藤村は、青年期の半蔵には「古代の人に見るようなあの直ぐな心」と言わせ、晩年の半蔵には「古代の人に見るようなあの素直な心」と言わせている。その心を改めて取り出したのが「本居、平田諸大人の国学」であった。
国学思想の柱にあるのは「神」である。その神とは何であるのか。神を日本語のことわりの中に聴きとり、それを語り出すことを試みよう。
言葉としての「カミ」は、タミル語ko-manに由来する。その意味は「大きな力をもつ恐ろしい存在」である。
この言葉が多くの関連する言葉をともなって、水田耕作技術とともに日本列島に伝わった。大野晋『一語の辞典 神』には次のようにある。
カミ(神)に当たる単語が古代のタミル語の中から見出される。
もし、それがカミ一つだけの共通というのならば、偶然の一致かもしれないという懸念があるだろう。ところが、カミに関わる日本人の行動を表わす単語、マツル(祭る)・ハラフ(祓ふ)・コフ(乞ふ)・ノム(叩頭する)・ホク(祝く、ことほく、寿のホク)・ウヤ(教)・アガム(崇む)、あるいは死に関するイム(忌む)・ハカ(墓)など、これらの宗教用語がセットとなって、やはり平行的に共通する。また、豊作を祈願する年頭の行事の共通もある。またカミの類語と思われるヒ・ミ・チ・ムチなどについても共通する単語がある。
こうしてこれらの言葉、「神」とそれに関連する言葉がタミル語に由来することの根拠が示されてゆく。
このタミル由来の言葉「カミ」が、縄文語と混成し熟成するの中で「カ」と「ミ」よりなるものとされていったと考えられる。「カ」は「アリカ」や「スミカ」の「カ」と同じく人の生きる場である。「ミ」は「ム」の名詞化であり、「ム」はそれを成り立たせている(むすぶ)ものである。
よって「カミ」は人の生きる場を成り立たせているはたらきとなる。これが「カミ」の基層の意味である。
地鎮祭や氏神―氏子などにある考え方は、まさに場を結ぶものとしてのカミそのものである。
神のはたらきの内容をさらに掘り下げよう。
本居宣長の定義は次のようになる。
凡て迦微(かみ)とは、古の御典(みふみ)等にも見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其の祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい海山など、其の余(ほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き物を迦微とはいうなり(『古事記伝』一の巻)
「すぐれたること」のある「かしこきもの」を「かみ」というのである。「かしこき」とは、もののちからが、おそれるほどにおおきいことを意味し、そのものへの畏敬の念を表す。
では「かしこきもの」の「もの」とは何か。世界のすべてはものである。ものほど深く大きいものはない。この世界はものからできている。森羅万象、すべてはものである。これが世界である。ものは存在し、たがいに響きあっている。これが事実である。世界はそれしかない。そのなかで、人もまたものとして、ものと豊かに交流しあい、語らいあう。ものは、いわゆる物質と精神と二つに分ける考え方での物質とは、まったく異なる。このような二分法ではない。ものは実に広く深い。この深く広いものを日本語は「もの」という一つの言葉でとらえる。この意義を吟味し、ここに蓄えられた先人の智慧に注目しよう。
ものは生きている。ものの生きた働きを「いき」という。そして、ものの生きる内容が「こと」なのである。ものはことにしたがい、ことを内容として生成変転する。ものが生成変転する中味がことである。人はものの意味を聞きとり「こと」としてつかむ。人が、ものを、相互に関連する意味あるもののあつまりとしてつかむとき、そのつかんだ内容を「こと」と言う。
また、そこからことによってものを定める。本居宣長は「すぐれたること」のある「もの」として神を定義した。「すぐれたること」の内容をいま少し深めよう。
世界はいきいきと輝き運動を続けている。人もまたこの世界のなかでいっとき輝きそして生を終えてものにかえる。そのいっときを「いのちある」ときという。いのちあるとき、それを生きるという。
