南海 十九世紀の半ばまで,どのような数学の分野も,有限個の公理から出発し,有限個の推論規則を用いて論証する体系として表現されると考えられてきた.
ペアノ(G.Peano,1858〜1932)は5つの公理で算術の基礎体系を作った.これはまさにユークリッドの方法であり,その忠実な実践である.
拓生 有限個の推論規則とは,「ならば」とか「でない」とかですか.
南海 もう少し定式化されたものだが,大切なことは,数学で用いられる推論の規則は有限個のものから作られ,推論の列が有限個のものから作られているかどうか判断できるということだ.
その上で,数学の体系の本質に関して次のことが問題として浮かびあがってきた.
ある理論体系が完全であるというのは,その体系のすべての命題に対して,またはその否定のどちらか一方の成立が証明されることを意味する.
ある理論体系が矛盾がない(無矛盾)であるというのは,命題とその否定が同時に成立するような命題はその体系のなかに存在しない,ことを意味する.
19世紀の数学の流れのなかで,2つのことが明確になった.一つは先に見たように,公理の集合に互いに矛盾ないかどうかは自明ではない,ということである.集合論に矛盾が見いだされる以上,自然で直感的な公理系には矛盾が内包されている可能性があるのだ.
第二は,公理は絶対的な真理なのではなく,一つの仮説,あるいは一つの選ばれた体系である,という認識である.幾何学が一つではないことが自覚されたのは,時間的には集合論の発展よりは早く,19世紀中期である.そしてそれは,数学的存在とは何かという問題意識になって,集合論の危機という問題と結びついていく.
拓生 時代的な背景もあるのでしょうか.
南海 それは明確にはわからない.ただ,当時,ベル・エポック(よき時代)と呼ばれた繁栄の19世紀も末にいたり,経済的には不況が西欧を覆い,西洋文明の行き詰まりと,そこからの活路を求める時代の支配的な思潮があったことはまちがいない.数学者も世の変転と無縁ではない.
まさにそのとき,1900年,パリ数学者会議でヒルベルトは「ヒルベルト23の問題」を発表するのである.その第1の問題と第2の問題が今考えていることに関するものだった.
歴史的文献なので,ここに紹介しよう.
実数(あるいは直線上の点)の任意の二つの集合がCantorの意味で同値,あるいは同じ濃度をもつというのは,一方の集合の任意の数に対して,他の集合の一つしかもただ一つの定まった数が対応するように,一対一の関係が互いにつけられることである.このような点集合のCantorの研究は,もっともらしい.しかしその証明には多くの熱心な努力にもかかわらず,だれも成功していない命題を生んだ.その命題とは次のとおりである:
無限に多くの実数からなる系,すなわち実数,あるいは直線上の点の無限集合は,自然数 の集合と同値であるか,または,実数全体のなす連続体,すなわち線分上の点全体の集合と同値である.いいかえれば,同値の意味では,〔実数の部分集合には〕可付番集合と連続体とただ二種類の実数の集合しかない.
この命題が正しければ,連続体の濃度は,可付番集合の濃度のすぐ次の濃度ということになる;
この命題が証明できれば,可付番集合と連続体との間に新しい橋をかけることになる.
この問題と密接に関連していて,おそらくこの問題を証明する鍵になるだろうと思われるCantorの注目すべき他の主張がある.実数のある部分集合が順序づけられるというのは,その集合の任意の二つの数に対して,どちらが前でどちらが後であるか,という関係が定まっていて,しかももし数が数より前にあり, 数が数よりも前にあるならば,はよりも前にあるという条件〔推移律〕を満たすときである.実数の間に,小さいほうを前,大きいほうを後というように順序づけたとき,自然な順序づけという.しかしすぐにわかるが,集合の数の間に,このほかに無限に多くの他の方法で順序づけができる.
もしも数全体にある定まった順序づけをし,同じ順序をその部分集合にもつけるならば,部分集合もまた同じく順序づけられている.Cantorは,整列集合と彼が名づけた特別の順序づけられた集合を考えた;
それはその集合全体はもちろん,すべての部分集合に必ず最初の数が存在するようなものである.自然数 の集合は,自然な順序で明らかに整列集合をなす.これに反して実数全体の集合,すなわち連続体は自然な順序では,明らかに整列集合ではない.というのは,もし有限な線分の最初の点を除いた集合を考えれば,この部分集合は確かに最初の要素をもたたいからである.
ところでCantorは正しいと信じているようだが,実数全体の集合に他の方法で順序を入れて,どの部分集合もその順序で最初の要素をもつように,すなわち連続体もまた整列集合にできるかという問題が起こる.実数にそのような順序を入れて,任意の部分集合が最初の要素をもつようにできるというこのCantorの注目すべき主張〔整列可能定理〕に直接の証明を与えることは,私にとって最も望ましいことと思われる.
ある科学の基礎を研究しようというときには,その科学の基礎になる基本的概念の間の関係を正確にかつ完全に記述する公理系をうちたてる必要がある.設定された公理は,また基本的概念の定義でもある.そして基礎を研究している科学の領域での命題が正しいのは,基礎として設定された公理から,有限個の論理的推論によってそれが導かれるときに限る.さらに詳しく考察すると,おのおのの公理が,完全に他とは独立であるような公理系をたてようとすれば,ある命題が個々の公理とどう関連しているか,また公理が共通の不可分の構成要素(もしあれば,取り除かなければならない)を含まないかどうか,という問題が生ずる.
