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非ユークリッド幾何学

南海  ユークリッドの幾何学においては,方法の対象としての点,直線,角などの図形は,つねにそこにあるものと考えられてきた.つまり,幾何学は直接に知覚できる図形のことを研究する学問だった.面積を求め,体積を計算し,1点で交わることを示す,等すべて,事実そこに存在するものの性質であった.

だがこのユークリッド幾何が示す方法と世界観に,さまざまの飛躍が起こった.幾何学の対象が直接知覚できないものに広がったのは十九世紀だ.その最初の飛躍は,三角法を平面でない場合に研究し,そこから,平行線の公理の成立しない幾何を発見したロバチェフスキーらにはじまる.

拓生  それが非ユークリッド幾何ですね.非ユークリッド幾何とは,平行線の公理の成り立たない幾何です.どこかで読んだことがあります.

南海  平行線の公理はユークリッドの公理では5番目にあるので第五公理という.

ユークリッド幾何学が広まるにつれ,多くの人が他の公理から平行線の公理を証明しようと試みた.5番目は他と比べてずっと複雑だから,簡単な他の公理から導けるのではないか.多くの人がそのように考えたのだ.第五公理を否定して矛盾を導くという研究も容易に実を結ばなかった.

19世紀になると,第五公理を否定しても,矛盾のない論理体系としての幾何学が構成できるのではないか,と考えられるようになった.

そしてついに1830年頃,ロバチェフスキー(ロシアの数学者,1793〜1856)とヤノス・ボーヤイ(現・ルーマニアの数学者,1802〜1860)によって独立にそのような幾何学が発見された.これらの幾何学はユークリッドのはじめの4つの公理はそのままとして,公理5)の代わりにその否定

5')
直線とその上にない点に対し, その点を通りその直線に平行な直線が2つ以上存在する.
5'')
直線とその上にない点に対し, その点を通りその直線に平行な直線が存在しない.
を公理として採用するというものであった.これはガウスにより非ユークリッド幾何学と名づけられた. 19世紀初頭から中期にかけてのことであった.その後19世紀末になって,非ユークリッド幾何の存在が,第五公理は他の公理から導くことはできないことを意味することが認識されていった.

拓生  なぜそのようなことがいえるのですか.

南海  公理1)から公理4)までは成立するが,公理5)が成立しないようなモデルを構成すればよい.そのようなモデルが存在するということは,公理1)から公理4)を用いて公理5)を証明することはできないはずだ.

このような考え方は,はじめからあったのではない.

ロバチェフスキーやボーヤイは非ユークリッド幾何学の体系そのものを考察の対象としたとはいえない.このような体系における第五公理の独立性などの問題意識は,集合論の矛盾などが発見され数学の基礎づけが大きな問題となったなかで,形成された.

このモデルを用いる論証は,クライン(F.Klein,1849〜1925)が,25才のときにはじめて指摘した.ロバチェフスキーの幾何学から30年目のことで,ちなみに後で紹介するヒルベルトの『幾何学基礎論』がはじめて世に出るのはここからさらに30年後のことだ.

公理1)〜公理4)は満たすが,平行線が1本もない例を示そう.

例 0.1.5  
球面の表面上の点$\mathrm{X}$に対し,$\mathrm{X}$と球の中心に関して対称な位置にある点を$\mathrm{X}'$とする.$\mathrm{X}$$\mathrm{X}'$を同一視し, $(\mathrm{X},\ \mathrm{X}')$の組を「点」とする.球面上の円で,円が乗っている平面が球の中心を通るものを大円と呼ぶが,大円を直線とする.2つの大円が交わる点での接線のなす角を2直線の角とする.

2点間の距離は,2点を結ぶ大円弧長とする.大円の周の$\dfrac{1}{2}$を法として定まる.

このときこのモデルは公理1)〜公理4)を満たす.しかしすべての直線は1点で交わるので,公理5)は満たさない.これを示してほしい.