人の生きる場を結ぶもの、つまり「もの、いき、こと」といういのちをなりたたせる働きそのもの、それが日本語の「神」である。この「いのちの不思議」に出会ったとき、それをなりたたせるものとしての神のはたらきを「すぐれたること」として、実感する。
神は「かしこき」もの、恐ろしいものである。雷(カミナリ)はまさに神の「鳴り」であり、「成り」であり、怒れる神であった。そしてこの神に、「はらへ」によって穢れをのぞくことを祈り、「まつり」によって豊穣を祈る。
人は心に願うことがかなうように神に祈る。心から祈るとき「すぐれたること」のある神は、その願いをかなえる。
人が生きることとは、ものに思いをかけ、そのもののことを考え、願いがかなうように神に祈り、人生を動かしていくことである。心から神に祈ること、これが「古代の人に見るようなあの素直な心」の基本の意味である。
いのちあるものとしての人は世界からものを受けとり生きる。それがはたらくということであり、その場でこそもっともいのちが響きあい輝く。人と人はことをわりあい力をあわせてはたらく。人は語らい協働することで人になる。心から人と語ること、これが「あの素直な心」のもうひとつの意味である。 「素直な心」とは神と人、人と人の間のまことのあり方そのものなのである。
そして「ものに思いをかけ、そのもののことを考える」営みを「ことをわる」という。ことをわるという営みは、人にとって基本的なことであり、他の言葉においても、この構造がある。
英語「inte-llect」の意味は「わり=inte、こと=llect」つまり日本語の順では「こと―わり」であり、それはまたギリシア語の「dia-logos」する働きでもある。「dia」は割ることであり、「logos」はまさに日本語の「こと」に対応している。「logos」は言葉を意味するとともに問題になっていることの真相を意味する。それが指示する内容が「こと」である。「dia-logos」は「対話」と訳されるが、その言葉の構造はこれまた「ことわり」と同じである。 「ことわり」は源氏物語で多く用いられた。源氏物語は、はじめて日本語で深く人間を表現した。その表現された内容こそが「ことわり」であり、また、人が生きる場のあり方も「ことわり」としてとらえられる。「ことわり」は源氏物語を貫く基本的な考え方である。 「ことをわる」とは、ことを間にして互いに「語りあう」ことでもある。ことに導かれて心のなかで語りあう、それが「考える」ということである。ここには、人間の心の普遍がある。
そして、「理(ことわり)の学」が philosophy の本来の意味である。中江兆民は、philosophyを「理学」と訳した。 philosophy を日本語のなかでとらえ、訳そうとする意思が働いていた。福沢諭吉もまた言葉を『易経』から直接にとって「窮理」と訳している。「ことわりを窮明する学」としての「理学」こそ、 philosophy の訳として日本語にうらづけられたものであった。 「ことわりの学」として philosophy をとらえるなら、少なくとも江戸末から明治期に出会った西洋を、主体的に、言葉の内部からとらえることができる。このように、日本語によって裏付けられた言葉を訳語にあてることが、兆民や諭吉によっていったんはなされた。
しかし、明治政府は「理学」を捨て「哲学」を採用した。「当時フィロソフィーを哲学と定めた西周が、明治十年東京大学創設と同時に文学部に哲学の科目を設くるに及んで此言葉を採用せしめたことから確定語のようになった」(小川甫文「近代日本の哲学思潮」、理想社版『哲学講座』第三巻)。 「哲学」は、近代の中国西学が philosophy の訳語として転用した「希哲学」を西周が採用し、さらにそれから西が造語したものである。そして「理学」は自然科学と数学の総称になったが、これは日本語の中からその意味が定まる用法ではなかった。
philosophyを日本語で受けとめた「ことわりの学」としての「理学」か、漢字造語の根なし草言葉「哲学」か、ここに近代日本の分岐点が象徴されている。
われわれはいま、「ことわりの学」として philosophy をとらえ直すべき地点に立っている。
