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いきいきと考えよう

分からない,からあと5分

「分からない」からあと5分

演習問題はすべて予習する.問題は予習の質である.少し考えてすぐにあきらめていないか.問題をつかむ程度で終わっていないか.そこで提案したいのは,分からないとなったとき,そこで止まらずあと5分考える,ということである.すぐに解ければその問題はあなたにとって簡単だったのだ.「分からない」,そこがあなたの出発点なのだ.分からないところでどうするか.数学については『高校数学の方法』「糸口の見つけ方」にもいくつかの方法論を書いておいた.

問題を考えるという一連の作業の中で,「分からない」は終着点ではなく,「分からない」というところから作業ははじまる.分からないという地点が出発点なのだと心得て,分からなくても,そこであきらめずにもう5分,10分考えてみるということなのだ.もう一度問題を読みかえし,条件や結論を整理してみる.逆にたどってみる.例で調べてみる.いろいろすることはある.

2006年に大阪大学工学部に合格した人が合格体験記のなかで次のように言っている.

数学は,講師の方がおっしゃったとおり「分からなくてももう5分」考えているうちに数時間が経っていることもありました.それでも解けないことも多々あって,友達には「時間がもったいない」と言われましたが,自分で試行錯誤することにより,解説を聞いたときの理解が深まり,また「ここまでは解けた」と自信にも繋がりました.

これは事実に裏づけられた言葉であり,私が言うよりも説得力がある.彼女は四月当初から大きく力が飛躍した.正しい勉強法を一年間続けたからだ.

ぞうきんを絞ってもう一滴も出ないと思っても,もう一度力をこめて絞れば,さらに一滴は絞り出せる. 大脳も同じである.もう分からないと思っても,そこでもうひといき考えれば,もう少し思い浮かぶことがある.それが大切なのだ.野球の守備練習で,もうへとへとで動けない,それでもノックの球は飛んでくる.体が反応する.球を取る.ここまでやって体が覚えていく.運動だけのことではない.勉強も同じである.日頃このようにやらずに,どうして試験場でできるだろうか.

集中力の源泉

ではこのような集中力はどこから生まれてくるのか.いくつかのことがある.一つは成功体験である.あのときもう分からないと思ったけれど,あと一息考えたら分かった.この経験は強い.成功した体験を踏むごとに,集中力は増していく.はじめは意識して努力しよう.そのうち必ず考えることが楽しくなる.高校時代に「あと5分考えたら,わかった!」という成功体験を経験すれば,それは大学生になったも大きな力である.

集中力を生む第二点は切実さである.どれだけ本当に大学にいきたいと思っているか,その切実さもまた集中力の源である.はじめに,なぜ今大学にいくのかをもう一度話したのも,それがなければ勉強に集中することができない,ということが理由の一つだ.親に言われたから大学にいくというようなことで,それでどうして集中してできるだろうか.困難を乗り越え考える楽しさやおもしろさをつかんでほしい.

黒板を写すな,ノートをとれ

理解して書き,書いて理解する

演習というのは,生徒自身がグランドを走るトレーニングだ.教師の仕事は,適切な助言とヒントの呈示だ.つまりはコーチングである.適切なコーチングのためには,生徒の力を見抜くことが必要である.生徒の力を見抜けない教師が増えたのも事実だ.それでは適切な指導などできはしない.学校ではなかなかそうもいかないが,基本的にいって生徒はコーチを選ばなければならない.

それはともかく,教師の書いた板書や生徒の書いた解答を,そのまま写すな.よく予備校などでは,講師が模範解答を書いて,それを生徒が写す授業がおこなわれている.そして何か分かったような気にさせるのだ.だが,人が自転車に乗っているのを見ていて,それで自分が自転車に乗れるようになることはあり得ない.模範解答を写して解けるようになるのなら,勉強は要らない.それはいわば,講師がグランドを走り,生徒が観客席でそれを見ているようなものだ.そんな授業が多いようだ.それでは力がつくことなどありえない.走るのは君たちだ.生徒がグランドに出て走らなければ,どうして力がつくだろうか.授業を,生徒自らがグランドを走るように受けなければならない.

黒板を写すこととノートをとること

つまりその場で数学しなければならない.英語しなければならない.そのとき大切なことは,黒板を写すことと,ノートをとることの違いをおさえることだ.黒板を写すのは,自分で理解できているかどうかに関係なくできる.わかったような気持ちになるがそれだけである.そうではなく,授業中も自分で考え続ける.そしてわかったことをノートしていくのだ.

もちろん時間に制限があるからとりあえず写しておいてあとで見直すというのもあることはある.しかしそれは一部であって,基本的にはわかったことをノートする.自分の予習した余白にわかったことを追記する.授業ではノートをとらなければならない.黒板を写してはならない.自分で考え,分かったことをノートすることで,大切なところを見抜く力,それを論述する力がつく.それ自体が論証力を養成するトレーニングだ.講師の板書が読みにくいと不満をいう人がいる.早く黒板を消すと文句をいう人がいる.でもそもそも板書されたことは写すものではないのだ.

まず挑戦し,まちがいに学べ

間違いに学べ

数学の問題を解こうとすると,多くの場合途中で止まるか,できたと思っていたのにまちがっていたか,いずれかになることが多い.そこでどのようにするかが大切だ.自分の予習ノートに×を入れてそのままにする人が多い.模範解答を見てなるほどと思い,それで自分の方法を捨ててしまう人がいる.しかしそれでは問題演習をする意味がない.
  1. この問題を解くのに,自分の用いた方法でも可能だが, 複雑で,その結果まちがっていたり,途中で止まった.
  2. 自分の用いた方法では,この問題を解くことはできない.
このいずれかである.いずれかである.どちらだったのか必ず確認しなければならない.不可能ではないのなら,その方法で最後までやってみる.不可能なら,なぜできない方法なのか,その理由をノートに書く.自分の方法でできるのかどうかわからないときも多いだろう.そのときは必ず人に聞く.こうしてまちがいから教訓を引き出す.

