青空学園から、史織さんへの追伸です。
追伸
現代日本語のこのようなことばとしての弱さには、日本語の長い歴史の中で形成された要因があることはまちがいありません。同時にまた、現代日本語は、近代日本国の言葉に対する政策の結果でもあります。
青空学園は1999.8.27 にはじまった電脳世界の仮想学園です。その理念は、人間として自分の力で考えぬく ということにつきます。この世界のすべてのことを、自らの内の力で徹底して考える、ということである。この学園はだれでも参加できる。必要とする考える力は、およそ、高校生の段階を目安にしているが、これとて大きな幅のあることであり、参加資格は、疑問を大切にして大いに考え大いに議論すること、これだけである。 自学自修、そして大いに対話する、これが青空学園の方法である。
すべてを、ただ人間として考え、そして生きよう。青空学園が将来どのように発展していくかはわからない。初心を忘れず現実に立脚し、しかも日本国の学校制度からは自由に学ぶ場として育てたいと考えている。ともに考え、ともに学び、意義ある人生をともに生きよう。
明治日本は、民衆がものを考えないでいてもらいたいと望んだ。彼らが何か考えるのは危険なことだから、禁止して、教育勅語を素直に受入れ、それ以上(以外?)のことは考えない者を、理想の国民像として思い描いた。その風潮は長くつづく。いわゆる四〇年体制も、それから日本株式会社も、思考を尊重したり奨励したりはしなかったし、その道具としての日本語の機能を高めようという気運は起らなかった。単語には意味内容を明確に指示する力が乏しくてもかまわないし、婉曲語法は社交術や礼儀作法を通り越して、話をとりとめなくするのに役立つた。日本語を厳密な論理に向くものにしよう、精細な分析に適したものにしようとする作業はなおざりにされた。当然のことながら、着実的確に言葉を使って相手を説得し納得させる工夫、整然と反論し巧みに論駁する技術など、必要だと認められるはずがない。典型的なのは政治家の場合である。近代民主政治で大事なのは言葉だそうだが、わが政界の大物はみな辻つまの合わないことを口にし、曖昧朦朧たる言辞を弄する。かつては御稜威のもと大政翼賛して国が亡んだ。いまは毅然たる態度で粛々と事を進め、国が傾く。こういう風土では、どの分野においても、周到な探求のあげくに訪れる妙想など伝説の世界にしか属さないし、アイディアは盗むのが手っ取り早いことになるだろう。
ものを考えないし、また考えるのに向いてないという事情をよく示すのが、日本語における生活語と概念語のはなはだしい乖離である。前者では「世の中」と言うものが後者では「社会」、前者では「有りの儘」と言うものが後者では「現実」。知は暮しの現場から遠くなり、思索は専門家に任せられた。ところが玄人筋の観念語のあやつり方にしたって、もともと実感の薄い言葉の組合せだから、磨きあげるのがむずかしかったのである。
総じていえば大衆と知識人との両方の側で、思考の道具としての言語が整備していない。成熟していない。これが日本語問題の急所、あるいは一番つらい所なのだが、このことは在来ほとんど取上げられなかった。言語能力とは字面だけのことに限定された。自分の言いたい事柄をはっきりと認識し、まとめあげる力や、相手の言い分をよく理解し、もし必要があれば問い返したり反論したりする力と読み書き能力との関係は、無視されつづけてきた。
まことにこれは戦前戦後を通じて近代日本国の文教政策の中に構造化された言語政策そのものです。技術を取り入れ、資本主義を定着させるために必要な技術の言葉が西洋文物の名前の訳語として作られたのです。
しかし、人間が自らと世界を内から考える言葉を、翻訳の言葉によって作ることなど、できることではありません。長い時間をかけて根づき定着し日々の生活のなかの言葉が耕され意味を深めて、はじめてそれは考える言葉になるのです。このような営みをすることこそが「哲学」の任務であるはずです。が、日本国の大学の哲学は西洋哲学の紹介をするか、または現実の世界に何も係わらないところで精緻な議論をするのみで、つまりは西洋語世界で考える言葉として編み上げられたものを翻訳し、閉じた言葉の体系を作ることを生業としてきたに過ぎないのです。いわゆる「哲学者」は、その言葉で人民が本当に考えることができるのかなど、考えもしなかった。自らはいざとなれば西洋語のなかに逃げかえります。
青空学園は丸谷才一氏の言葉を深く受けとめたい。そしてこの根底にある問題に対して、なし得るところからなし得ることをしよう、これが青空学園の初心です。
こうして,この百年, 教育へと人々を動員してきた「立身出世,産業立国」がもはや人を動かす力を失っている.社会発展と一体となった大学のあり方が,根本から問われている.