明治維新は半蔵の夢を裏切った。明治政府は国学の徒の夢を裏切って成立した。その一般的理由は、資本主義はその本性として、固有の文化を奪い、世界を平坦化するからである。資本主義にとって「古代の人に見るようなあの素直な心」は金儲けに不用なのである。
同時に、歴史の出来事はつねに一般的な理由と、固有の理由をもつ。固有の理由は何であるのか。それを明らかにするために、まず神道とは何かを考えよう。
神道は、神の道である。つまり、神道とは何よりこのような、神との語らいとその人の行いであり、そのゆえに「道」なのである。
働くものは、いのちのはたらきとして耕し、ものの世界から糧を受けとる。神道とはこの日々の生産活動の不思議への畏怖と、その生産に携わりつつ生きてきた先人の智慧であり、その実践に他ならない。この生きるかたちを「里のことわり」という。生産の不思議を聴きとり、語らい、畏怖をもって祈ること、これが神道である。
個々の人間は、言葉を身につけることで、この智慧を受け継ぎ人間としての考える力を獲得し、そして成長する。成長の過程で身につけた言葉は、その人の考える力の土台である。神道とは、言葉に蓄えられてきた智慧を時代の求めに応じてとりだし、明らかにすることそのものである。
半蔵らは「古代の人に見るようなあの素直な心はもう一度この世に求められないものか」と考えてきた。が、それは実現しなかった。一君万民の国学思想は新しい世を作り出すことができなかった。
明治以降の政府は、江戸期には幕府によって抑えられていた天皇を、神に祭りあげて、近代資本主義への国民統合に活用し尽くした。神道もまた国家神道として再編成され、日本の帝国主義化のために最大限に活用された。
神道家もまた多くはこの明治国家の神道利用に手を貸した。明治政府は、一君のもとに万民の平等という形式をとりながら、実際は新興の資本家の政府であり、階級格差と差別の社会であった。
しかし、恨みをのんで狂死した半蔵のことを忘れてはならない。そのために、なぜこのようになったのかを明らかにしなければならない。
すでにみたように、この日本列島はもともと縄文文明が開けていた。そこに、タミル人から水田耕作技術がもたらされ、長く並存しながら弥生の農耕文明が熟成していった。さらに、漢が大陸を統一する前の動乱期に、揚子江下流域から呉や越の末裔の移住も続いた。秦と漢の統一国家の時代、東アジアは安定し、それぞれの地で文明と言葉が熟成していった。
さらにその上に、後漢が滅び再び動乱期となった大陸から、天皇家の祖先がやってきたのである。弥生時代末期から古墳時代の日本列島は戦乱の時代であった。この時代、東アジア全体が大動乱であった。中国大陸、朝鮮半島、日本列島はこの大動乱の渦中にあった。そのなかで日本列島を武力統一し、列島中央部を支配したのが今日の天皇家の祖先である。中国大陸や朝鮮半島から亡命するようにやってきたものもあった。
強大な武力をもった外来のものが支配を広げていくにあたって用いた方法は「土着の習俗を取り込む」ということであった。
彼らは、農業協働体がその維持発展のために行ってきたさまざまの習俗を取り込み、あたかも天皇家がそれを代表するかのように振舞うことで支配の権威を打ち立てた。その典型は「みこともち」として天皇を位置づけることであった。固有の言葉で語られることを神から受け取るものとしての天皇、である。そして新嘗祭である。当時の基幹の産業である農業の発展を願う人民の心を取り込むため、農業協働体のなかで行われてきた習俗を取り入れ、それを即位の礼と結びつけることで、天皇が即位するにあったて正統性と権威づけを演じ、人々の生活の形が天皇家に由来するとしてきた。
天皇は神の言葉である「みこと(御言)」を聞くものであり、列島の習俗が天皇に源をもち、天皇が日本文化を体現するという、この虚構と、それにもとづく支配体制は、天武天皇と続く天平時代に完成する。日本書紀編纂の過程がこの支配のあり方が仕上がっていく過程でもあった。天皇家を中心とする貴族社会が支配権を失って以降も、その時々の支配者は、この虚構を支配のてこにするために、深くかつ本質的に活用してきた。それは、現在まで続いている。
