19世紀になると,公理5)を否定しても,矛盾のない論理体系としての幾何学が構成できるのではないか,と考えられるようになった.そしてついに1830年頃,ロバチェフスキー(ロシアの数学者,1793〜1856)とヤノス・ボーヤイ(現・ルーマニアの数学者,1802〜1860)によって独立にそのような幾何学が発見された.これらの幾何学はユークリッドのはじめの4つの公理はそのままとして,公理5)の代わりにその否定
それは,公理1)から公理4)までは成立するが,公理5)が成立しないようなモデルを構成すればよい.そのようなモデルが存在するということは,公理1)から公理4)を用いて公理5)を証明することはできないはずだ.
このような考え方は,はじめからあったのではない.ロバチェフスキーやボーヤイは非ユークリッド幾何学の体系そのものを考察の対象としたとはいえない.このような体系における公理5)の独立性などの問題意識は,集合論の矛盾などが発見され数学の基礎づけが大きな問題となったなかで,形成された.
このモデルを用いる論証は,クライン(F.Klein,1849〜1925)が,25才のときにはじめて指摘した.ロバチェフスキーの幾何学から30年目のことで,ちなみに後で紹介するヒルベルトの『幾何学基礎論』がはじめて世に出るのはここからさらに30年後のことだ.
例 5.2.1 定円の内部を空間とし,弦(両端は含まない)を直線とする. 円周とその外部は無限遠とする.円周上で交わる2直線は,平行である.
このとき2点を通る直線がただ一つ存在する.また定点を通り直線と平行な直線が2本引ける.
定円の内部を空間とし,弦(両端は含まない)を直線とする.この弦の円周上の端点を
とするとき,2点の距離を
これは,複比にもとづく距離である. このモデルは公理1〜公理4を満たす.
そして,公理5)に代えて,公理5')が成り立つ.
例 5.2.2 球面の表面上の点に対し,と球の中心に関して対称な位置にある点をとする.とを同一視し, の組を「点」とする.球面上の円で,円が乗っている平面が球の中心を通るものを大円と呼ぶが,大円を直線とする.2つの大円が交わる点での接線のなす角を2直線の角とする.
2点間の距離は,2点を結ぶ大円弧長とする.大円の周のを法として定まる.
このときこのモデルは公理1)〜公理4)を満たす. しかしすべての直線は1点で交わるので,公理5)は満たさず,5'')が成立する.
このモデルでは,三角形の内角の和はより大きい.ユークリッド幾何で,三角形の内角の和がであることは,左図のように,平行線を引いて錯角の性質を用いて,3頂点の角を集めるとちょうど直線になることで示すのだった.
ところが右図のように,直交2直線が交わるのだから,三角形の内角の和はより大きい.いずれにせよ,平面幾何で必要なことはこのモデルでもそろっている.しかし,平行線公理は成立しない.
だから,公理5)は他の公理からは導けない.導けるのなら,他の公理はすべて満たすこちらのモデルでも成立しなければならない.もし,公理1)〜公理4)から公理5)を導くことができるのなら,このようなモデルが存在することと矛盾する.
これらの例はすべて,ユークリッド幾何の平面の中に作られている.それによって,ユークリッド幾何が矛盾ない体系であるならば,これらの非ユークリッド幾何もまた矛盾がないことが示される.
ユークリッドの幾何は,普通の,われわれが住んでいる平面がモデルとなる幾何でもあるが,同じ頃,物理学の分野でアインシュタインによって相対性理論が発見され,展開された.相対性理論によって時間と空間を統一的に把握すると,それは最早ユークリッドの世界ではない.