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教員時代に学んだこと

私はいわゆる団塊の世代で,60年代末から70年初頭の大学闘争の時代に学生生活を送りました.あの時代は,今からはなかなかわからないかも知れませんが,青年に,社会における自己とそして自分の生き方を真剣に考えさせる,大きな歴史の力が働いていた時代でした,私もその時代の波のなかでいろいろ考え,生き方を模索しました.

当時は,高度経済成長の矛盾が吹き出し,公害に対する闘いなど地域の闘いがあちこちに起こった時代でもありました.世界的にも青年や学生の運動が激しかった時代です.多くの学生がいろんな所へ出ていき,そのままそこに住み着いたものも少なくありませんでした.

私もそんななかで,いろんな教育への取り組みが行われていた地域にある高校に仕事を見つけたのです.教育運動や組合運動に打ち込みました.こういう生活,人間の生き様をがあったのかと,自分の方が学ぶばかりでした.

はじめにたち返って考える

公立高校時代は,いろんな社会的な要因で学校教育から切り捨てられ,やっと高校にたどりついたけれど,分数もおぼつかない,という生徒たちに教えていました.

初めて教員になったとき,授業をやっていて何か雰囲気がおかしいことに気づきました.クラスの何人かは分数の計算ができないのです.それに気づいてすぐに分数計算の方法も授業でやろうとしましたが,今度はできる側の生徒たちから反発を受けました.分かりきったことに時間をさかずに先に進んでくれ,というわけです.悩みました.

夢中で試行錯誤するなかで,ある日,できる側の生徒に聞いてみたのです.「君らは分数計算なんか簡単だというが,ではなぜ分数のかけ算は分母と分母,分子と分子を掛け合わせればいいのか,わり算は分母と分子,分子と分母を掛けるのか,説明できるのか.」答えられるものはいなかったのです.

そこで私ははじめにたち返って,量というもの,量をはかること,連続量をとらえること,そして分数の定義,単位の誕生,連続量の和と差,内包量と積の定義,商の意味,とすすんで,初めて分数の積と商の計算法に入りました.また,関数の概念は,今も高校生が理解しづらいものですが,ブラックボックスの図を作り,「働き」としての関数を教えていきました.

分数のできるものもできないものも,皆はじめての話ばかりで,よく聞いてくれました.にっこりした顔が忘れられません.はじめてクラスの集団としての授業がなりたちました.

私は自分の数学観が少し変わったように思いました.タイルを用い,内包量の図式を用いた積や商の意味づけ,関数の図示などなど,それまで自分がやってきた数学とはずいぶん違いましたが,確かにこのようにすれば,生徒は分数計算の方法を根拠から理解することができたのです.

これは貴重な経験でした.どんなクラスにも,わからない生徒とすでに理解している生徒がいるものです.そのとき,理解していると思っているその根拠を問うのです.多くの場合,わかっているかいないかの違いは,方法を知っているか,いないかの違いに過ぎず,方法の根拠まで理解していることは少ないのです.そこで一歩,定義と原則に立ちかえり,方法をその根拠から一緒に考える.これは,受験生に数学を教える今も,私の基本的な授業方法です.

2006年はじめに,その頃の教え子に再会しました.卒業以来28年ぶりでした.すぐ昔の話になりました.「高校でもう一度分数を習うとは思わなかった」,「関数の話はおもしろかった」などよく昔のことを覚えていてくれました.私はこの高校での仕事で多くのことを学びました.後に,塾で教えるようになって改めてそのことを,知りました. 授業の内容などは『数学対話』「量と数」を参照して下さい.

私がかつて働いたこの高校は2006年度でもって廃校になりました.1980年代にはじまり今日に続く「改革」という名の,弱者や少数者を切り捨てる政策のなかでのことです.私はどのような学問も,社会の土台のところで実践し格闘するものと結びつかなければ,しっかりとした根のあるものにはなり得ないと考えています.今いわれる教育改革は,弱肉強食・拝金主義の世に教育をあわせていこうとするものですが,そればかりではなく,このことによって,日本の学問の土台もまた揺らいでゆくものであることを,言い置きたいと思います.