幕末、時代の変革を求める人々は「古代の人に見るようなあの素直な心」を世に取り戻そうとした。江戸時代にあっては天皇家もまた徳川支配のもとにおかれ、権威は失墜していた。このゆえに、反徳川の感情は天皇の権威を回復しようとする実践と結びついた。これは理由のあることであった。
しかし天皇が「古代の人に見るようなあの素直な心」を体現するというのは、作られた虚構であり、王政復古によってその「心」が回復することはあり得なかった。半蔵の夢がかなわなかった固有の理由は、ここにある。それどころか逆に、反封建の運動は天皇という回路を経由して新しい支配体制のなかに取り込まれていった。そこに成立したのがいわゆる国家神道である。しかし、これは神道ではなく、その真逆のものである。
神道は、天皇家が日本列島弧にわたり来るよりはるか以前から今日まで営々と受けつがれ、また深く耕されてきた古人の智慧である。人は、天皇制の基礎となる虚構から自由にならなければ、固有の言葉に根ざした今日に生きる古人の智慧としての神道を、自らのものとすることはできない。
天皇もまた日本語とその神道のもとにある。それをふまえ、そのうえで、ここに生きるもののクニのあり方、つまりは「クニ柄」をどのようにしてゆくのか。これは大いに議論すべきことである。
日本語には日本語に結実した智慧としての神道があるように、朝鮮語にも朝鮮語に結実した智慧としての神道があり、琉球諸語にも琉球諸語の神道がある。世界のそれぞれの言葉に、それぞれの神道がある。
それぞれの神道は互いに認めあって共生しなければならない。そのための智慧と実践が今日の課題である。固有性を深く耕し、固有性を突き抜けた生きた普遍をめざす。言葉のなかに蓄えられてきた智慧は、それが直接の生産を土台にする生きた智慧であるかぎり、十分に掘り起こされたならば必ず通じあえる。人はわかりあえる。
資本主義の文明が押しつけた疑似の普遍ではなく、固有性が解放された人の生き生きとした普遍は可能である。固有性が互いを認めあって共存するところ(場)としての普遍は可能である。しかし、それを現実の世界で実現していくためには、膨大な努力の蓄積と、現実のちからが不可欠である。
これは日本語だけの課題ではない。それぞれの言葉を固有の言葉とするものが目的意識をもって言葉のなかに蓄えられてきた智慧を掘り起こし、現代に甦らせ、これからの世の土台とする。これが必要である。
われわれが立ちかえるべきところは、半蔵の夢であった「あの率直な心」である。この心によって、ものを分けあい循環させながら万物が共生する世を生みだしてゆく。破壊のなかから建設されるべきものは、固有性と普遍が統一された人の生きる場である。日本語を深く耕すことをとおして、神道の精神は復興するだろう。そして、たがいの神道を認めあう、その普遍の場を生みだしてゆく。
資本主義は、人を資源と見なす。そしてその資源からいかにさちを奪い取るのかということをその基本的な動機としてきた。交換過程は複雑化し、そこに貨幣が生まれ、貨幣が自己目的化する。これは結局のところ、さちをいかに効率よく集め奪うのかということである。そのことが経済活動とされた。
しかし、人間は資源ではない。人間そのものとして、まじめに働き、ものを大切にし、隣人同僚、生きとし生けるもの、たがいに助けあって生きてゆく。ひとりひとりの力は個人のものではなく、互いのものである。それが人間というものだ。人であることを自覚した人のことを人間という。
そのとき経済は人間にとって目的ではない。あくまで方法であり手段である。協同の労働を通した人間としての尊厳ある生活の実現、これこそがめざさなければならないことである。
経済が目的となったのはこの八百年のことである。近代資本主義において金儲けは至上の目的であった。しかし経済を至上原理とするこの八百年は、長い歴史のなかの人の世のあり方として、過渡的なものでしかない。これがゆきづまっている。歴史は転換を求めている。
今日の根本問題は、資本主義にかわる別の生産関係を生みだすかどうかということではない。経済は手段であり方法であるという立場から、これをのり越えるのである。言いかえれば、資本主義的生産関係を使いこなす人間とその組織、世のあり方、これを創造してゆくこと自体が、資本主義の終焉である。転換の方向を一言でいえば、経済原理の世から人間原理の世への転換である。
