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青空学園の理念

   青空学園から、史織さんへの追伸です。

   追伸

   現代日本語のこのようなことばとしての弱さには、日本語の長い歴史の中で形成された要因があることはまちがいありません。同時にまた、現代日本語は、近代日本国の言葉に対する政策の結果でもあります。

青空学園の理念

私たちはなし得ることからはじめようと、電脳空間で青空学園をはじめました。

丸谷才一氏の意見

二〇〇二年七月三十一日付「朝日新聞」で作家の丸谷才一氏は、われわれの問題意識と同じことを端的に指摘しました。

   まことにこれは戦前戦後を通じて近代日本国の文教政策の中に構造化された言語政策そのものです。技術を取り入れ、資本主義を定着させるために必要な技術の言葉が西洋文物の名前の訳語として作られたのです。

   しかし、人間が自らと世界を内から考える言葉を、翻訳の言葉によって作ることなど、できることではありません。長い時間をかけて根づき定着し日々の生活のなかの言葉が耕され意味を深めて、はじめてそれは考える言葉になるのです。このような営みをすることこそが「哲学」の任務であるはずです。が、日本国の大学の哲学は西洋哲学の紹介をするか、または現実の世界に何も係わらないところで精緻な議論をするのみで、つまりは西洋語世界で考える言葉として編み上げられたものを翻訳し、閉じた言葉の体系を作ることを生業としてきたに過ぎないのです。いわゆる「哲学者」は、その言葉で人民が本当に考えることができるのかなど、考えもしなかった。自らはいざとなれば西洋語のなかに逃げかえります。

   青空学園は丸谷才一氏の言葉を深く受けとめたい。そしてこの根底にある問題に対して、なし得るところからなし得ることをしよう、これが青空学園の初心です。

どこからはじめるか

  問題は言葉だけのことではないのです。 青空学園数学科の『高校数学の方法』の序論にあたる「いま大学とは」で次のようにのべました。

  こうして,この百年, 教育へと人々を動員してきた「立身出世,産業立国」がもはや人を動かす力を失っている.社会発展と一体となった大学のあり方が,根本から問われている.

   そのうえで、高校生に大学で何を学ぶのか提起しました。

  そのうえで,では今,何のために大学に行くのか. それは, 自分がどんな人間で何をしたいのか,どんな人間として生きていくのか, これを見つけるための時間と空間を実現するためである. そんな課題を自分に課して大学生活を送る.そのための大学だ. 一昔前は,そこまでを高校のうちに考え,その上で大学を選んでいた. しかし今は実際問題として,自分の将来を考え,進む方向を決めてゆくのが大学時代である.

   だが、本当の責任は、大人にあります。 今日のような転換期にいかに生きるのかの根源的な方法論を近代日本の「学」は提起し得ない。転換期においてこそ、学の課題が明らかとなり、その再生が時代の要求となります。 なし得ることをしなければならないのです。 青空学園は、近代日本の学校教育がなおざりにしたこれらの学を、今という時代のなかで深め直そうとするところからはじまりました。それぞれの意図と初心を明らかにします。

固有の言葉・日本語

  人間は言葉によって人間である。人をして人間とする言葉を固有の言葉という。固有の言葉で考えること、これが人間の営みである。この最も基本的な営みは、長い時をかけて言葉を耕すことなしにはあり得ない。近代日本語は言葉を耕して生まれたものではない。時代の要請によって作り出されたものである。この言葉を今こそ耕さなければならない。これなしに日本語世界が再び人間としての土台を確かにすることはあり得ない。

   そのためには、構造日本語といわれる基本的な言葉について、現代というときのなかでこれを再認識し、日本語の基礎構造に基づいて近代日本語を再定義する基礎としなければならない。

ことわりの学

  人間は、言葉をもって協同して働き、世界から生きる糧をうけとる。それぞれの固有の言葉は長い長い時間をかけて、この協同労働とともに育った。言葉はまず何よりこの世界のなかで人間が生きるためにある。協同して働き、糧をうけとるためにある。はたらきの場こそ言葉が生まれるところである。言葉は、ものを分けて切りとる。それが世界を認識することである。どのように切りとるのかという枠組み自体すでにこの言葉のなかにこめられた仕組みによって定まっている。言葉のもとで協同して働いてきた数知れぬ先人の智慧が、言葉の仕組みそのもののうちに蓄えられている。

   その智慧によって世界を分節しつかむ、ここに「ことわり」がある。ことわりの学としての理学、これが土台である。個々の人間は、言葉を身につけることで、この智慧を受け継ぎ人間としての考える力を獲得し、そして成長する。成長の過程で身につけた言葉は、その人の考える力の土台である。「はじまりの理学」の復興は日本語に蓄えられてきた智慧を時代の求めに応じてとりだし、明らかにすることそのものである。

   青空学園でいう「ことわりの学・理学」の「理学」は、日本国の多くの大学で「理学部」として用いられている「理学」とはまったく別のものである。内容において異なるだけではなく、「学」と人間の関係が異なる。つまり学のしくみが違う。人間が自然のなかで一定のあいだ生きること自体が理学である。「理学」は「学」のための「学」ではない。理学の「学」はもともと「学(まな)ぶ」という動詞であり、「まねる」にはじまる言葉である。学ぶにはまず継承することである。これがなければ学たりえない。継承する、それは言葉に蓄えられてきた先人の智慧とそのもとで考えたことそのものを継承するのである。近代日本国の「学」は江戸時代までに形成されてきた固有の言葉と断絶しているがゆえに、学ではない。継承を土台とし、時代の求める展開と新しい考え方の枠組みを創造してゆくこと、これが理学である。

   内容としてのことわりの学・理学を目指す。

数学科

  その初心は開設者が一番最初に書いた次の一文に尽きる

物事の根拠を問おう

  以上が青空学園をはじめた理由です。 私は、言葉にせよ数学にせよ、あるいは世の中を見る目にせよ、考える方向は、物事が成立する根拠を問うということです。これが今、本当に弱くなっています。根拠を問う、これを教育の場に、そして世の中に復活させたい。 史織さんも、自分の進んでいく道において、つねに根拠を問うことを忘れないでください。そして、言葉を契機に生まれてきたいろいろな疑問をかかえて生きていってください。

   それではお元気で。


Aozora Gakuen