この流れに抗って,少しでも根のある学問の方向性をうちだしたい,これが私の願いです.

「わかって,にっこり」が授業の原点

人間というのは,わかるとうれしいし,この喜びは人間の本質的な喜びです.授業というのはこの喜びを体験する場なのだ,ということを経験しました.わかる直前は苦しいです.しかし本当に問題が自分のものになっていれば人間は考えます.

「おもしろいほどよくわかる」ということを売りにする先生がおられますが,これは違います.生徒の水準よりうんと下から説けば,わかることはわかるのですが,「わかる喜び」は体験できません.大切なことは,問題を適切に設定し,何が問題なのかを本当に理解させ.そして自分で考えるようにすることです.苦しくても考えずにはおけないように問題を理解させることです.問題に直面した生徒は考えます.それをせずに,何もかもこちらで喋っては,「理解はできるが,納得できない」ままになり,数学の力はつきません.

学校での教育は,どうしても次の二つのいずれかに偏るのです.

  1. 難しいことを, なぜそれをするのかの納得がないままに, やり方だけ教えてやらせようとする.
  2. 日常の意識のまま放置し, できる範囲でやらせるだけで, 訓練ということをせず,成長を促さない.

本当は,適切に設定された課題の意義を十分理解させ,そして生徒自身に考えさせ,「わかった」という経験を通じて飛躍させるうにしなければならないのです.課題をつかめば人間は考えます.努力します.

わかる喜びの継承を

この高校教員時代の経験は受験数学を教えるようになっても生きています.青空学園数学科には,掲示板やメールで,いろんな声が寄せられます.

2週間ほど前にこのページに辿り着きました.もともと僕は考えることが好きで,数学が好きだったのですが,入試問題にあたると解けなくて苦労していました.『高校数学の方法』を読んでからは解けてしまう問題が増えてしまい,感動しています.

掲示板への,こんな書き込みは嬉しいものです.学問として数学を学び,その結果問題が解けていく,それを高校生に経験してほしいのです.それが「学問としての高校数学」です.

数学的な現象のしくみや数学的な事実が成立する根拠を考える.問題に直面し,なぜ解けるのかを考えながら解く.解ければ一般化し,別解はないか調べる.本来,数学とはそんな学問なはずです.特に高校生には,このように学問として正面から勉強し,わかる喜びを知ることが,結局は力をつけるいちばんの道であることも,強調したいところです.

先生のところに通って本当によかったと今も思います.友人と話していても,塾が苦痛だった人が結構いますが,私は毎週通うのがとても楽しみでした.おかげで数学も好きになれたし….

彼女が教育学部の2回生になった6月にもらったメールです.教育学の勉強をはじめて,高校3年のときの自分を思い出したのでしょう.勉強は楽しいのだという経験を,そして,わかる喜びをぜひ次の世代に引き継いでいってほしい.

私は,「入試数学も数学であるかぎり,数学として正面から考え,深めるのが,結局力をつける最短の道である」という立場にたって,問題を正しくつかみ,自分で考え,「わかって,にっこり」できる授業,を指針にやっています.受験勉強のなかで,わかることの喜びを体験してくれれば,その経験は将来の大学生活や社会人としての生活のなかでも意味あることであると考えています.

私は,さまざまな高校生を相手にしてきたのですが,しかし共通しているのは,みんな「わかりたい」,「わかってにっこりしたい」と切実に願っていることです.「わかってにっこり」すれば,生徒は絶対に荒れません.

いま学級崩壊がよく問題になります.問題の根は社会的なもので深いのですが,一方で「わかってにっこり」できる授業を実現する学校側の教育力が低下して,それを補おうと力で押さえ込もうとするから,ますます荒れていく,という面もあるように思われます.


Aozora Gakuen