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私の願い

教育数学を耕す

南海  数学教育に携わるものは,みずからわかる喜びを知り,それを次代に伝えようとする情熱をもたねばならない.私はこのように考えてきた.と言うより,みずからわかることの喜びを経験すれば,それを伝えようとすることは,自然なことである.そしてここにまた,教育を支える教師のやりがい,生きがいが生まれる.

青空学園では,教育数学ということを友人に教えられ考えてきた.『射影幾何の精神』の「はじめに」で教育数学に関する意見を次のように書いている.

私は,数学教育の根幹にはわかる喜びの継承がなければならない,と考える.高校生に数学を教えることを生業としてきたが,授業というのは,わかる喜びを体験する場なのだ,ということが,経験を通しての確信である.生徒が自ら問題を正しくつかみ,自分で考え「わかって,にっこり」する.それが「学問としての高校数学」を生きた学問にする.「理解はできるが,納得できない」段階からの飛躍である.その指導に数学教育の難しさと醍醐味がある.

しかしそれを可能にする前提として,教えるもの自らがわかる喜びを経験していなければならない.「わかった」という経験のないものが数学を教えるなら,生徒たちがわかる喜びを経験するように指導することは難しい.「わかる喜びの継承」は文化である.授業を通してわかる喜びを次代に伝える,ここに数学教育の根幹があり,それを可能にするのが教育数学である.

これは高校数学だけではなく,もっと小さい小学生,中学生の教育においてもあてはまる.もとより小中の学校は,様々の世間の問題が学校にもおよび,先生方が研究し勉強する時間も余裕もないのが現実である.

いま,学校とは何かが根本から問われねばならない時代に入っている.確かに,一方で国家や行政による教育現場への統制と,その一方で,このもとで,この教育体制を,命がけで告発する生徒がいるという状況である.

ただそれでも,本来,智慧を次代に伝える教育という仕事の,それが行われるところとしての学校は,こういう場でなければならないと考える私の立場から,そしてまた「はじめに」で紹介した高木貞治の言葉から,やはり私は教育に携わるものこそ,人間は数をどのように捉えてきたのかについて,その概括はつかんでいたいと思う.

太郎  教育の仕事は奥が深いのですね.

南海  奥が深く,かつ時代に翻弄されてきた.制度的にももっともっと先生が勉強し,互いに学びあい,また研究することが出来るようにしなければならない.しかし,現実にはこの半世紀,教員を取りまく環境は厳しくなるばかりだった.

太郎  昔の授業と,逆に数の準備との話を聞かせてもらって,確かに量からする計算法の理解は実感を伴い,よくわかります.印象にも残ると思いました.

南海  タイルによる分数の積や商の考察は,乗法や除法の定義ではなく,数の計算に対応する量の操作を手にとってできるようにすることで,理解と納得を可能にしたというべきなのだ.

太郎  そうですね.量が要請する数の性質をみたすように数を構成していった.その数の計算を理解するためには,量に立ちかえって考えると,実感を伴って理解できる,ということでしょうか.

南海  このように量との対比で理解することが高校数学においても大変重要なのだ.実際,長く物理学も数学も一体の学問であった.

太郎  確かに.物理学や数学と分化したのはほんの近代のことなのですね.

南海  ガウス(1777〜1855)は,『数学対話』にもあるように「代数学の基本定理」をはじめて証明し,また若くして『整数論研究』で整数論にはじめて完全な体系を与えた人だ.同時に彼は終生天文台の長であり,天文学、測地学、電磁気学にも大きな業績を残している. また,リーマンは(1826〜1866)は,リーマン幾何,リーマン面,ゼータ関数,リーマン予想,代数幾何学と現代数学の基礎的な考え方をつくりあげたまさに天才だが,リーマン全集には理論物理学の論文「有限な振幅をもつ空気中の平面波の電波について」や自然哲学の論文「自然哲学の数学的新原理」も載っているように,物理学,自然哲学もまたリーマンにとっては,その数学ととぎれることのない一体の考えるべきことであったのだ.リーマンが歴史を切りひらいた「幾何学の基礎にある仮説について」も,読んでみるとまったく量の構造の数学的基礎づけそのものだ.第1章は「$n$重外延量の概念」なのだ!