拓生 

1)
点として $\mathrm{X}$を用いようと$\mathrm{X}'$を用いようと, いずれかを通る大円は他方も通る.2点を通る大円は, 2点と球の中心を通る平面と球面の交わりの大円で, これはただ一つに定まる.
2)
同様に有限直線(線分)は, それが乗っている大円をただ一つ定める.
3)
任意の距離に対し大円の周の半分を法として, 大円の周の半分までの長さをとり,与えられた点との距離が この値となる点の集合をとればよい.
4)
任意の2点とそこを通る直線について, 一方の点を移動して他方の点にあわせ, さらに必要なら点の周りに直線を回転し, 他方の直線とあわせることができる.このとき, その点を通り二つのなす角が等しい直線は1本しかないので, すべての直角は相等しい.

最後のは少し苦しいし,実際にやってみると,ユークリッドの定義も直感的な表現で使いにくいときもあります.

南海  そうかもしれない.

拓生  とこれで,このモデルでは,三角形の内角の和は$180^{\circ}$より大きいです.

南海  いいところに気づいた.ユークリッド幾何で,三角形の内角の和が$180^{\circ}$であることは,左図のように,平行線を引いて錯角の性質を用いて,3頂点の角を集めるとちょうど直線になることで示すのだった.

拓生  ところが右図のように,直交2直線が交わるのだから,三角形の内角の和は$180^{\circ}$より大きいです.

南海  いずれにせよ,平面幾何で必要なことはこのモデルでもそろっている.しかし,平行線公理は成立しない.

拓生  だから,第五公理は他の公理からは導けないのですね.導けるのなら,他の公理はすべて満たすこちらのモデルでも成立しなければならない.もし,公理1)〜公理4)から公理5)を導くことができるのなら,このようなモデルが存在することと矛盾する,ということですね.

0.1.5もまた,平行線が一つもない何らかの幾何学なわけですね.では,1点を通る平行線が複数存在する幾何学もできるのですか.

南海  少し難しいが,いくつか紹介しよう.

例 0.1.6  

定円の内部を空間とし,弦(両端は含まない)を直線とする.円周とその外部は無限遠とする.円周上で交わる2直線は,平行である.

このとき2点を通る直線がただ一つ存在することはすぐにわかる.また定点を通り直線$\mathrm{AB}$と平行な直線が2本引けることもわかる.

この弦$\mathrm{AB}$の円周上の端点を $\mathrm{P},\ \mathrm{Q}$とするとき,2点$\mathrm{AB}$の距離を

\begin{displaymath}
\log\dfrac{\mathrm{PB}}{\mathrm{PA}}
\cdot\dfrac{\mathrm{BQ}}{\mathrm{AQ}}
\end{displaymath}

で定める. 角の定義は難しい. このモデルは公理1〜公理4を満たす.

拓生  でも,これらの例はすべて,ユークリッド幾何の平面の中に作られていますね.

南海  そうだ.これは次のところで言うべきことなのだが,それによって,ユークリッド幾何が矛盾ない体系であるならば,これらの非ユークリッド幾何もまた矛盾がないことが示されるのだ.

拓生  ユークリッドの幾何は,普通の,われわれが住んでいる平面がモデルとなる幾何ですね.

南海  そうともいえる.もっとも,同じ頃,物理学の分野でアインシュタインによって相対性理論が発見され,展開された.相対性理論によって時間と空間を統一的に把握すると,それは最早ユークリッドの世界ではない.

ニュートン力学−ユークリッドの幾何学

相対性理論−非ユークリッド幾何学

なのだ.

拓生  相対性理論は非ユークリッド幾何学のモデルを提供するのですか.

南海  そう.相対性理論は,リーマンが提唱し基礎を築いたリーマン幾何学でもって叙述することができる.

拓生  なんだかよくわからないですが,純粋に数学の世界で発見された平行線の公理を満たさない幾何学が,相対性理論によって現実の世界を叙述するのに用いられるというのは,不思議です.

南海  そのようなことは他にもある.最近では,楕円曲線論が暗号理論と結びついた.

一見数学者が頭の中だけで考え出したように見えることが,現実世界を記述し解明する言葉と方法になる.数学というものの深い実在を識ることができる.


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Aozora
2013-06-16