up 上: 定義集

ぶんか

【文化(ぶんか)】

■文明のもとにおける人間の生きる型が文化である。文明は単一化した。この文明のもとで人間がどのように生きてゆくのかという問題は文化の問題である。人間はつねに、ある文明のもとで生きている。そこで生きるうえでの具体的な形を与えるのが型としての文化である。文化は歴史的に形成された固有性をもっている。文化は一定の広がりをもつ。

文明が、技術の発展段階によって規定される客観的な物質的存在であるのに対して、文化は、人間がその文明のもとで生きていくにあたっての実践的で具体的な方法の総体。文化を形成する基本的な方法は言葉である。

文化なくして人間の文明はあり得ない。文明なくして文化は無意味である。文明と文化は異なる概念であるとともに、内容において他方なくしてはあり得ないものである。文明の根幹に対応する文化が、人間の文化としての力をもつ。文明とどれだけ根幹で対応することができるかで文化は盛衰する。

文化は文明を相対的に見る視点をもち、文明のなかにある反自然、反人間性と対峙することも文化は可能である。もとより文明を肯定しそのもとでさらに繁栄しようとする文化もある。学術の研究は、この文化を耕し、文明のもとにおける人間の生き方を豊かにするとともに、文明をもまた改変していくものであってはじめて意義を持つ。

◆文明の方法として数学をとらえる文化が日本の文化のなかでまっとうな位置をしめることができていない。あるいは日本の文化が文明の方法としての数学をとらえきる視点を確立していない。世上いわれる「文化としての数学」は定義があいまいで底が浅く、文明の方法としての数学をとらえる文化にはなっていない。

西洋近代文明それ自体は不可避であった。西洋においてもこれをおし進めそのもとで生きようとするもの、この文明に反対しそのなかで人間としての生を全うしようとするもの、それぞれがあり、それが西洋文化を形づくった。

文化ということにおいて西洋は苦悩してきたし、その苦悩はわれわれ自身の問題でもある。もとよりわれわれ非西洋のものの困難は西洋の困難と同じではない。奴隷貿易以来の西洋文明による収奪を受けたアフリカの困難はあまりに大きい。内部からの展開によって、この困難を越えることができるのか。内部から展開する土台自体が破壊されているのではないか。

内的発展の土台の破壊、これにどのように対するのか。この問題が非西洋の困難の本質であり、さらにこの困難は言葉を奪われていることではないか。そして、この問題においてわれわれもまたアフリカの困難をわが問題とする基盤を見出すことができる。

内的発展の土台の破壊という困難を西洋が経験していない。少なくとも西洋の中心部は内発的に展開したことによって、言葉もまた内発的に展開し、それは当然のことと考えられてきた。

非西洋は、文明と文化に関して西洋よりもはるかに深い経験を経てきている。文明の普遍化とそれに対抗する文化は可能である。その文化の基礎となるものが人間の言葉である。その言葉が奪われてある。この問題と向きあうことそのものが新しい文化である。


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