問題を考えるという一連の作業の中で,「分からない」は終着点ではなく,「分からない」というところから作業ははじまる.分からないという地点が出発点なのだと心得て,分からなくても,そこであきらめずにもう5分,10分考えてみるということなのだ.もう一度問題を読みかえし,条件や結論を整理してみる.逆にたどってみる.例で調べてみる.いろいろすることはある.
2006年に大阪大学工学部に合格した人が合格体験記のなかで次のように言っている.
数学は,講師の方がおっしゃったとおり「分からなくてももう5分」考えているうちに数時間が経っていることもありました.それでも解けないことも多々あって,友達には「時間がもったいない」と言われましたが,自分で試行錯誤することにより,解説を聞いたときの理解が深まり,また「ここまでは解けた」と自信にも繋がりました.
これは事実に裏づけられた言葉であり,私が言うよりも説得力がある.彼女は四月当初から大きく力が飛躍した.正しい勉強法を一年間続けたからだ.
ぞうきんを絞ってもう一滴も出ないと思っても,もう一度力をこめて絞れば,さらに一滴は絞り出せる. 大脳も同じである.もう分からないと思っても,そこでもうひといき考えれば,もう少し思い浮かぶことがある.それが大切なのだ.野球の守備練習で,もうへとへとで動けない,それでもノックの球は飛んでくる.体が反応する.球を取る.ここまでやって体が覚えていく.運動だけのことではない.勉強も同じである.日頃このようにやらずに,どうして試験場でできるだろうか.
集中力を生む第二点は切実さである.どれだけ本当に大学にいきたいと思っているか,その切実さもまた集中力の源である.はじめに,なぜ今大学にいくのかをもう一度話したのも,それがなければ勉強に集中することができない,ということが理由の一つだ.親に言われたから大学にいくというようなことで,それでどうして集中してできるだろうか.困難を乗り越え考える楽しさやおもしろさをつかんでほしい.
それはともかく,教師の書いた板書や生徒の書いた解答を,そのまま写すな.よく予備校などでは,講師が模範解答を書いて,それを生徒が写す授業がおこなわれている.そして何か分かったような気にさせるのだ.だが,人が自転車に乗っているのを見ていて,それで自分が自転車に乗れるようになることはあり得ない.模範解答を写して解けるようになるのなら,勉強は要らない.それはいわば,講師がグランドを走り,生徒が観客席でそれを見ているようなものだ.そんな授業が多いようだ.それでは力がつくことなどありえない.走るのは君たちだ.生徒がグランドに出て走らなければ,どうして力がつくだろうか.授業を,生徒自らがグランドを走るように受けなければならない.
もちろん時間に制限があるからとりあえず写しておいてあとで見直すというのもあることはある.しかしそれは一部であって,基本的にはわかったことをノートする.自分の予習した余白にわかったことを追記する.授業ではノートをとらなければならない.黒板を写してはならない.自分で考え,分かったことをノートすることで,大切なところを見抜く力,それを論述する力がつく.それ自体が論証力を養成するトレーニングだ.講師の板書が読みにくいと不満をいう人がいる.早く黒板を消すと文句をいう人がいる.でもそもそも板書されたことは写すものではないのだ.
必ず予習をする.そしてやりっ放しにしない.自分の予習したことから教訓を引き出し整理する.これを予習をし,そのケリをつけるという.これが力をつける勉強法の極意である.
自分が発展する根拠も自分の中にある.自分で自分を分析する.これもまた内因論の態度なのだ.後は実践だ.自ら頭の汗を流して考え,力をつけよう.
手で書くことで,書いている自分をさらにどこかから見ることになっている.これが大切だ.先にも言ったが,数学の問題を解いているとき,何かに気づいてフッと解けることがある.人間は,これまで勉強してきたことを無意識のなかに蓄えている.集中力をもって手で考える.このことで無意識のなかにあることと,現実の問題とが結合されて,解けるのだ.手を動かさないと,意識に浮かんでいることしか使えない.
手で書いて考えると,書いている自分を見つめるもう一人の自分がそこにできて,問題を立体的に考えることができる.そして,無意識に蓄えられてきたことを意識の場に引き出すことが出来るのだ.ノートの半分でもよいし,計算用紙でもよい.紙質は関係ない.無地のノートにどんどん計算し,論証も文章に書いて,自分で確認しながら教科書を読み,そして授業を聞こう.
センター試験の最大の弊害は,書くことを疎かにするところにある.この一文に触れた皆さんは,センター試験にいろんな意味みで負けることなく,書いて考えることを放棄せず,こつこつと,またせっせと書いて考えてほしい.
何か1冊答えの詳しい問題集等を決め深く考える訓練をする. 添削でもよい,塾などを利用するのもよい. 必ず考えた結果をまとめておく.質である.
この(1),(2),(3)をこつこつとやり抜く.そうすると,どんな問題をやっていても必ず「わかった」というときがある.それを大切にしてほしい.これが勉強というものだ.そして学習ノートを作り,勉強して分かったことはまとめていく.これが勉強の中味だ.
ある問題に出会ったときに,いろんな視点から解くきっかけを探す力をつけるという点からいって,日頃から,一つの解き方がわかっても別解はないか常に考えるようにしたい.そうすれば,いざ新しい問題を解こうとするときに,いろんな切り口のどれかがひらめく.良くこれが「一番いい解き方」だといってそれだけを覚えようとする人がいるが,それでは力はつかない.「一番いい解き方」などはない.問題をどのような側面からとらえるかの違いで,それぞれ一理ある.自分で考えた別解もまたノートしていく.
今から二千数百年昔,ユークリッド(Euclid,紀元前300頃)に幾何学を習ったプトレマイオス王は,そのあまりの厳密さに閉口し「ユークリッドよ.幾何学を学ぶもっとやさしい方法はないのか」といった.ユークリッドは「幾何学を学ぶには,王も皆と同じように努力しなければなりません.王のための特別な方法があるわけではありません」といって,「学問に王道なし」とたしなめた.これは今も真理である.どうか受験勉強をとおして,ほんとうの勉強態度を身につけてほしい.今のように全体的に生徒の学力が低下しているときは,このような態度で本格的に勉強することが,結局は受験勉強としても合理的である.小手先の方法ではなく,学問として本格的な勉強をした人が,入学試験に合格すること自体は難しいことではない.そしてあなたはそれ以上のものを得ることができるだろう.
そういう勉強をしてほしいし,青空学園はそのために少しでも役立ちたい.立派に受験勉強をやりぬき,大学では自分が本当にしたいことを見つけ,自らの進路を切り開いていってほしい.そして,養ったその力をこの世の中に返していってほしい.
皆さんの健闘を祈ります.