私などにはうかがい知ることはできないが,ガウスやリーマンにとっては,物理学的存在も数学的存在も,等しく明確に存在することであったに違いない.

今にほんの子供達の理科離れがいわれて久しい.この問題は奥が深い.簡単なことではない.総合学習のような経験主義的な試みは失敗した.単なる生活経験を集めてもそれだけでは考える力がつかない.一方,現実との交流のない数学教育は,いくらやっても限界がある.

私になし得ることとして,18〜19世紀の数学を,教育に携わるものが研究しうるように,いま再構成するということをやってきたわけだが,日暮れて道遠し,との思いはぬぐえない.

根拠を問う教育

南海  『青空学園だより』12/10/16に「根拠を問う」と題して書いた.

高校以来,いろんなことに関心を持ち,世間的に見れば仕事もまたいろいろした.そのなかでひとつ一貫して持ち続けてきたのは,根拠を問う,ということだった.高校時代に数学をとおして,根拠を問うということを学んだ.「f(0)<0,f(1)>;0でf(x)が連続なら,0<c<1でf(c)=0となるcが存在する.その根拠は?」,「この問題は解ける.その根拠は?」等々考えることで,どのような言明に対してもその根拠を問うようになった.その結果いろいろ仕事を変えることにもなったと言えるのだが,それはそれでよい.高校生に数学を教えることを生業として,途中10年ほど寄り道もあったが,都合30年ほどやってきた.

この40年,高校数学はまずい方向に一貫して変えられてきた.そのことは『解析基礎』の「高校解析の現状」に書いた.このような中で,高校生に教える以上,教えるものの責任として,教えている内容の根拠を掘り下げて書きおきたいと考えた.教える内容の少なくともその周辺までをおさえなければ,本当には教えることはできない.高校数学の土台のところを掘り下げ,考える場を作る,これが青空学園のそれこそ根拠であった.高校数学の範囲で,意欲的な高校生や教える立場のものが根拠をさかのぼるということに関しては,ほぼ青空学園にあるものでなされている.確率の「大数の法則」,方程式の解ける根拠を問う「ガロア理論」,これがまだ残っている.そして公理的数学の立場は「対角線論法」で書いたが,これはもういちど手を入れなければならない.こうして考えたことごとをWEB上においておくことで,根拠を問おうとする高校生や教員の何かの役には立つだろうと考えてきた.やってみるとおもしろく,実のところ自分自身の楽しみでもあった.

日本の教育は明治以来一貫して,根拠を問うことを教えないできた.むしろ根拠を問わないように問わないように小学生の時期から大学教育まで,生徒や学生を誘導してきた.根拠を問うことなく結果を受け入れる.そうすることが,近代日本の出世の道であった.こうして官僚制と原子力村が形成された.これが日本の旧体制である.根拠を問うことは,現実を批判することと一体である.「原発は安全だ」に対して,「どうしてそんなことが言えるのか.その根拠は?」と問い,自ら少し調べれば,たちまち安全の根拠は何もないことがわかる.ところが研究者の世界でも,地域住民の中でも,根拠を問うものはつねに少数派であった.それは日本の近代教育の結果であり,その果てに福島の核惨事が起こった.

19世紀は,ワイエルシュトラスの函数論やカントールの集合論,デーデキントの実数論,そして20世紀初頭の数学基礎論へ,数学の根拠が問われた時代であった.19世紀は同時に,マルクスやエンゲルスが資本主義の原理的な批判を行った世紀でもあった.二つはその根底でつながっている.それでもまだそれは西洋世界内でのことであった.そして今,資本主義が世界大に行きわたった時代に,再び世にあるものの根拠を問うことが求められている.日本においては,それがいわゆる原子力村に対する原理的で根底的な批判である.

「根拠を問え.ここに科学がはじまる.根拠を問うとは,すべてを疑い,現象を根本において捉えることである.さらにその根拠をも問い直す.この永続運動が科学である.科学精神の復興は青空学園の願いです! 」とは,青空学園のHPの玄関の言葉であるが,終わりのない永続運動として根拠を問うこと,これがわれわれの知的風土となることを願っている.数学を本当に考えるなら,それは必ず根拠を問うことに至らざるを得ない.そういう数学を根づかせたい.われわれは近代日本の愚民政策に抗って自ら賢くならねばならない.東電核惨事を経て,いまこそこれが切実な問題であると考えている.

