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形式化された数学

南海  ところがここでゲーデルが現れる.かれは次のことを証明した.

1)
述語論理は完全である.つまりすべての恒真な命題は証明される.
2)
算術を含む形式化された体系が無矛盾であれば,完全ではない. つまり,証明も反証もできない命題が存在する.
3)
算術を含む形式化された体系が無矛盾であれば, 体系内部で体系の無矛盾性を証明することはできない.

拓生  1)はヒルベルトの期待したとおりの結果ですが,2),3)はまったく逆の結果です.

まずここでいう「形式化された体系」についてもう少し詳しく聞かせてください.

南海  そのためにはラッセルらの仕事を話さなければならない.ヒルベルトとは少し離れた英国で,集合論の背理法を乗りこえようとする努力が,ラッセルらによって続けられた.

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 1872年5月18日〜1970年2月2日)は,自らが定式化したあの集合論の矛盾を回避し,数学の基礎を確固とするために集合に階型を導入した.集合の集合はもとの集合とは階型が異なる.異なる階型の集合を同一の場であつかわないという原則の下に, この階型理論に基づく高階論理上で全数学を展開するという一大事業を押し進めた.

その努力は,アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド (Alfred North Whitehead, 1861年2月15日〜1947年12月30日)との共著『数学原理』( Principia Mathematica )(1911〜1913年)として結実した. これは記念碑的な3巻の大著であった. ここにそれを見ることができる

拓生  これを見ると記号の列です.

南海  これがヒルベルトの提唱した形式化された数学の実践だった.論理規則と述語論理を記号化する.そしていくつかの公理を立てる.そこからその述語論理に則って論証を進める.こうしてプリンキピアは,集合論,基数,序数および実数論を展開した.ここまでで3巻を要した.こうして,知られていた数学の多くが,この方法で原理的には展開できることが明確になった.

しかし,プリンキピアの公理から矛盾が導かれるかどうかという無矛盾性の問題,証明も反証もされない数学の言明が体系内に存在するかどうかという完全性の問題,これは未解決であった.

拓生  述語論理ですか.

南海  ここは内容的な所に入り難しいのだが,述語論理とは,命題関数とその論理規則にさらに「存在する」「すべての」を付け加えた論理である.論理規則や述語論理は,いわゆる論理学の問題で,数学の問題の前提ではあるが,数学そのものではない.

論理規則の完全性はすでに知られていた.

述語論理について,その完全性を最初に証明したのがゲーデルだった.それは次のような内容だった.

述語論理において,すべての恒真式は証明可能である.
恒真式とは,任意の対象において真となる論理式である.これが実はゲーデルの最初の論文だった.これは論理学の分野の問題だった.

これを土台に,数学の内容を含む体系についても,無矛盾性や完全性が示せるのではないか.当時はそのように考えられていた.

プリンキピアから20年後の1931年,ゲーデルによる「『プリンキピア・マティマティカ』やその関連体系での形式的に決定不可能な命題について」という論文によって,いわゆる「不完全性定理」が証明され,ヒルベルトの計画は挫折に終わる.

「ある体系が無矛盾で,かつ自然数の体系を含むならば,その体系は完全ではない」ことを示し,また「数学は自己の無矛盾性を証明できない」ことを示した.この不完全性定理の証明は,ヒルベルトの主張した有限の立場にたつ形式化を忠実に用い,超数学の命題を自然数体系の中に写像して,実現された.

ヒルベルトの計画が有限の立場に立つかぎり本質的に不可能であることを示した.数学は,ヒルベルトが考えたよりももっと大きく,形式化でとらえることはでききらない,ということをそこから読みとることができる.

クルト・ゲーデル(Kurt Gödel, 1906年4月28日〜1978年1月14日)は,オーストリア・ハンガリー二重帝国(現チェコ)のブルノ生まれの数学者・論理学者である.

2006年はゲーデル生誕100年であった.

1924年にウィーン大学に入学したゲーデルは,まず物理学,のちに数学を学び,1930年には最初の重要な業績である「第一階述語論理の完全性定理」を発表し,学位を得た.

翌1931年,20世紀の数学基礎論,論理学にとって最も重要な発見とされる「不完全性定理」を発表した.

1940年には,ヒルベルトの第一問題(連続体仮説)について,集合論のZF公理系(ツェルメロ・フランケルによる公理的集合論の体系)が無矛盾ならば,そこに選択公理と一般連続体仮説を加えても無矛盾であることを証明した.この後ゲーデルは連続体仮説に関する研究からは離れてしまった.

1963年,ポール・コーエンはZF公理系に選択公理と一般連続体仮説の否定を加えても無矛盾であることを証明し,ゲーデルの結果と合わせて一般連続体仮説がZFC公理系とは独立である(証明も否定の証明も出来ない)ことを示した.

ゲーデルはウィーン大学の講師を勤めたが,1940年頃にはナチス・ドイツを逃れて妻アデルともどもアメリカ合衆国に移住した.彼は米国の市民権を取得し,プリンストン高等研究所の教授となった.ゲーデルの人となりは,いろんな書物にも書かれているので,ここでは省略したい.

拓生  ヒルベルトが計画を発表して30年後,ですか.


Aozora
2013-06-16