数学はすべて現実世界の量に根拠をもつ.そこから一定の抽象を経て,数学的な諸現象が得られる.数学的現象を調べること自体が数学の問題なのだから,その意味で数学は問題自体の中にある.もちろん学校教育の数学が現実世界とのつながりを薄めてしまっていること自体は問題(!)なのだが,将来どのような仕事に就こうと,そこで必要な数学の共通の土台としての数学は確かに必要で,抽象された数学の世界は問題そのものの中にある.問題を解き,疑問を解決し,わかったことをまとめる.このような営為そのものが数学なのだ.
数学はいつも「これは本当だろうか」という問い,「これを求めるにはどうしたらいいのだろう」という問い,これを原動力にしてきた.こうして論証のための体系がまとめられていった.既知なことが整理され体系化されていった.そのようにまとめられた体系は系統だって学校教育のなかで教えられる.しかしそれだけでは知識に過ぎない.
数学するとは問題を立て問題を解く実践そのものである.演習問題は数学そのものの超縮小模型である.だから数学では問題をどんどん解くことがどうしても必要である.結果だけが解答ではない.それが確かに問いに対する解であることを論証しなければならない.ここまで含めて問題に対する解答なのだ.このような数学の実践,それが問題を解くということだ.高校生にとって数学は問題の中にあり,問題を解くことは数学に触れることなのだ.
数学の問題の構造を実際の問題を通して調べ,それを手がかりに問題を解く方法論を身につける.問題に対面したときに意識的に方法を考えることが身につけば,その結果として,実力が飛躍する.方法をおぼえることよりも,どう解こうかと方法を考える態度を身につけることの方がはるかに大切なのだ.最初にこのことは断っておきたい.その上で,さあ,一緒に考えていこう.
科学はものごとの根拠を問うことにはじまる.根拠を問うとは現象を根本において捉えることである.さらにその根本としたことをも問い直す.この永続,それが科学だ.このような科学精神を育てること,これがあれば入学試験そのものは何ら恐れることはない.
言葉が,伝達の道具であるとともに考えることそのものであるように,数学もまた数や量を共有する道具であるとともに世界を把握する第二の言葉そのものである.だから数学を学ぶことは人が人として自分を確立するうえで必須のことなのである.
受験勉強も人の成長にとって大切な学問である.現代日本では,受験数学が小手先の方法に落ちこんでいる.しかし,受験勉強をどのように取り組むかは,一人一人の態度だ.学問として正面から取り組めばいい.それがいちばん力のつく道である.そういう勉強をしようとする高校生や高校生の数学教育に携わる人は今もいるはずだ.