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太郎が「太郎は嘘つき」と言う

拓生  「クレタ人が『クレタ人は嘘つきだ』と言う.」という文の矛盾を知りました.

もし,『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で,クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する.

もし,『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば,この言葉を発したクレタ人は嘘をついたことになる.その結果,『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する.

『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても,矛盾が起こる.

南海  これは昔からよく知られた逆理(パラドックス)だ.もちろんこれが矛盾であるためには,「嘘つき」とはつねに嘘をいう人のことであり,その否定は「正直者」,つまりつねに嘘をつかない人,という前提が必要だ.

参考書にあげておくが,『ふしぎな数学』という本によれば,紀元前6世紀,クレタの有名な詩人で予言者であったエピメニデスが「すべてのクレタ人は嘘つきである」との見解を述べたのだそうだ.

これは,新約聖書のパウロ書簡で「テトスへの手紙」の最初の部分にもたとえとしてもちだされている.もっとも,手元にある新約聖書では,

クレタ人のうちのある預言者が
「クレタ人は,いつもうそをつき,
たちの悪いけもの、
なまけ者の食いしんぼう」
と言っているが,この非難はあたっている.
とあって,エピメニデスの名は出ていない.パウロが,クレタでのキリスト教の布教がなかなか困難であることから,クレタの人々を非難する例えにエピメニデスの言い伝えをもちだしたのだ.新約聖書にもちだされたために,この話は有名になり,クレタ人はとんだ迷惑である.

パウロの時代には,すでにこのエピメニデスの話がよく知られた伝説になっていた.

エピメニデスはいなくなった羊を探しに山に入り,57年間昼寝をして帰ってきたという伝説があるくらいなので,話そのものは本当のところどういうことなのかはわからない.

パウロが「クレタ人」の一般的性質として,例え話にもちだしたものだから,『すべてのクレタ人は嘘ばかりいう』か『すべてのクレタ人は真ばかりいう』のいずれかのみが成立する,という話として広く流布し,この前提のもとで,これは確かに逆理,つまりいずれにしても矛盾を引き起こす命題となる.

拓生  確かに,高校で習う論証からいえば『すべてのクレタ人は嘘つきだ』の否定は『嘘をつかないクレタ人が存在する』ですね.

南海  『すべてのクレタ人は嘘つきだ』の否定として『すべてのクレタ人はつねに嘘をつくわけでない』でもよい.「すべて」の否定は「成立しないものの存在」だから,「すべてのクレタ人」「つねに(すべて)嘘をいう」のいずれの「すべて」を否定しても否定命題が作れる.

この意味では「クレタ人の逆理」は本当のところ逆理とは言えない.

「クレタ人」というところを,個別の人間にし,嘘つきか正直者かは, これまで通りつねにいずれかであることにすればよい.

拓生  本質的には「太郎は『太郎は嘘つきだ』と言う」でいいのですね.太郎が嘘つきだとしても,正直者だとしても矛盾です.

南海  そうだ.重要なことは,この逆理は一種の対角線論法だ,ということだ.

拓生  『数学対話』−「実数とは何か」にあるカントールの対角線論法ですか.

南海  それとまったく同じということではないが,一種の対角線論法だ.クレタ人の逆理を考えたので,これを発展させて,対角線論法の問題を通して,数学の基礎にある問題をいろいろと考えてみたい.

さて,対角線論法で一番簡単なのは星取り表だ.

拓生  星取り表って,次のようなものですね.

\begin{displaymath}
\begin{array}{\vert c\vert ccc\vert}
\hline
&A&B&C\\ 
...
.../&○\\
\hline
C&●&●&/\\
\hline
\end{array}
\end{displaymath}

南海  対角線上には「/」を入れてくれた.

拓生  実際$A$$A$が闘うようなそんな対戦はありません.

南海  そうだ. しかしまた別の観点から見ると対角線上には○を入れても●を入れても矛盾が起こるともいえる.

拓生  確かに.$A$$A$に勝つのも,$A$$A$に負けるのも,矛盾といえる.

南海  そこで,クレタ人の逆理を先の注意を考えながら定式化しよう.

$A,\ B,\ C,\ \cdots$といろんな人がいるとする.それぞれの個人は嘘をつきか正直者かであって,嘘をつきはつねに嘘をつき,嘘つきの否定である正直者はつねに嘘をつかないものとする.

$A$が『$B$は嘘つきである』と言った」を「$A$$B$と勝負する」といいかえればこれは基本的には星取り表と同じだ.

拓生 

$A$が『$B$は嘘つきである』と言ったのだから,『$B$は嘘つきである』が真かまたは偽であることと,$A$が正直者かまたは嘘つきかであることは,同値です.

○で正直者,●で嘘つきを表すと,$A$が○なら$B$は●.$A$が●なら$B$は○です.

拓生  $A$$B$が異なれば,事実$B$が嘘つきなら$A$は正直者であり,$B$が正直者なら$A$は嘘つきである.$A$が嘘つきか正直者かは確定します.

しかし対角線上にある「$A$が『$A$は嘘つきである』と言った」では,$A$が嘘つきであるとしても,正直者であるとしても矛盾が生じる,ということですね.

南海  そう.もちろんこれは対角線上の言明「$A$が『$A$は嘘つきである』と言った」がそれぞれ単独で矛盾になるので,カントールの対角線論法のように,対角線上の「すべて」を考えるものではない.

しかし,単独の言明「$A$が『$A$は嘘つきである』と言った」の背後に対角線があることは大切なことだ.

拓生  違いというか,星取り表は単純ですが,$A$によって言われた『$A$は嘘つきである』が,$A$自身が本当のことを「言った」のか否かににまで影響を及ぼしているというか,決定しています.

その意味で複雑です.

南海  さて先の星取り表と見比べて複雑だと言うことだが,それは結局次のことだ.

対戦では自分同士の試合は不可能だが,人間に関する言明は「私は正直です」のように自分自身について言及することが可能だ.

拓生  言及という行為は,自分自身についても可能ですね.

南海  このように自分自身に言い及ぶことを「自己言及」というのだが,この対角線論法は,対角線上で自己言及を起こすことで,矛盾を作ったり,さまざまの数学的論証をおこなったりする,論法だ.

拓生  いつも矛盾が出るとはかぎらないのですか.

南海  カントールの対角線論法では,背理法のなかで用いられる.背理法の仮定と矛盾する数を対角線論法を用いて構成する.後で詳しく考えよう.

拓生  クレタ人の逆理は分かりやすいですが,同じような逆理は他にもあるのですか.

南海  クレタ人の逆理では,対角線論法によってそれ自身で矛盾が生じた.このような自己言及の矛盾は他にもある,有名なものは次の例だ.

例 0.1.1        村の理髪店主が「自分でひげを剃るものは勝手に剃れ.私は自分で自分のひげを剃らない者のひげを剃ってやろう.」と言った.さて,村の理髪店主は自分のひげを剃るのか剃らないのか.

拓生  村の理髪店主が自分のひげを剃るとしても,剃らないとしても矛盾が起こります.

南海  $P(A,\ B)$を「Aは,Bが自分のひげを剃らないなら,Bのひげを剃ってやる」とする.すると,$P(A,\ A)$は自己矛盾した文章になる.

この種の例は他にもある.自分でも考えて見て欲しい.


Aozora
2013-06-16