遠山先生も,かけ算の順という問題に関して,「なぜその順にかけたのか,その考えを問え」と言われる.その通りだと思う.先生の水道方式も,根拠を問いそれに答えるという所からはじまったと考えると,よくわかる.

そのためには3×5を3を5回たすことであることも教えた方がよい.こうすればたし算を知っていれば 3×5=15 を自分で確認することが出来る.3×5=5×3も確認できる.自分で確認することが大切だ.

そのうえで,数学的内容は様々に議論し,深めていってほしい.心ある教員のなかから,子どもたちに何ごとであれ,その根拠を問うことを教えて欲しいと思っている.

議論の深まりを

南海  それにしても,かけ算の順序に関して40年間議論がくりかえされたのは驚きだ.

太郎  はじめにかえりますが,

\begin{displaymath}
「6本のペンを8人分」とした場合,6×8が正解で8×6と書くと不正解
\end{displaymath}

と言う問題で,この6×8は数と数のかけ算なのか,6本という量と8という数の積なのか,1人あたり6本という量と8人という量の積なのか,はっきりしていません.

南海  数と量についてそれぞれの思い込みが違っている可能性もある.われわれの量の定義からすれば,6本が量で,それに8という数をかけている.

太郎  8×6も正解だという人の見解にも,2つあるように思います.

量と数の積は,いずれを先に書いてもよい,という量6と数8はそのままにして,書き方の問題でいう見解.

それに対して「6本のペンを8人分」と「8本のペンを6人分」は同じ量になるという,積の可換性を根拠にどちらでもよいという見解.

さらに,「6本のペンを8人分」と「8本のペンを6人分」は同じというときに,量レベルでいう見解と,6×8=8×6 という数の積の可換性を根拠にする見解.

南海  おそらくそれぞれの立場をはっきりさせれば,解決するはずなのだが,それが出来ていない.日本の数学者の責任は大きい.ここではこのような立場がさまざまにあることを指摘し,教育的には,その子にその解答の根拠を問うところからはじめようという,遠山先生の意見に賛成して,現場での議論に待ちたい.

私は,小学校の「算数」も中学・高校の数学も大学初年の数学も,そして専門的な現代の数学も,数学として高い統一性がなければならないと考えている.小学校では算数といい,中学からは数学と言い習わしてきた.しかし本当は一つの数学である.「小学数学」,「中学数学」,「高校数学」でなければならない.

一つの数学として,過程をおって何を伝えるのか,それが定まっていない.いまもってかけ算の順序問題になり,それが40年間くりかえされる根本には,近代日本の数学教育の理念と理論が打ち立っていないという事実が,ある.数学者の責任もまた大きい.

くりかえすが,日本の学校を取りまく環境では,そのような教員の自主的な研究の時間も空間も失われつつある.そのことは十分理解している.これも『解析基礎』からの引用であるが,次のことを指摘したい.

     1970年代初頭,日本の教育は大きな転換をした.このころ中央教育審議会は「人的資源の開発」ということを言いはじめる.「人的資源」とは生産活動に必要な技術をもった労働力ということそのものである.人を人として育てる教育から,人を資源として使えるようにする教育への転換である.この能力を開発するのが教育だというわけである.教育を生産活動の一部とする考え方が表面化する.人的資源という観点からすれば,現実を批判するよりも,ひたすら従順に働く労働者のほうが都合がよいことになる.現実批判力より感性的理解による現状肯定の教育.この方向性はいまも変わっていない.数学の教科書の変転の背景である.

この方向で,人間を育てる教育から,「人的資源」としてのつまりは金儲けの資源として人を見る教育へ,突き進んできた.学校はいろいろな意味で荒廃しつつある.2013年の今日,もはやそれはこのままでは修復できなほどになっている.

そのような状況で,教育数学の研究を,ということの空しさもわかっているつもりだ.しかしまた,であるからこそ,本来教育とはこういうことであったのではないか,ということははっきりと言っておきたい.

そのような教育が再びこの地に甦ることを願って,取りあえずこの対話のシメとしよう.



Aozora
2013-02-17