半蔵があのとき見た夢は、いまこそ正夢とするときである。
半蔵と国学の徒の夢を裏切って成立した近代日本は、遂にあの十五年戦争に至る。この戦争は日本の歴史において未曾有のことであった。南太平洋から東南アジア、東北アジア、中国大陸と朝鮮半島、いわば日本列島弧に住むものの祖先の地のすべてに兵を進めた。そして敗北した。
しかしその責任はとられることなく、明治革命ののちに成立した官僚制などの基礎組織はそのまま残り、戦後は一転、対米従属の政治となった。そして、アメリカの核戦略の一環として、地震列島に原発をいくつも作ってきた。
二〇一一年三月十一日、日本の東北地方を巨大地震が襲った。それに続いて東京電力福島第一発電所が崩壊した。首都圏の電気をまかなうために、白川の関の向こう、福島の地にこの発電所はつくられていた。それが崩れた。それは、核惨事としか言いようのない事態をひきおこした。核力発電所の事故はこれまでにもいくつか起こっていた。しかし、もたらす災害の規模と対応する政治の非人間性において、この核惨事は人類史上もっとも悲惨なものとなった。
東京電力福島第一発電所の引きおこしたこの核惨事は、かつての十五年戦争の敗戦につぐ第二の敗北である。内的必然性を欠いたままの近代化と、そのゆえに生まれる無責任体制という、近代日本に内在する基本的な問題が、二つの敗戦に通底している。そしてそれはすでに『夜明け前』において、本質的には見通されていた。
しかし、近代日本の政治とその背後にある世界の資本主義が、拡大の限界という現実を前にして崩れはじめている。平安時代末期も江戸時代末期も天変地異が相次いだ。それは、政治や経済や社会のあり方を根本から変えなければならないという警告を、神が発したものといえる。安政の大地震から明治維新まで十三年だった。
このたびの巨大地震にもその声を聴くことができる。その声を聴きとることが叡智である。『夜明け前』の言葉を今こそかみしめなければならない。
資本主義が終焉を迎え、経済第一の時代から、経済を手段として使いこなす人間の時代への転換が、世界史の現段階が求める一般的な課題となっている。その課題に、それぞれの神道はそれぞれの神道に応じた固有の内容で応え、その課題を担う人とその世を生みだしてゆかねばならない。
青山半蔵の夢見た「あの率直な心」こそ、いまこの課題を担う人の心である。その心をもつ人は、生活の場や働く場など、人と人が交わるすべての場で、なしうることをなし、そして、それぞれの神道を認めあい共存する新たなところを生みだしてゆく。
それは、確かに世を動かす。この道をゆくしかない。そしてそれがまた半蔵の思いを現代に受け継ぐことである。過去を水に流すことはできない。
半蔵の夢見た古の人々の「あの素直な心」は、資本主義的近代人の心とはならなかった。しかしそれは、資本主義を越えてゆかねばならない今こそ、歴史の課題をになう人々の心として、豊かに甦える。島崎藤村が書き残してくれた半蔵の夢みた心は、われわれを深く導く。
人は人生にゆきづまったときに、風土の内に、ながくそこに生きてきた人々の息吹を感じ、そこから立ちあがる力を得る。風と土、深い樹木の奥、こけむした巌、木漏れ日のあたる場、そこに神の息吹を感得する。それは、それぞれのところにおいて真実であり、それを互いに尊びあう。
人は生まれ、生き、そして死ぬ。このまったく単純な事実のなかに、かぎりない変転と輝きがある。人は、ある時代にある環境のもとに生まれ、そのなかで生き、考える。何かを受け継ぎ何かを伝える。人は歴史を積みあげなければならない。
『夜明け前』島崎藤村 青空文庫図書
『古事記伝』本居宣長 岩波文庫
『霊の真柱』平田篤胤 岩波文庫
『仙境異聞』平田篤胤 岩波文庫
『折口信夫全集』第二十巻神道宗教篇 中公文庫
『一語の辞典 神』大野晋 三省堂
『相楽総三とその同志』上下 長谷川伸 中公文庫
『日本の歴史 明治維新』井上清 中公文庫
『明治精神史』上下 色川大吉 講談社学術文庫
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫 集英社