南海 「自然数」は,人が成長する過程の最初に習得する数である.
3枚の皿に3個のみかんをひとつずつおいていけば, 皿が余ったり,みかんが余ったりすることなくちょうど1枚の皿にみかんが1つずつおける. このような経験のなかから3枚の皿と3個のみかんは何かが「同じ」だ,と気づく. 何が同じなのかと考えて,「数」が同じだ,と知っていく.
「3枚の皿」と「3個のみかん」が同じ「3」であることが分かるとき人間は自然数「3」を知る.
このように,個別のものの形や質などに規定された具体的な量から, 個別の性質を捨て一般的な「数」を抽象する力を,人間は長い時間をかけて身につけた.
数の発見は,実際はもっと生産に直結した場で起こったに違いない. 毎朝放牧した羊と,夕べに帰ってきた羊が同じだけあるのかどうか,数を知らなければどのように判断するか. 羊が小屋を出るたびに石をひとつ並べていく. 帰ってきたときは,羊が小屋に入るたびに石をひとつ除く. こうしてちょうど最後の1頭が戻ったとき最後の石が除かれれば, 増減がなかったことがわかる.石を並べることが長く続いた後,人は数を発見したのだ.
このようにして人間のものになった数が,親から子へと伝えられて,子供は数を身につける. 大人からの伝達の作用によって,人類の長い歴史が凝縮されて,子供のなかで反復されるのだ.
みかんのように数えられるものの個数がつかまれたなら, つぎは「水がバケツに3杯ある」などのように連続量をはかる単位が生まれ, 単位の個数として水の量をつかむことができるようになったと考えられる.
史織 考えてみれば不思議なことです.
南海 このようにして見いだされた「自然数」は,数えるという行為と一体である. 数えるという行為とは,このものを認識し,その次のものを確認して, 自然数によって指示される抽象的な数との間に対応をつけていく,ということにある. 最後に対応した数をその集合の要素の個数と認識する,ということである.
このことを定式化して自然数を改めて数学の対象として定義しなおす. それが自然数の公理である.
南海 自然数は,数のなかでもっとも根源的なものであるから, あらゆる数の存在を前提とせずに,構成しなければならない.そしてそれは可能なのだ. 近代数学では集合とその構造を定義することで,数学としての対象を定義する. それが次に紹介するペアノ(G.Peano,1858-1932)による「公理」である.
ペアノの公理 次の性質を持つ集合 を考える.
史織 これは要するに,1が最初で,その後はつねに次の要素があって, それ以外の余分なものはない集合を自然数という,ということですよね.
このような集合は本当に存在するのですか.
南海
確かに存在する.
この公理は,人間の「数える」という行為をそのまま定式化したものであるが, これが自然数論の基礎となるには色んな検証が必要である. ここでは数学基礎論には立ち入らないが, 数学基礎論では,この公理体系は矛盾が起こらないことが示されている.
さらにこの公理はわれわれの自然数に対する素朴な理解と合致し,同型なものはひとつしかない.
体系に矛盾がないことと,同じ型をしたものがただひとつであること, これで数学研究の対象が明確に定義できたのである.
無矛盾性の証明は難しい.ここでは数学的帰納法の原理と呼ばれる自然数の基本性質と, それを用いて自然数の体系はすべて同型であることを示そう.