しかし公理系を設定しようとするときの多くの問題中,なによりも最も重大な問題は,それらが互いに「無矛盾」であること,すなわちその公理系から有限回の諭理的推諭によって,互いに矛盾するような結果が導かれることはけっしてないことを証明することである.
幾何学においては,公理の無矛盾性は,適当な数の領域をとり,幾何学の公理と同様の関係をその領域の数の問に対応づけ,幾何学の公理から推論で矛盾が生ずれば,それは数の領域の算術の公理からの矛盾になる,という方法で証明された.すなわちこの方法では,幾何学の公理の無矛盾性は,算術の公理の無矛盾性の問題に還元されたわけである.
しかし算術の公理の無矛盾性の証明は直接にしなければならない.
算術の公理とは,本質的には連続の公理を除いた計算の規則にほかならない.私〔Hi1bert〕は最近連続の公理は二つのもっと簡単な公理,すなわちよく知られたArchimedesの公理と内容に関する新しい公理とからなることを注意した.
後者は,その数の体系のすべての公理を保ってそれ以上拡張することはできないという完全性の公理である.私は確信するのだが,算術の公理の無矛盾性を直接に証明しようとするならば,無理数論での周知の方法を,当面の目的に向くように適当に修正するのがよいと思う.
この問題の意義を他の方面からも特徴づけるために,もう少し注意をつけ加えよう.もしもある概念が矛盾を含むならば,その概念は数学的には存在しないといってよい.たとえば,二乗が一1になるような実数は存在しない.逆にその概念から有限回の推論を行なっても,けっして矛盾を生じなげれば,その概念の数学的存在は証明されたといってよい.たとえばある条件を満たす数や関数である.いまの場合,実数の公理は,算術的に扱えるのだから,算術の公理の無矛盾性の証明は,同時に実数や連続体の概念の数学的存在をも結論する.実際,公理の無矛盾性の証明が完全にできれば,これまでときおりなされたような,実数の概念の存在に対する反論はなくなり,すべてが正当化される.
確かに実数,すなわち連続体の概念は,これまで特徴づげられていたような,すべての可能な十進小数の全体とか,基本列の要素からつくられるすべての可能な規則の全体ではなく,設定された公理を満たすような対象の集合であり,その公理から有限回の諭理的推諭で導かれるような結果の全体,そしてそれだけが正しいものである.このような意昧においてのみ,私のいう連続体の概念は,論理的に厳密につかみうる.
事実上そうしてこそ,われわれに最もよく経験と直観を与えてくれると私は思う.連続体の概念やすべての関数の集合の概念もまた,有理整数や高級なCantorの〔超限〕数や濃度の集合とまさしく同じ意味で存在する.なぜなら後者の存在もまた,連続体と同じく,ここで私が述べた意味で証明されるからである.−−これに対してすべての濃度の集合とか,すべてのCantorの数〔超限数〕の集合といったものは,私の述べた意味で無矛盾の体系ではないことが示されるので,私の意味では,数学的に存在しない概念なのである.
何ともよくわかる言葉ではないか.
ヒルベルト(David Hilbert, 1862〜1943)は19世紀後半から20世紀にわたる時代の最大の数学者であった.彼は,カント−ルを深く理解し,集合論を土台にして数学の基礎を確固としたものにしようとした.その要の問題として連続体仮説と算術の無矛盾性を問うたのである.
ヒルベルトはさらに,「逆にその概念から有限回の推論を行なっても,けっして矛盾を生じなげれば,その概念の数学的存在は証明されたといってよい」と述べ,数学的存在についての考え方を示している.
ヒルベルトの考えがもっとっもよく現れているもので,今日手に入りやすいものは,参考書にあげた『幾何学基礎論』である.これは先のパリ数学者会議の前年に出版されたものであり,最近日本語訳が文庫本になって入手しやすくなった.
ヒルベルトの『幾何学基礎論』は,公理にもとずく数学の叙述がもつべき規範を示した.ヒルベルトはユークリッド幾何学の完全な公理系を与えて,平行線公理が他の公理と独立であることを示し,非ユークリッド幾何学が成立する論理的根拠を明らかにした.
『幾何学基礎論』の「序」でヒルベルトは次のように言った.
幾何学は−算術と同様に−その矛盾なき建設のために極めて少数の,かつ簡単な基本命題を必要とする.この基本命題を公理という.幾何学の公理を設定し,かつその相互関係を研究することはユークリッド以来あまたのすぐれたる数学の文献において論ぜられた問題であるが,これはわれわれの空問的直観を論理的に分析することにほかならない.
本研究は幾何学に対して,一つの完全なまたできるだけ簡単な公埋の体系を設定し,かつこれらの公理から最も重要な幾何学の定理を導き,同時にそれぞれの公理群の意味と,個々の公理から導きうる結論の範囲を明らかにせんとする一つの新しい試みである.
拓生 読んでみました.後半は難しいですが前半はわかります.
南海 数学的対象を,形式的・構文論的公理系に再構成し,その無矛盾性と完全性が証明できれば,その対象は存在すると考える.全数学の土台として,述語論理・集合論・自然数論における完全性と無矛盾性を全数学者が一致協力して証明しようという試みが,「ヒルベルトの計画」であった.
この後,四半世紀,多くの数学者がヒルベルトの計画のもとに,無矛盾性と完全性の証明ができると信じて努力した.