帝国アメリカの金融崩壊は起こり、覇権国家アメリカ自体が凋落する。産軍複合体と国際金融同盟は崩壊する。

日本の旧体制が国際金融同盟のいわば悪代官であることが認識される。安倍政府がまさにそれであることが、ようやくに認識される。旧体制解体と一体のものとしての対米独立闘争は不可避である。帝国アメリカからの独立。これは日本の再生の一歩である。

人民憲法を制定する。そこにおいて天皇をどのように位置づけるのか、それはこの過程で天皇家の人びとがどのように生きるのか、それにかかっている。人民の生活の習俗や文化が天皇家に由来するということが虚構であることをおさえ、「象徴」が虚構であることもおさえた上で、現実の天皇制をどのようにしてゆくのかは、日本の人民とそして天皇個人に開かれた問題である。

そして、原発廃炉と日本再生の長い道に踏み出す。歴史はいかに紆余曲折を経ようとも、必ず到達すべき段階に到達する。それを信じて、理念をもってともに生きようではないか。


Aozora
2017-09-24