南海 ここで,もう一つ「リシャールの逆理」を紹介しよう.これを考えたのはフランスの数学者J.リシャール(J.Richard,1905年発表)だ.彼はフランスのリセ(高等中学校)で数学教師をしていた.
例えば,
拓生 9が2個の異なる平方数の和で表される自然数かどうかは,となるとが存在するかどうかを, の範囲で調べればよい.これは9通りしかない.有限回の手続きとはこのようなことですね.
南海 今は問題をはっきりさせるために,有限回の手続きで判断できるということを明確にした.
拓生 有限回でなければ,実際に属するかどうかは判断できません.
しかし,このような定義文は無数にあります.上の「2個の異なる」の2を「3,4,5,…」としたものはすべて含まれます.
南海 にもかかわらず,定義文の長さが有限であるかぎり番号をつけていくことはできる.
数字とアルファベットとひらがなと当用漢字は全部あわせても有限個だ.この個数をとする.文字の文章は個ある.つまり同じ長さの定義文は有限個だ.これらの文字列で,自然数の加法,乗法,およびこれらから派生する有限回の手続きで判断できる定義文になっているものを選ぶ.それを
を番目の定義文とし,で定義される算術的な性質をもつ自然数の集合をとする.
ここで
数がリシャール数であるとは
であることとする.
そこで,「リシャール数となる自然数」という文を考える.これ自体,自然数の部分集合を定める定義文だから,並べられた定義文の列のどこかに現れる.
であるとする.
このとき,自然数はリシャール数であるか.
拓生 あっ,対角線論法.
南海 そうなのだ,
拓生 定義文の番号が,その定義文が定める集合に属するかどうか,ということなので, これは確かに自己言及です.
がリシャール数であるということは
がリシャール数でないということは
いずれにしても矛盾である.
南海 これがリシャールの逆理だ.
拓生 でも,なんか変ですね.
がリシャール数であるかどうかを「自然数の加法,乗法,およびこれらから派生し有限回の手続きで定まる諸関係」で判断できるのでしょうか.もし集合を確定しようとすれば,集合を定めるためにはすべての自然数を点検しなければならず,有限回の手続きではできない.その他に方法がありません.
矛盾が起こることは確かですが,しかしがリシャール数であるかどうかを自然数のなかの論証で判断することができません.
南海 そうなのだ.集合は自然数内部では確定できないのだ.だから「がリシャール数である」であるという言明は,もはや自然数を含む数学内の言明とはいえない.
この意味で,リシャールの逆理は,確かに厳密なものではない.それで多くの数学者はこれを無視した.あるいは価値のないものと見なした.
拓生 当然です.
南海 ところが,後半で考えるように,ゲーデルは「クレタ人の逆理」や「リシャールの逆理」を数学的に厳格化することはできないのか,と考えた(と思われる).そこから,あの偉大な「不完全性定理」に至った.
拓生 そういう道筋があるのですか.
南海 もしが何らかの方法で自然数内部の命題に変換されうるなら,これは厳密なものになる.
拓生 そのときは本当に逆理になります.
南海 ということは「リシャールの逆理」を自然数内の命題に変換することはできないということなのだ.
ゲーデルは自然数を含む形式化された数学内の命題から自然数への写像を構成し,「証明可能である」とか「無矛盾である」とかいう超数学的な言明を,写された自然数内の命題に変換する.それをもう一度,形式化された数学内で考えるという道筋をたどった.それも後に考えよう.