だが,日本の高校では悲しいことに,勉強することが,自分自身の内的な必然性をもたず,つねに立身出世のための「手段」でしかなかった. そしてその手段で実現すべき目的が実はそんなに価値がないかも知れない,ということになれば,勉強に身が入らないのも当然である. それが今の高校生のおかれている一般的な状況だ. 感受性が鋭く人間性あふれる高校生ほどこの矛盾に苦しむ. もっと言えば,「立身出世,産業立国」が人を動かす力を失った結果, 勉強の目的だけではなく,「なぜ生きるのか」,「なぜ働くのか」さえ崩れているのだ.
そのうえで、高校生に大学で何を学ぶのか提起しました。
そのうえで,では今,何のために大学に行くのか. それは, 自分がどんな人間で何をしたいのか,どんな人間として生きていくのか, これを見つけるための時間と空間を実現するためである. そんな課題を自分に課して大学生活を送る.そのための大学だ. 一昔前は,そこまでを高校のうちに考え,その上で大学を選んでいた. しかし今は実際問題として,自分の将来を考え,進む方向を決めてゆくのが大学時代である.
日本の大学には膨大な資料と情報が蓄積されている. しかし,「なぜ生きるのか」,「なぜ働くのか」に答えてくれはしない. 答えようがないのである.学問をする上で,外からの理由づけはもはや,ない. このことをおさえた上で,では自分の内にはあるか. この問に答えることが,つまり勉強する自分という人間を見つけるということだ, それはつまり内面において大人になることである. それが,今日,一人前の人間であるかどうかを試すものとしての大学の中味である.
だが、本当の責任は、大人にあります。 今日のような転換期にいかに生きるのかの根源的な方法論を近代日本の「学」は提起し得ない。転換期においてこそ、学の課題が明らかとなり、その再生が時代の要求となります。 なし得ることをしなければならないのです。 青空学園は、近代日本の学校教育がなおざりにしたこれらの学を、今という時代のなかで深め直そうとするところからはじまりました。それぞれの意図と初心を明らかにします。
そのためには、構造日本語といわれる基本的な言葉について、現代というときのなかでこれを再認識し、日本語の基礎構造に基づいて近代日本語を再定義する基礎としなければならない。
その智慧によって世界を分節しつかむ、ここに「ことわり」がある。ことわりの学としての理学、これが土台である。個々の人間は、言葉を身につけることで、この智慧を受け継ぎ人間としての考える力を獲得し、そして成長する。成長の過程で身につけた言葉は、その人の考える力の土台である。「はじまりの理学」の復興は日本語に蓄えられてきた智慧を時代の求めに応じてとりだし、明らかにすることそのものである。
青空学園でいう「ことわりの学・理学」の「理学」は、日本国の多くの大学で「理学部」として用いられている「理学」とはまったく別のものである。内容において異なるだけではなく、「学」と人間の関係が異なる。つまり学のしくみが違う。人間が自然のなかで一定のあいだ生きること自体が理学である。「理学」は「学」のための「学」ではない。理学の「学」はもともと「学(まな)ぶ」という動詞であり、「まねる」にはじまる言葉である。学ぶにはまず継承することである。これがなければ学たりえない。継承する、それは言葉に蓄えられてきた先人の智慧とそのもとで考えたことそのものを継承するのである。近代日本国の「学」は江戸時代までに形成されてきた固有の言葉と断絶しているがゆえに、学ではない。継承を土台とし、時代の求める展開と新しい考え方の枠組みを創造してゆくこと、これが理学である。
内容としてのことわりの学・理学を目指す。
この頁は、数学をいろいろ考えようとする高校生・受験生、数学を教えることを仕事にしている人、高校時代・大学時代の数学をもう一度思い起こして考えようとする人、みんなに開かれています。
私は、かつて公立高校の教員を13年間しました、その後いろんな職業を経て、現在は現役生を中心とする塾で数学を教えています。公立高校時代は、いろんな社会的な要因で学校教育から切り捨てられ、やっと高校にたどりついたけれど、分数もおぼつかない、という生徒たちに教えていました。 現在は、国公立のいわゆる難関大学を志望する高校生に、教えています。
