◯殻(から)[kara]で囲まれた空(から)[kara]に入り、外との接触を断って、魂を受け新しい力を得ること。
◆殻に入って、新たな魂を受けること。籠もる場としての「中空の場」は、生命の宿るところとしての子宮、米が籠もる殻、サナギが籠もる繭、セミが籠もる殻、新芽が籠もるつぼみ、これらから新たな力の宿る創造の場と考えられてきた。
◇冬ごもり。 冬籠もりは、春に新しい命が芽吹くためになくてはならないことであり、また冬に籠もるからこそ、春芽吹くと考えられてきた。冬籠もりは新しい命を受け取るうえで、なくてはならないことであった。
いまの世では「引き籠もり」のように、籠もって働かないことや学校にいかないことを、あるべきではないこととしてとらえる。しかしそれは近代の考え方であって、本来引き籠もることは、新しい命、新しい人生を生み出してゆくうえでなくてはならないことであり、そのうえではじめて「殻を破って」出てくるのである。
◇『万葉集』一六「冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りでも取らず 草深み 取りても見ず」 ◇『万葉集』一三三六「冬ごもり春の大野を焼く人は焼き足らぬかもわが心焼く」」
「冬ごもり」は「春」にかかる枕詞。その意は「冬に籠もったから、春が来る」ということである。『ひらがなでよめばわかる日本語』(中西進)では<ここの「こもる」とは「隠れてしまう」という意味。「冬隠り」とは冬が隠れてしまうことで、英語でいえば、まさに“Winter is over"です。>とある。しかし単に時間の経過としての「冬隠り」ということでよいのであろうか。
◇身ごもる。
◇『日本書紀』歌謡「畳なづく青垣山こもれる大和しうるはし」
◇『万葉集』四〇六七「二上の山に許母礼(コモレ)るほととぎす」
◇『万葉集』二七〇〇「玉かぎる石垣淵の隠(こもり)には」
◇『蜻蛉日記』中「ながき精進もはじめたる人、山寺にこもれり」