二〇一一年三月十一日、日本の東北地方を巨大地震が襲った。それに続いて東京電力福島第一発電所が崩壊した。首都圏の電気をまかなうために,白川の関の向こう、福島の地にこの発電所はつくられていた。それが崩れた。それは、核惨事としか言いようのない事態をひきおこした。核力発電所の事故はこれまでにもいくつか起こっていた。しかし、もたらす災害の規模において、この核惨事は人類史上もっとも悲惨なものとなった。
核力技術は、第二次世界大戦をはさむ時期に、西欧で開発された。日本においても研究されはじめたが、基礎研究の段階で打ち切られ、そのまま敗戦となった。戦後の歴代政府は、敗戦国として、アメリカの核戦略のもとで、核兵器の製造能力を担保するために、核力による発電所を全国に展開してきた。そしてその経営を各電力会社におこなわせた。
地震列島弧に核力発電所を作ることの危険性は、従来からも指摘されてきた。にもかかわらず、東京電力は、経済を優先し、万一の場合のためのできうる対策さえしていなかった。福島第一発電所の事故はそのうえで起こったことであり、自然災害を引き金にしたとはいえ、それはまさに人災、人による災害であり、予測されたことに対する対策さえ怠ったという意味において、犯罪である。
しかし、さらにそれが惨事であるのは、日本政府や東京電力が、核汚染の現実を公にすることなく隠し、本来なら放射線管理区域として厳格な管理のもとにおかれねばならない汚染地域に、人をそのまま住わせていることである。また、避難のために移住する権利さえも保障されていない。このような情報隠し、情報操作によって、避けうる被曝が逆に拡大する。これがまさに今広がっている。この意味でこれは三重の人災、二重の犯罪である。
戦後日本政府は、兵器には「核兵器」を用い、発電などには「原子力発電」を用いできた。そこには、広島・長崎の原爆と発電とを切り離そうとする意図が隠されている。しかし、原爆と発電は同じ原理である。本稿では、基本的に「原子力発電」ではなく「核力発電」または「核発電」を用いる。一方、運動のなかで用いられている「脱原発」「原発廃炉」などの「原発」は、それを引用するとき、本稿でも用いる。
東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は、かつての十五年戦争の敗戦につぐ近代日本の第二の敗北である。近代日本に内在する基本的な問題が、二つの敗戦に通底している。この過ちを三度くりかえしてはならない。従来の道を改めなければならない。
ところが二〇一五年、日本の安倍政府は、核惨事をまさに利用して、資本主義のゆきづまりを、アメリカの指示のもと、ファシズムでのりこえようとしてきた。
これに対し、日本の若者から老人まで世代や社会的位置をこえた,反ファシズムの運動が、大きく立ち現れてきた。今はその渦中である。この世は革まらなければならず、人は変わらなければならない。これが、東京電力福島発電所がひきおこした核惨事の教訓である。
核力による発電は二酸化炭素の排出が少ないというがそれは正しくない。ウラン精製過程で大きなエネルギーが必要であり、その過程で排出される二酸化炭素は他の発電に比べてむしろ大きく、さらに環境への核汚染が加わる。温水を海に流せばそれだけでも海中の二酸化炭素が大気中に出る。
使用済核燃料をどのように処理するのかという問題の基礎理論すらない。再処理して再利用しようという体系もすでに破綻している。地震列島にある日本の原発で、安全の確保と核サイクル体系の構築は不可能であるにもかかわらず、日本の歴代政府は、それがないままに、核発電を美化し正当化してきた。しかし、東電核惨事は、これまでの日本の原子力行政が建前としてきたことが、ことごとくウソであったことを明らかにしている。
核力自体は人類が見つけた新たな「火」である。しかし同時に、現代社会はそれを使いこなすことができない。近代資本主義の土台にある考え方は、ニュートンとデカルトに代表される物質観と思想、およびその方法論である。一方、核力を取り出す技術の土台にある相対性理論と量子論は、それを一つの特殊性、個別性とする、より高くより普遍的な理論と方法である。特殊性が普遍性を含むことはありえないように、近代資本主義が核力を使いこなすことはありえない。
経済第一、金儲け第一の資本主義の中で核力の制御は不可能であり、動かすことは危険きわまりない。核発電を一定の水準の安全性を保障する体制のもとで動かそうとするなら、途方もない費用を要する。経済を優先すれば、必要な対策さえとられない。福島第一発電所の事態は、できうることさえなされないなかで起こった。経済を第一とするかぎり、その危険に備えることは不可能である。
にもかかわらず、歴代日本政府は核政策を推し進め、川内原発を手はじめに、順次再稼働をはじめている。それはアメリカの核戦略の一環として、核兵器への転用の可能性を担保するためであり、いわば,アメリカの支配体制を維持するために核力をもてあそんでいるのである。
しかしこの戦後の日本政治が、現実を前にして崩れはじめている。平安時代末期も江戸時代末期も天変地異が相次いだ。それは、政治や経済や社会のあり方を根本から変えなければならないという警告を、天が発したものといえる。安政の大地震から明治維新まで十三年だった。このたびの巨大地震にもその声を聴くことができる。その声を聴きとることが人の叡智である。