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【ことわり(理、断り)】[kotowari]

■こと(言)をわる(割る)ことにより明らかとなること。こと−を−わって人が知った−そのもののこと。ことをわって開かれたより深いこと。

◆「こと」は、生々流転する世界を一つのまとまりで切り取りつかむ作用によって得られる内容そのものであり、したがって「ことわり」は、つかんだ「ものの道理」、ものに内在する道理を意味する。ものは人の意のままにはならない存在であるがゆえに、ことわりは人の力では支配し動かすことのできない条理、すじ道、も意味する。

▼もの(物)のことを明らかにする。筋道を見出したり、筋道をつけたりすること。

◇『源氏物語』浮舟「それもさるべきにこそはとことわらるるを」
◇『徒然草』「(関東の人は)にぎはいゆたかなれば人にはたのまるるぞかしとことわられ給ひしを」

▽道理があるとする

◇『源氏物語』竹河「(先に女御になって)久しくなり給へる御方にのみ(人々は)ことわりて」

▽判断をする

◇『枕草子』八三「まづこれはいかに。とくことわれ」

▼「こと−を−わって人が知った−その中味」から、そのものに内在する条理

◇『日本書紀』敏達元年六月(前田本訓)「有司(つかさ)、礼(コトハリ)を以て収め葬る」
◇『万葉集』六〇五「天地の神しことわり無くこそは」
◇『万葉集』八〇〇「妻子(めこ)見ればめぐし愛(うつく)し世の中はかくぞ許等和理(コトワリ)」
◇『源氏物語』須磨「おぼし歎きたるさまもいとことはりなり」

▽判断の内容

◇『源氏物語』須磨「泣く泣く申し給ひても、そのことはりをあらはにうけ給はり給はねば」

▽説明の内容

◇『源氏物語』帚木「(雨の夜の品定めの場で)中将は此のことはり聞きはてむと」
◇『源氏物語』宿木「いみじうことはりして聞ゆとも、いと著(しる)かるべきわざぞ」

▽あらかじめ了解を得るために説明する

◇『栄花物語』駒競の行幸「年頃の風病、ことはり申して、まかりさりぬべかめりと申し給ふ」

▼断ること。

「ことわり」は「ことわるまでもないことだが」のような用法を仲立ちにして、最後は拒絶するという意味まで拡がった。家や村やなどの内で「こと」を荒立てることは、日常生活において当然のように流れている毎日の時間を断ちきることであった。それがつまり「ことを割る」ことであり、日常生活を「断る」ことであった。協働の場の慣習的な任務に異議を唱えることが「ことわり」であり、したがって日常生活を「断つ」ことを意味する漢字が当てられた。

しかし実は人のいのちのいとなみそれ自身が「ことわり」であり、さらにそのうえでの「語らい」であると考える。人が生きるということは何かしら「こと」を荒立てることなのである。この現実を覆い隠すことはできない。

◇お断りします。

※「ことをわる」とは「こと」の本質を窮究することであり、これは「知」の働きそのものである。西欧語の「知」は intellect 、すなわち inte-llect であり、この言葉の語源的なしくみは「こと−わり」とまったく同じである。西欧哲学の内容は「知」の働きの内容であり、この意味において「ことわりの学」としての「理学」こそ、 philosophy の訳として日本語の訓にうらづけられたものなのである。

中江兆民ははじめて西欧語の philosophy を訳したときに漢字語として「理学」を用いた。1886年、彼が学んだ西欧哲学をもとに、自由民権運動の思想的な土台とすることを意図して『理学鈎玄』を著したが、そのなかで「理学の趣旨は万事に係わりて基本原を窮究するに在り」と定義した。つまり「あらゆることの基本原理を明らかにすること」を「理学」の内容としたのである。漢字語としての「理学」は『易経』のなかにある「窮理」に拠ったといわれている。その訓は日本語では「ことわり」である。

しかし近代日本で「ことわりの学問」は展開しなかった。 philosophy の訳として「哲学」が国家の力を背景に用いられ、東京大学哲学科として定着した。日本語の構造に位置づけをもちうる「理学」は、単に自然科学の意味になってしまった。西欧哲学を紹介する窓口としての大学哲学科は今日も続いている。

※「ことわり」は源氏物語で多用される。

七、八世紀は中国語の取り入れが全盛であった。しかし日本語の深部では固有の言葉がゆっくりと育っていた。万葉集にすでにその現れがある。大きく開花するまでにはさらに二百年を要した。九世紀末になって遣唐使が廃止、さらに百年たって源氏物語が現れた。源氏物語によって初めて日本語は深く人間を表現した。その表現された内容こそが「ことわり」である。混成語の熟成にはそれだけの時を要した。


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