初めて教員になったとき、授業をやっていて何かおかしいことに気づきました。クラスの何人かは分数の計算ができないのです。気づいてすぐに分数計算も授業でやろうとしましたが、今度はできる側の生徒たちから反発を受けました。分かり切ったことに時間をさかずに先に進んでくれ、というわけです。悩みました。
夢中で試行錯誤するなかで、ある日、できる側の生徒に聞いてみたのです。「君らは分数計算なんか簡単だというが、ではなぜ分数のかけ算は分母と分母、分子と分子を掛け合わせればいいのか、わり算は分母と分子、分子と分母を掛けるのか、説明できるのか」。答えられるものはいなかったのです。
そこで私は、量というもの、量を量ること、連続量をとらえることと分数の定義、単位の誕生、連続量の和と差、1あたり量と積の定義、商の意味、とすすんで、初めて分数の積と商の計算法に入りました。分数のできるものもできないものも、皆はじめての話ばかりで、よく聞いてくれました。はじめてクラスの集団としての授業がなりたちました。当時は七〇年代初頭の社会変動の熱気が学校にもまだ残っていて、このような、はじめに立ち返った授業ができたのです。
人間というのは、わかると嬉しいし、この喜びは人間の本質的で本能的な喜びです。授業というのはこの喜びを体験させてやる場なのだ、ということを経験しました。わかる直前は苦しいです。しかし本当に問題が自分のものになっていれば人間は考えます。よく「おもしろいほどよくわかる」ということを売りにする先生がおられますが、これは違うと思います。生徒の水準よりうんと下から説けば、わかることはわかるのですが、「わかった喜び」は体験できません。大切なことは、問題を適切に設定し、何が問題なのかを本当に理解させ。そして自分で考えるようにすることです。苦しくても考えずにはおけないように問題を理解させることです。そこをせずに、何もかもこちらで喋っては、「理解はできるが、納得できない」ままになり、数学の力はつきません。
この経験は受験数学を教えるようになっても生きています。私は、「受験数学も数学であるかぎり、数学として正面から考え、深めるのが、結局力をつける最短の道である」という立場にたって、問題を正しくつかみ、自分で考え、「わっかって、にっこり」できる授業、を指針にやっています。受験数学のなかで、わかることの喜びを体験してくれればと考えています。
私は、いわば両極端な高校生を相手にしてきたのですが、しかし共通しているのは、みんな「わかりたい」、「わかってにっこりしたい」と切実に願っていることです。「わかってにっこり」すれば、生徒は絶対に荒れません。いま学級崩壊がよく問題になります。「わかってにっこり」できる授業を実現する学校側の教育力が低下して、それを補おうと力で押さえ込もうとするから、ますます荒れていく。
日本の教育は、「わかってにっこりしたい」という生徒の願いとはまったく逆の方向へ進んでいるとしか考えられません。高校教員時代の経験は、「わかる」ためには、はじめに立ち返らなければならず、そこをとばしてうわべを感覚的に教えてもだめだ、ということです。ところが、指導要領を作成している人は、日本の数学に対する考えも定まらず、数学を教えるということの経験に乏しく、生徒の数学力が低下していることに対して、本質的な部分を感覚的な説明に置き換え、そうすることでわかりやすい教科書になると思い違いをしています。しかしそれでは、わからないときに立ち返る根拠がいよいよなくなり、教えるにも土台なしに感覚的にしか教えられない、ということになります。
日本の学校数学は、無限悪循環の中に陥っているように思われます。 こういう状況のなかで、高校生諸君と数学や学問を考え、少し私の意見を述べてみようと思います。それがこの頁の意図です。
私自身は、ここでは、どんなことを考えるときも高校生のおかれた現実である「教科書」と「入試問題」から始めようと考えています。高校生向けの数学読み物などで、「受験のことはしばらく忘れて」と書かれているものがあります。しかしこの態度は、現実からの逃避です。あくまで高校生の現実を忘れず、現実の教科書や入試問題を深く考えればよいのです。この現実から始めて、遠くまで行きたい。
それではお元気で。