必ず予習をする.そしてやりっ放しにしない.自分の予習したことから教訓を引き出し整理する.これを予習をし,そのケリをつけるという.これが力をつける勉強法の極意である.

実践先行

ここでもいえることだ.まず解いてみなければならない.まず自分でできるところまでやってみる.その結果を分析し,自分がやったことから教訓を引き出す.これが大切なのだ.先に答を見るようでは,これができない.自分がどこまでできて,どこでつまずいたのかが分からない.これでは力が伸びることはあり得ない.

自分が発展する根拠も自分の中にある.自分で自分を分析する.これもまた内因論の態度なのだ.後は実践だ.自ら頭の汗を流して考え,力をつけよう.

手で考え,それをまとめる

手で書いて考える

自分の部屋で勉強するときも,授業の中でも,つねに必ず手で書いて考えよ.人間が言葉を見出して途方もなく長い年月が経った.そしてついに文字を発明した.文字は記録することに関して新しい方法であっただけではなく,紙や石版に手で書きながら考えるということができるようになった.手で書くことを身につけたのは,大きな飛躍だった.まったく,手で書くというのは不思議なことだ.

手で書くことで,書いている自分をさらにどこかから見ることになっている.これが大切だ.先にも言ったが,数学の問題を解いているとき,何かに気づいてフッと解けることがある.人間は,これまで勉強してきたことを無意識のなかに蓄えている.集中力をもって手で考える.このことで無意識のなかにあることと,現実の問題とが結合されて,解けるのだ.手を動かさないと,意識に浮かんでいることしか使えない.

手で書いて考えると,書いている自分を見つめるもう一人の自分がそこにできて,問題を立体的に考えることができる.そして,無意識に蓄えられてきたことを意識の場に引き出すことが出来るのだ.ノートの半分でもよいし,計算用紙でもよい.紙質は関係ない.無地のノートにどんどん計算し,論証も文章に書いて,自分で確認しながら教科書を読み,そして授業を聞こう.

センター試験の最大の弊害は,書くことを疎かにするところにある.この一文に触れた皆さんは,センター試験にいろんな意味みで負けることなく,書いて考えることを放棄せず,こつこつと,またせっせと書いて考えてほしい.

一般的な勉強法

高校生の一般的な勉強法は次の3つである.
  1. 教科書を徹底的に読み,章末問題まですべて解く. 教科書はすべて自分のものにする. 自分のものになっているかどうかの点検は, 教科書に載っている公式や定理が自分で再構成できるか,でする. 日ごろ使っている公式はときどき自分で作れるか点検してほしい. これが土台である.
  2. 学校の副教材の問題集はすべてやる.をこなす. まず自分で考え,できるところまで, いやできなくてもさらにあと5分考える. その上でなで途中で止まったのか, あるいはまちがったのか. これを分析し,それでも分からないときは人に聞く. 必ず先に解こうとして,そしてそのケリをつけるのだ.
  3. 深く問題を解く. (1)(2)はそれでも学校教育の範囲のことだ. そのうえで,深く問題を解く. 別解はないか, あるいは少し条件を変えるとどうなるのか, もっと一般的に成り立たないのか, 問題はなぜ解けるのかその根拠は何か,等々. これらを考える.

    何か1冊答えの詳しい問題集等を決め深く考える訓練をする. 添削でもよい,塾などを利用するのもよい. 必ず考えた結果をまとめておく.である.

この(1),(2),(3)をこつこつとやり抜く.そうすると,どんな問題をやっていても必ず「わかった」というときがある.それを大切にしてほしい.これが勉強というものだ.そして学習ノートを作り,勉強して分かったことはまとめていく.これが勉強の中味だ.

ある問題に出会ったときに,いろんな視点から解くきっかけを探す力をつけるという点からいって,日頃から,一つの解き方がわかっても別解はないか常に考えるようにしたい.そうすれば,いざ新しい問題を解こうとするときに,いろんな切り口のどれかがひらめく.良くこれが「一番いい解き方」だといってそれだけを覚えようとする人がいるが,それでは力はつかない.「一番いい解き方」などはない.問題をどのような側面からとらえるかの違いで,それぞれ一理ある.自分で考えた別解もまたノートしていく.

今から二千数百年昔,ユークリッド(Euclid,紀元前300頃)に幾何学を習ったプトレマイオス王は,そのあまりの厳密さに閉口し「ユークリッドよ.幾何学を学ぶもっとやさしい方法はないのか」といった.ユークリッドは「幾何学を学ぶには,王も皆と同じように努力しなければなりません.王のための特別な方法があるわけではありません」といって,「学問に王道なし」とたしなめた.これは今も真理である.どうか受験勉強をとおして,ほんとうの勉強態度を身につけてほしい.今のように全体的に生徒の学力が低下しているときは,このような態度で本格的に勉強することが,結局は受験勉強としても合理的である.小手先の方法ではなく,学問として本格的な勉強をした人が,入学試験に合格すること自体は難しいことではない.そしてあなたはそれ以上のものを得ることができるだろう.

そういう勉強をしてほしいし,青空学園はそのために少しでも役立ちたい.立派に受験勉強をやりぬき,大学では自分が本当にしたいことを見つけ,自らの進路を切り開いていってほしい.そして,養ったその力をこの世の中に返していってほしい.

皆さんの健闘を祈ります.


Aozora
2015-02-04